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第19話

「これでよし。大事なくてよかった」 「大袈裟にしねーでも唾つけときゃ治る」 「じゃあ裾を捲って胸を見せて」 「え?」 「そこも怪我してるだろ?早いとこ消毒しなきゃ雑菌が入って化膿するよ」 「……」 赤の他人に、それも男に乳首をいじられて悦ぶ趣味はスワローにはない。ピジョンはどうだか知らないが。 「自分でやっからいい」 「やりにくいだろう」 「やっぱりカラダがめあてか?」 脊髄反射でものすごく馬鹿っぽい返しをしてしまって内心忸怩たるものを感じる。 案の定レーヴェンはきょとんとする。沈黙が痛い。 「いや、自分じゃ外しにくいと思って……君がそう言うなら任せるよ」 どうやら納得したようだ。素早く消毒液と綿をひったくり、椅子に後ろ向きに跨って、完全に男に背中を見せる。血が染みたタンクトップを一瞥、言い訳が面倒くさいと顔を顰める。鈍感な母さんには転んだで通じそうだが、心配性とお節介焼きが手を繋いでダンスしてるようなピジョンはあれこれ口うるさく追及するに違いない。帰宅時に待ち受ける詰問とお説教を想像し辟易する。 裾を下顎に挟んで捲り、殆ど筋肉の発達してない処女雪の胸板をさらす。 痣すら艶めかしく映えるなめらかな胸、片方の乳首に安全ピンが刺さったまま痛々しく血を滲ませている。 『おそろいにしてやるぜ』 「……あの野郎……」 猥褻物陳列罪に指定したい下品な笑みがぶり返し、力任せにちぎりとりたい衝動に狂いつつ必死に耐える。 乳首にぶらつく安全ピンを軽くつつき、そっと針を外す。 こういうのは一息にやるのが肝心だ、痛みを感じる暇など与えずに。 生唾を呑んで覚悟を決め、キツく目を閉じ鋭く尖ったピンを引き抜く。 「いっでえ!!」 微電流のような疼痛が生じ、思わず椅子を蹴立てて叫ぶ。 畜生いてえじゃんか目ェ瞑ってるあいだに終わるんじゃねえのかよ?椅子の背に突っ伏し、肩を震わせ悶絶する。人前で悲鳴をあげてしまったのは大失態だ。派手に痛がってヘタレだと思われたくない。片目を眇めおそるおそる腫れた乳首を見下ろす。漸く針が抜けた。 あとは消毒だ。 消毒液の瓶を傾け、清潔な綿に数滴たらす……予定が、傾けすぎてドバッと出る。舌打ち。 そばでじっと見られてると落ち着かない。 向かいの椅子に掛けたレーヴェンの純黒の目が、獲物を狙うカラスのような執拗さでスワローの動作を見守っている……否、監視しているせいで手元が狂う。 視姦が趣味か?絵描きなんて変態ばかりだからな。毒づきつつ消毒液が大量に染みこんだ綿を乱暴に乳首にあてがって…… 脳髄まで一直線に激痛が駆け抜ける。 「~~~~~~~っ゛!!」 「ものすごい痛そうだけど大丈夫?汗びっしょりだよ」 「見てわかること聞くなトンチキ!」 くそ、勝手に涙がでてきやがる。今まで乳首に怪我した事なかったから知らなかった、消毒液がじゅわっとしみてめちゃくちゃ痛ェ。 自分がとんでもない道化になりさがった気がして情けなくなる。とにもかくにも激痛に震える手で雑に血を拭きとり、絆創膏を貼っておく。 「はあ、はあ……」 ドッと疲れた。愚連隊との立ち回りより消耗した。そのまま椅子に深々沈んで、視界に押し迫る殺風景な天井を仰ぐ。レーヴェンが手際よく救急箱を片付ける。 「災難だったね、少し休んでいくといい」 「やけに親切だな」 「同じよそ者のよしみだよ」 気さくな微笑みを鼻で一蹴する。ふとレーヴェンの目線が、乳首から摘出された安全ピンに吸引されるのを察する。 「それどうするの?」 