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第18話
スワローは基本的に他人を信用しない。絶対にしない。
お人よしが服を着て歩いてるピジョンとは違って、人間の俗悪さや醜悪さをいやというほど叩きこまれて日頃から警戒怠りなく過ごしている。
人は己より弱いものを見ると途端に態度がでかくなる、人によってころころ現金に態度を変える。弱いものには際限なく強くでるし強いものには見境なく媚び諂う。
裏切り出し抜き蹴落とすのが当たり前、平気で媚びるしホラをふく。
スワローが全面的な信用をおくのはこの世にたった二人きりの身内だけ、そのうち兄の方は人を詐欺にかける度胸や悪知恵もないと侮ってるにすぎない。
この街に入る時ガソリンスタンドのそばで検問を張ってた自警団もそうだ。
トレーラーハウスを運転しているのが娼婦を生業にする若い女と知るや、露骨に色目を使って無理難題をふっかけてきた。
先に行きたきゃ全員と寝ろ、じゃなきゃ金をよこせと脅され、母はハンドルを手放さず男の顔面に唾を吐いた。
男がうろたえた隙に後部座席で待ち伏せていたスワローとピジョンが窓からのりだしブラックジャックで野郎どもを滅多打ち、銃声が後追う混乱のさなかをエンジンフルスロットルで強行突破したのだ。
言われてみりゃあの腐れスケベとよく似てたな。
血は争えないってか。
ボディピアスと刺青の印象が勝って目鼻立ちにまで意識がいかなかったが、改めて思い返すと自警団の元締めと不良どものリーダーは雑な造作がよく似ていた。
フリーの娼婦を脅すのも少女を手籠めにするのも、発想と言動の下品さでは似たようなものだ。
遺伝子の呪いは怖い。
眼前にはトレンチコートを羽織った茶髪の紳士が柔和に微笑んでたたずんでいる。
左足が不自由らしく体幹がやや不安定だ。年の頃は二十代後半から三十代前半にかけてか、あらゆる人種の平均値をコラージュしたような無個性な顔立ちが年齢を推定させない。
だがその振る舞いには負傷した少年への思慮と配慮が感じられる。こんな街には場違いな好青年といえた。
カラスに似た純黒の瞳は温厚な知性を韜晦に包み、凪いだ微笑を浮かべている。
怪しい。
胡散臭い。
スワローは他人を信じない。
他人の善意になど期待しないし、万一窮地で手を差し伸べられても無防備にとったりしない。
従って突如として現れた謎の男と往来を、極大の不信と嫌悪も露わに牽制する。
「はァ?なんでテメェの部屋に行かなきゃなんねーんだ、今会ったばっかだろ」
「目の前に怪我して今にも倒れそうな子がいたら普通そう声をかけないかい?」
「それがこの街のフツウかよ?随分とお人よしだな」
「さっき逃げてった子たちと喧嘩したのかな。いや、様子を見ると一方的に袋叩きにされたのか」
「あ?あのクソザコどもに俺がボコられたって言ったか今。知ったふうな口きくな、喧嘩売ってんのかよびっこ野郎」
「ちがうのかい?」
「全然ヨユーだよ、わざと逃がしてやったんだ。俺様が本気だしゃ顎の一蹴りで脳髄揺さぶられて一発KOだ、けどまァそれやると自警団がでしゃばってメンドイかんな、テキトーに転がして切り上げて……」
「血」
「ん?」
「頭からもでてる」
つられて自分のこめかみを拭えば赤い血が手の甲をべっとり濡らす。スワローは露骨に顔を顰める。
「瓶で殴られたの忘れてた、どうりでズキズキしやがるはずだ」
「大丈夫かい?」
「大袈裟に騒ぐな、皮膚が切れただけだよ。頭の怪我は浅くても見た目が派手だから知らねー奴はびびるんだ」
妙になれなれしい奴だ、調子が狂う。
本当に俺の怪我を心配してるのか?
よそ者同士気色悪いシンパシーでも感じてるのか?