「また耳に刺す気にゃならねえな」 「くれない?」 おもいっきり眉をひそめる。レーヴェンが慌てて補足する。 「言葉足らずだったね。だれかが踏んで怪我するといけないし安全に捨てておくよ」 「廊下にゃ針の折れた注射器が転がってたけど」 「踏みつけて転落した人がいるんだ。危険物の処理には慎重を期さないと」 レーヴェンの主張をスワローは興味なく聞き流し、用済みになった安全ピンを弾いてよこす。 両手を皿にして受け取ったレーヴェンがこの上なく嬉しそうな笑みで顔中蕩けさせる。気持ち悪い。 タンクトップをおろして胸をしまい、不意打ちで聞く。 「アンタさ、兄貴のダチだろ」 「え?」 「うちのクソ兄貴が街でびっこ絵描きと知り合ったってほざいてた。よそ者のよしみで何かと気にかけてくれるとさ。画材とか食いモンとか使い走らせてンだろ」 「人聞き悪いけど、まあ事実だね」 「アイツは優しくしてくれりゃだれでもコロリとイカレちまうゆるふわオツムだからな。テメェが利用されてるのにもさっぱり気付かねーんだ」 「君のお兄さんはすごく優しくていい子だ、足が悪くて遠出できない僕の代わりに快く買い出しを引き受けてくれる。心ばかりのお礼を渡すしかできないのが歯がゆいよ」 レーヴェンはあっさり交友を認め、聞いてるこっちの耳が痒くなる勢いでピジョンを褒めそやす。べた褒めだ。気に食わない。 まじまじとスワローに向き合いレーヴェンが瞬く。 「偶然って怖いね、君が話に聞く弟さんか。彼には日頃世話になりっぱなしだけど、これでちょっとは恩返しができたかな」 なれあいは拒否したい。しかしピジョンがなんて弟のことを吹き込んだかは大いに気になる。 結局好奇心に負け、ふてくされた頬杖のまま目だけ横に流す。 「なんつってた?」 「やんちゃでとんでもない暴れん坊で口が悪くてすぐ手が出る困ったヤツ」 「~あの野郎……」 「女の子みたいにカワイイのにやることなすこと荒っぽくて怖がられる。自分と違ってなんでも口笛まじりにこなす無鉄砲な天才肌、努力というものをしらない。我慢がきかない堪え性がない、唯我独尊大胆不敵傲岸不遜、まだ11歳のくせに背伸びして煙草を喫うわ無修正のエロ本読むわ、勝手に刺青入れるわ耳を自前でピンだらけにするわで、そのうちクスリにも手をだすんじゃないか将来が心配だ。手癖も足癖もとことん悪い。まだ童貞でいてほしい」 頬杖がずっこける。 癇の強い目を据わらせ、兄の愚痴を流暢に再現するレーヴェンに凄む。 「あのさあ……盛ってね?」 「原文ママだよ」 「お生憎様、後生大事にとっといて腐らせるアイツとちがってとっくに捨ててる。うっかりヴァージンまでおっことしそうになったが」 「早熟だね。いや、今の子はそれが普通なのかな」 くそったれピジョンめ、あとで百回ぶん殴る。ひとのいねぇとこで好き勝手ぬかしやがって。 不機嫌を隠しもせず、床を蹴って当たり散らすスワローにレーヴェンは苦笑する。 「本当は優しいヤツ」 「……」 床を蹴り上げる足が宙で静止。 「世界でたった一人の弟。あんまり心配かけないでほしい」 「…………あっそ」 むしゃくしゃの次はむずむずする。陰口叩かれてた方がマシだ。せいぜいぶっきらぼうに吐き捨て、わずかに赤らんだ頬がばれないようにそっぽを向く。 野郎褒めるか貶すかどっちかにしろ、宙ぶらりんになるじゃねえか。さんざん迷惑かけられてるくせに心配こそかけないでほしいと願う、そういうところが大嫌いだ。いいヤツぶって反吐がでる。慣れない照れをごまかし強引に話題を替える。 「アンタさァ、どうしてこの街にきたの。特に見るとこねえし何の面白みもねーじゃん」 「それは見る人次第だね。一か所に安住してひきこもるタイプもいるけど、絵描きは基本旅好きなんだ。常に新しいモデルやロケーション、インスピレーションを求めて新天地をめざす。停滞は芸術を殺す、どんどん刺激を取り入れないと」 「創作意欲の赴くまま引っ越し三昧か。悠々自適だな」 「この街はいいところだよ、ほどほどに栄えてほどほどに寂れてる。自警団の堕落はどうかと思うけどね……でも名前の割に全然サボテンを見かけない、看板に偽りありだ」 「ガソリンスタンドの近くにゃいっぱい生えてるぜ」 「サボテンのステーキ食べてみたいな。結構イケるらしいじゃないか」 「そのナリじゃ引っ越しも難儀だろうに」 「助けてくれる人がいるから不便はしてない、友達もたくさんいるししあわせだよ。旅先では新しい出会いが待ってる、次はどんな子と友達になれるか想像しただけでわくわくする」 「年下好み?」 「え?」 「子って言ったろ。人じゃなく」 「あ、うん、そうだね。友達は君くらいの年頃の子が多いかな。若い子と波長があうんだ。大人はよそ者への警戒心が強くて親しくなるのに時間がかかるけど、子どもとはすぐ仲良くなれる。絵に興味があれば無償でアトリエを見せてあげる、みんな喜んでくれたよ。そうそう、数年前スラム出身のアンドリューって子と友達になったんだ。体を売って家族を養ってたんだけど、絵描きになる夢を諦めずに苦学して……パトロンになってあげるって言ったらすごい喜んでたな、僕のこと神様みたいって。暗い部屋の中で目をきらきらさせて、ロザリオに何度もキスして……とても綺麗な目をしてた」 「ふぅん、大陸中にダチが散らばってんだな。文通代嵩みそ」 どうでもいいキャッチボールに飽きて卓上に視線を投げれば、見覚えある雑誌がとびこんでくる。月刊バウンティハンターのバックナンバーだ。断りもなく手に取って暇潰しに読み飛ばす。 「絵描きさんも賞金首に興味があンのか」 「ああ……まあね。50万部の発行数を誇る大陸で一番有名な雑誌だろ?ご近所さんと話を合わせる為に読み始めたけどなかなか面白いね、読み物としても充実してる。いろんなネタを拾えて勉強になるよ」 「ピンクパンサースタンのデカチチはぜってーニセモンだ」 カラーグラビアの巨乳美女を上と下から透かし見て断言、嘘っぽい乳房を弾く。 「ずっと不思議だったんだが、賞金首の手配書はなんでみんなカメラ目線なんだ?はいチーズで正面向いてくれンのか。前科持ちなら収監時にパシャッてやられっからいざ知らず」 「アレはモンタージュさ」 「モン……なんだって?」 スワローが雑誌から顔を上げる。 「モンタージュ。視点の異なる複数のカットを組み合わせて用いる技法をさす映画用語。元々はフランス語で機械の組み立てを意味する、編集とほぼ同義の言葉だよ。現在出回ってる手配書は目撃者や被害者、複数の証言をベースに膨大なデータベースから極めてリアルなモンタージュを製作してるんだ」 「パーツを継ぎはぎして実際の顔に近付けてるってこと?」 「鋭い。君が生まれる前におきた戦争は知ってる?」 いきなり話が飛んで面食らうも、知らないというのはプライドが許さない。スワローは鼻を鳴らす。 「馬鹿にすんな。でっけえ国が核兵器や生物兵器ばかすかぶっぱなして、お互い殺しまくったんだろ」 「南半球は放射能に汚染されほぼ壊滅、人類の生存権は北半球の一部地域に狭まった。核兵器や生物兵器の弊害か、生き残った人類の中に障害や異能を持った|新人類《イレギュラー》が登場する。全体からすれば極少だけど……失礼、話が逸れた。そんなわけで、文明は馬や牛を使って畑を耕してた頃にまで後退してしまった。