だったら迷惑千万、こちとらだれともなれあう気ねえってのに……ましてやコイツはピジョンにちょっかいかけた、俺のモノに手を出した。
自分の目の届かない場所で兄に近付く男にあっさり心を許すほどスワローはお人よしでもないし、いわんや寛大にもなれない。
「何があったの?」
「失火?放火?」
「路地でバカ騒ぎしてたガキどものしわざかい、だからあたしゃ言ったんだ、あんなアホどもはとっとと街からつまみだしちまえって」
「さっきの悲鳴、ありゃ二階のジェニーじゃないかい?助かったのかい?」
路地の失火に驚いて隣近所の住民たちが往来に溢れて出て騒々しさが増す。
あばずれ小娘の救援信号や日常茶飯事の喧嘩には無関心無反応を通したが、延焼して危険が迫るとなると呑気に構えてはいられないらしく、消火器やバケツに組んだ水をひっさげて様子を窺っている。
慌てる者怒る者不安がる者、煙が漂う路地の入り口に物見高く詰めかける野次馬たちに動揺の波紋が広がっていき、それと同じ磁力の強烈な好奇心が覗く。
人間はとことん利己的な生き物だと呆れ半分感心半分、混乱して右往左往する住民たちを冷たく眺めるスワローの耳を、どこかで聞いた濁った怒号が抉る。
「テメェら邪魔だどけっ、火事はどこだ!?」
「自警団がきたぞ!」
「遅い、今まで何してたの!」
「昼っぱらから飲んだくれてくだ巻いてたんでしょ、ゴロツキ上がりはこれだから……」
「火元は路地の奥よ」
子どもを抱いた主婦たちが姦しく囀り、職にあぶれて暇を持て余した宿六たちが喧しく喚く。
まずい。
路地の入口に殺到した大勢の住民が、空気に乗じて煙が流れてくる方角を指さして報告する。
「ぼけっとすんな、行くぞ」
「え?」
当惑する紳士の右膝裏を蹴飛ばす。左足にしなかったのはスワローのやさしさだ。
蹴られた衝撃で取り落とした杖を拾い上げ、わけのわからないとぼけ顔で見上げる男に詰め寄り、親指で肩越しに後方をさす。
野次馬を乱暴に押しのけ蹴散らし、憤然たる大股で沸き出た自警団のメンバーは犯罪者に勝るとも劣らない世間擦れした悪相ばかりで、先頭の男は鼻が顎が角張って頬骨が高く突き出、一際凶悪な面構えをしている。
忘れもしない、検問所で因縁をふっかけてきた天敵だ。
大挙して押しかけた自警団の視界に入らぬよう頭を低め身を屈め、よろめく男の腕をとって引きずっていく。
「見つかるとやべえ、テメェの部屋に上げろ」
緊急避難に方針転換、男を隠れ蓑に急いで移動する。
連中とは遺恨がある。スワローに非がなくてもたまたま現場に居合わせただけで……最悪息子と揉めた一件を根に持って冤罪をでっちあげられかねない。
恐喝を拒否られ、仲間の前で恥をかかされた私怨が絡んでいるのは言うまでもない。
使えるものは落ちてる棒でも立ってる案山子でも利用しろ。
それこそ逆境を切り抜けるスワローの知恵、経験則に基づく処世術だ。
「わかった、ついてきて」
さっきとは180度正反対のことを言うスワローにあっけにとられるも、そつのない笑みで快く了承する。
男を盾にしつつ腰を屈め慎重に移動、巧みに死角を縫って野次馬のざわつきを無事通過する。
「もう消し止められてるじゃねえか、とんだ無駄足だ!」
「すっとんできて損したぜ、飲み直しだ」
「アレ見ろよ、屋根の上に子どもいる。新手のかくれんぼか?」
「おりれなくなったんじゃねえか」
「おろしてやりなよアンタたち、自警団名乗るならちょっとは街の皆のために働きなよ」
「ていうか今さら来ても遅いんだよ、もう五分早く来いよ」
「生意気に意見すんじゃねえ、誰のおかげでこの街がもってると思ってやがんだ」
「少なくともアンタたちのおかげじゃないね、治安を悪くしてるよ」
「賄賂をとって飲んだくれる以外にやることないのかい、鎖で繋いだうちの番犬のほうがよっぽどいい仕事してるよ」
怒声と罵声が交錯、路地の入口で憤懣やるかたない住民と粗暴な自警団の諍いが勃発する。
怠慢をなじられたゴロツキ上がりの自警団もとい自警団崩れのゴロツキたちが荒っぽく相手を罵倒し、腕に覚えのある住民が負けじと応戦。バケツの汚水をぶっかけて消火器で拳を受けての乱闘を演じる中、騒音が上手く気配を消してくれた。
往来を渡りきってアパートに到着、刹那バランスを崩す。
「貧血かな?大きな声を出すから……」
「ほっとけ」
頭の血を失いすぎたのだろうか?
親切ごかした男の申し出に従うのは癪だが、早く手当てをしなければ……立ち眩みに襲われよろめくスワローに肩を貸し、軽快に杖を振ってあちこち落書きだらけの階段をのぼっていく。
べたべたすんな気色悪ィ、離れろ。
元気だったらそう叫んで押しのけたいところだが、本調子じゃないのでぐっと我慢する。
階段で暴れたら今度こそ真っ逆さまに転落し頭をかち割りかねない。
お気楽を装う男の横顔を用心深く窺う。
喜色の滲む口元がかすかに歌を口ずさむ。
「Something old, something new,something borrowed, something blue,and a sixpence in her shoe……」
なんだコレ。聞いた覚えがある。マザーグースか?