昔は人間の代わりになんでも電算してくれる便利な箱があったらしいけど、大戦の終盤に殆どが灰燼に帰して使える人材も払底してる。案外人類にとってのパンドラの箱だったのかもね」 「インテリさんだな。ためになる講義ですこと」 「そうでもない、戦争だって僕が生まれるずっと前のことさ。……昔のひとはその万能の箱になんでも任せきりだった、軍事も生活も……核を撃つタイミングすらね。大戦終盤の混乱期に世界中のシステムが狂いだして、めちゃくちゃな弾道で核を撃ち込んだとか、はては自国を滅ぼしたとか、いろいろ都市伝説が伝わってる」 「|人食い網《イーターネット》だな、聞いたことある。世界中に張り巡らされた見えねー網がこんがらがって、すげーパニックになったんだ。戦争の終わりに落っことされた原爆や水爆の何割かはソイツの|暴走《バグ》なんだろ?えーあいの反乱とか言われてる」 「そんな経緯のせいか、一般人の間では一種のタブーとして敬遠されてる。賞金首のデータを打ち込むと同時に再現してくれる箱があれば、賞金稼ぎの仕事も今よりずっと楽になってたろうにね」 レーヴェンがにこやかな微笑を絶やさず続ける。 「大勢殺せば殺すほど有名になり全国から情報が殺到する、よって合成の精度も増す。犠牲者が少なく名前が売れてない小物はそうはいかない、顔立ちもピンボケで巷に出回る情報はごく少ない。つまりは」 「逃げるが勝ち」 「正解」 レーヴェンが我が意を得たりと肩を窄め、おどけて両手を広げる。 「逃亡生活が長引くほど知名度が上昇し方々から特定に足る情報が殺到する、本末転倒なシステムさ。おまけに更新には|時差《むら》がある。潜伏中に身体的特徴を変えてる可能性も捨ておけない」 「髪は染められる。瞳はカラコン。肌は焼けばいい。ホクロは削りとれる。顔は整形かメイク。ちょっと値は張るが全身整形も……別人に化ける手段はいくらでもある」 「いざ捕まえてみれば手配書と全然似てないなんてよくある話さ」 「とんだ茶番だな」 「遺伝子鑑定は体液がいる。しかも設備が整ってなきゃできない」 「歯の治療痕はデータベースとの照合が面倒。医者にかかってる保証もねえ」 「お手上げだね」 世情が混乱し管理体制が杜撰になるほど別人に成り代わるのは容易だ。億単位の個人情報が電子上にデータベース化され厳重に保管されてた昔と違い、今は手作業が殆どを占める。あちこちでぽこぽこ産み落とされる娼婦の私生児には戸籍を持たない者も多い。スワローとピジョンも戸籍はない。 話題が途切れたタイミングをつきレーヴェンが椅子を引く。 レーヴェンが去るのを待ちテーブルに雑誌を投げおき、何か面白いものでもないかと周りを見回す。 壁際に大量に立てかけられたキャンバスの手前の一枚、曇り空の下の荒れ果てた墓地だか庭だかを描いた絵が目にとまる。 「うげ。しんきくせェ絵」 絵の趣味まで悪ィ。コイツは売れねェはずだ。 商売っ気のない絵の事はすぐに忘れ、キッチンの男に呼びかける。 「なァ、煙草もってる?」 「悪いけど喫わないんだ」 舌打ちしズボンのポケットをまさぐる。丸い感触……子どもだましの飴玉に用はねえ。 「あった」 新品の煙草が一本、ポケットの底に残っていた。しめしめと咥えて火をさがす。 マッチは……くそ、切らしてる。 向かいの椅子に掛けられたトレンチコートの胸ポケットが四角く膨らんでいる。 いちいち断り入れるのも面倒くさい。家主はお茶の支度中でこちらに見向きもしない。 スワローの勘は見事に当たる。トレンチコートの胸ポケットを探り、取り出したのは純銀のジッポライター。一目でわかる高級品。スイッチを押し込む。カチカチと音が鳴るも火は点かず、手荒く上下に振り立てる。 「畜生、オイル切れだ」 使えねえ。いっそパクっちまうのはどうだ?絵描き風情に持たせとくには惜しいイカしたライターだ。胴体にゃご丁寧に「S」の頭文字が彫られてるし私物化しても怪しまれねえ。いや、やっぱ質に流すか…… 腹立ちまぎれにライターを放り上げ、片手であざやかにキャッチする。 「……S?」 Rじゃねえの? 気を取られた拍子にコントロールが狂い、傍らの屑籠に落っこちる。舌打ち一つ、屑籠に手を突っ込んでゴミをひっくり返す。くしゃくしゃに握り潰された紙屑がおもむろに転げ出て足にあたり、書き損じの線が垣間見え、気まぐれにそれを開く。 ピジョンがいた。 コーヒーだろうか、どす黒い染みがナプキンに広がっている。よく描けた似顔絵だ。本人が見たら喜びそうだ。 「…………」 レーヴェンは部屋にひとを入れるのは初めてだと前置きした。 従ってピジョンはここに出入りしてない、買い物の引き渡しも玄関先で済ませている。 売れない絵描きが知り合いの少年を記憶頼みにラフスケッチするのも、ありえないことではない。本来目くじら立てる程のことでもない。ならば何故屑籠に捨ててあった?出来が気に入らなくて?コーヒーを零したから?それにしては染みのでき方が不自然だ。故意に狙って落としたように、ピジョンの顔に丸く集中している。 煙草を喫わないレーヴェンが何故ライターを所持していたのか? 何故ピジョンの似顔絵が屑籠に捨てられていたのか? 何故オイルが尽きていたのか? 路地の放火犯はだれだ? あの路地はアパートの裏口に通じてるとジェニーは言った、レーヴェンはそのアパートを直接抜けてきた……。 すべて計画通りだったら? 違和感の断片が連鎖し、何かおそろしい悪意の産物の全体像を炙りだそうとする。 「待たせたね」 キッチンから戻ってくる足音を聞きつけ、屑籠にゴミを詰め直し見つけたライターをポケットに突っ込む。 「冷めないうちにどうぞ」 盆にのせて運んできたコーヒーカップは何の変哲もない白地の陶製で、柄がそれぞれ反対を向いている。 そのうちスワローの方を向いたカップを手に取り、本人の前におく。レーヴェン自身は手前に位置するカップをとり、元の席へと戻る。 「…………」 さりげなくを装い柄に指をひっかけ、緩慢に口に運ぶ。芳醇な香りと仄白い湯気が顔をなで、喉の渇きを意識する。目線を下ろす。タンクトップにできた血のシミは茶褐色に乾きつつある。 「なあ、さっきから言おうと思ってたんだけどこのゴミ箱超じゃま。蹴っ躓く」 カップを持ったまま反転、椅子に後ろ向きに跨って足元の屑籠をつまさきでつつく。 「ごめん、気付かなくて」 レーヴェンが低姿勢で謝罪し、椅子から腰を浮かせ屑籠を移動させる…… その時。 スワローの手をすりぬけたカップが床に落下、コーヒーを撒き散らして真っ二つに割れる。椅子ごと倒れ床に突っ伏したスワローは微動だにせず、完全に昏倒している様子だ。屑籠を隅に追いやって戻ってきたレーヴェンが、スワローの傍らに跪いて心配げに呟く。 「量が多すぎたかな?」 念のため脈をとる。正常だ。呼吸もある。ひとまず安堵して再び席に着き、自分のコーヒーを飲み干す。 茶褐色の液体を干したあと、底に沈んだ金属片が波に洗われ姿を現す。 波が引いて打ち上げられた、泥の底で光るもの。 「ごちそうさま」 スワローから回収した安全ピンに丁寧に舌を這わせ、コーヒーの残滓までも表裏しゃぶり尽くし、レイヴンは言った。

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