至近距離での不躾な注視に男は口を噤み、はにかみがちに弁解する。
「ごめん、癖なんだ。気付くといつも唄ってしまう」
「あんまりうまくねーな」
「手厳しいね」
特別上手くもなければ酷い音痴でもない、万人を酔わせる歌手のごとき美声でもない。
ただなんというか、漠然と不安になる。滲み広がるインクの染みのような、どうしようもない違和感が膨らんでいく。聞く者の耳と心をサンドペーパーで擦り立てるようにざらつかせる不穏な歌声だった。
アパートの階段は不衛生だ。萎びた煙草の吸殻や使用済みコンドーム、壊れた注射器などのゴミが散乱している。
「……ジャンキーが巣食ってんな」
「皆いい人だよ」
「クスリさえ打たなきゃな」
ガムの残骸がこびりつく皮膚病を患う階段をのぼりきり、同じく景観を損なう廊下を経て、男の部屋に導かれる。
「ようこそ僕のアトリエへ、歓迎するよ。記念すべき最初のお客さんだ」
妙にはしゃいだ口調と声音で述べ鍵を開ける。
開け放たれたドアの向こう、まずとびこんできたのは壁際に寄せられた何枚かのキャンバス。中央は木製の画架が占拠し、ただでさえ狭苦しい部屋の閉塞感を増している。羽目板には薄く埃が積もり、独身所帯で掃除が行き届いてないのが窺い知れる。
スワローに肩を貸し、朝飯だか昼飯だかの名残りが放置されたテーブルへ連れていく。
彼を椅子に下ろしてからトレンチコードを脱ぎ、もう一方の椅子の背に掛ける。
「人を入れるのは初めてだ」
「近所付き合いねぇのかよ」
「そんなことない、皆気さくに接してくれる。けどね……恥ずかしながら売れない画家のアトリエ兼貧乏住まい、こんなに散らかってちゃお茶でもどうぞって気軽に誘えないだろ?いつも玄関先で立ち話じゃ悪いと思ってるんだけどね」
「男やめもめに蛆が沸く、売れない絵描きにゃ何が沸く?」
「え?」
「ちょっとしたなぞかけさ。答えは?」
「えーと……シラミ?ダニ?」
「沸いてんのかよ、きったねぇ」
「……ひょっとしてからかわれた?宣戦布告 ?」
男が苦笑いで首を傾げる。ちなみに正解は用意してない。
椅子に座ったまま伸びあがり窓の外を目視。路地の入口に詰めかけた野次馬が三々五々散って、それぞれ家路を辿るのを確認する。自警団の連中も帰ったようだ。小さく安堵の息をもらす。
アイツらが消えたんならもう用はねえ。とっととずらかろう。
得体の知れないヤツのねぐらに長居する気は毛頭ない、たまたまお人よしが沸いたからのっかっただけだ。テーブルの縁を掴み、まだ朦朧とする頭を片手で支えて立ち上がる。
そのまま一抹の未練も一片の罪悪感すらなく、手厚く招じ入れられたアトリエを後にしかけて……
窓の外の異変に目が吸いつけられる。
「……何やってんだアイツら」
窓の向こう、この部屋のほぼ正面にジェニーたちが住むアパートが建つ。
玄関の上、トタン屋根のアーチで小さな兄弟が途方に暮れて泣きじゃくっている。ジェニーのクソ生意気な弟たち……ジェリーだっけジュリーだっけ?弟が青いスニーカーを片手にぶらさげてる事情から察するに、アレを取りに行ったのか。
ほんの数秒考察を巡らし、スワローは一人納得する。
「天井桟敷の兄弟コントか」
瞬間、兄弟に降りかかった人災の発端であり全ての元凶でもあるスワローとジニーの目線が火花散る勢いで激突。ジニーの顔がみるみる赤く沸騰、脆いトタンの上にのっていることもド忘れし荒々しく地団駄踏む。
「放置プレイに目覚めるにゃ早すぎる」
口の片端に人さし指をひっかけ、怒り狂う兄弟に盛大に舌を出す。そういやジェニーは無事逃げきれたのだろうか?どうでもいいが。こんな事ならあいつらが沸く前に一発ヤッとくんだった、おあずけくらって欲求不満だ。
いつのまにか奥の寝室へ消えた男が救急箱をとって戻ってくる。卓上においた救急箱を開き、消毒液と包帯と絆創膏を用い、てきぱきと応急処置を施していく。逃げ遅れたスワローは渋々椅子に戻り、不機嫌にぶすむくれて、それでも大人しく包帯を巻かれていく。清潔な包帯が頭部に開いた傷を覆い、消毒液を染みこませた綿が傷を丁寧に拭いていく。
随分と手際がいい。医療の心得でもあるのだろうか?
「痛ッ……」
傷に触れられるたび鋭い痛みが走るが、弱みをさらす屈辱に肯わず歯を噛み縛る。
名前も知らない男にべたべた触られるのは虫唾が走るのが、治療費が浮いてラッキーと自分に言い聞かせ癇癪を宥める。
名前。
口を開いたスワローを制し、頭部に巻いた包帯をきっちり留め、片足の悪い紳士が自己紹介する。
純黒の瞳 を嵌めこんだ誠実な面持ちにごく控えめな含羞の笑みを添えて。
「申し遅れたね。僕はレーヴェン、先日この街に越してきたしがない絵描きだよ」
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