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第21話
とんとん拍子に事が運んだ。笑ってしまうくらい順調だ。
「この街のコーヒーは酸っぱいからね。大事なお客さんには特別に淹れたのをお出ししたんだ」
すぐ足元の床には逆立つ金髪の少年がぐったりとうつ伏せている。
脈拍と呼吸は正常だが念を入れていつもより多く薬を盛ったので当分意識が戻らないだろう。しゃがんでカップの破片を一つ一つ拾い集め、屑籠に捨てる。
少年の手元に純銀のライターと真新しい煙草が落ちているのが目に入り、おもわず苦笑する。
「手癖の悪さもスティーブそっくりだ」
試しにスイッチを押すも不発、小刻みな金属音が連続する。
それもそのはず、オイルを使いきってライターの中身は空だ。
言うまでもないが、路地の放火犯はこの僕だ。
あの時路地裏では鉄パイプや酒瓶が風切る大乱闘が演じられていた。裏口から忽然と顔を出した男になど誰一人注意を払わなかった、意識から存在を弾きだしていた。角材や木箱などの廃材がうずたかく積み上がり折よく死角に入っていたのも幸いした。
角材にライターのオイルを撒き、残り僅かな燃料で着火する。
ここは|サボテン《カクタス》の名を冠す砂漠のど真ん中の街、空気は乾燥しきって一度火が点けば燃え広がるのは容易い。
あの場では速攻火を燃え上がらせパニックを誘発する必要があったから、遠慮なく使わせてもらった。
「火を貸してくれてありがとうスチュアート。相変わらず情熱的だね」
洗練された曲線を描く「S」の刻印をなぞり、心からの感謝を伝える。
これはやきもち焼きで情熱家だったスチュアートの|遺品《ヴィクテム》にして|戦利品《コレクション》。
僕自身に喫煙の習慣はないが、|友達《ヴィクテム》になる前の彼は未成年のくせに結構なヘビースモーカーで、イニシャル入りのライターをどこへ行くにも持ち歩いていた。
そう、死ぬ時にも。
ライターを懐にしまい気絶した少年の上に屈み、口端に指をひっかけこじ開ける。
暴かれたピンクの粘膜、上下に並んだ歯と奥歯を直接触れて確かめ、頬の内側を揉みこんで歯茎をぐにぐに押す。
「虫歯はない。健康そのものだ」
エモノを選ぶなら実際に目で見て手で触れて舌で味あわなければ。
それが暗闇の光を愛する殺人鬼、ゴミ溜めの宝を拾うレイヴン・ノーネームの信条だ。
僕はそれを実践した。
コーヒーカップの底で飲み残しの安全ピンが光っている。五分前まで彼の柔肌を痛々しく飾っていた安全ピン。漉したコーヒーを含むとほんのかすか血の味がした。茶褐色の表面に錆が浮いてる気がしたのはそのせいだ。
それにしても、こんなに上手くいくとは思わなかった。
沸々とこみ上げる狂喜の渦の底から満悦の笑みが滲み広がる。まさに一目惚れ、運命の出会い。聞いてないのを承知で少年の金髪を梳きつつ、喜悦で鞣した睦言を囁く。
「本当はお兄さんに友達になってもらう予定だったんだけど、君の目と耳朶に光るピンが、僕の心をたちどころに掴んでしまった。口の悪さも利かん気の強さもスティーブとうりふたつだ」
大勢の敵に囲まれた絶体絶命の窮地で、路地の奥底の荒廃した暗がりで、しどけなく前髪舞う彼の目は爛々と尽きぬ憎悪を滾らせていた。
逃亡生活を続ける日々の中何人もの少年の最期を見届けてきた、この目に狂おしく焼きつけてきた。
しかし彼の目はそのどれとも違う、ロザリオの鎖を巻かれて窒息したアンドリューともライターで髪を炙られたスチュアートとも指輪で鼻を砕かれたレオナルドとも違う、命乞いをする犠牲者たちのどれとも違う。
少なくとも僕は、あんな計算高い目をした人間を犠牲者とは呼べない。
どれほど圧倒的に不利な状況でもどれほど致命的に劣勢な戦場でも、とことん生き汚くあがき抜く意志力を秘めた苛烈な眼光。
シャベルで殴られ成す術なく生き埋めにされたスティーブとは対極の叛逆の相が、少女の儚さと少年の鋭さを奇跡的な均衡で併せ持つ容貌に地獄から這い上がる|強靭《タフ》さを加え、鮮烈に彩る。
愛おしげな手つきで髪に指を通し、戯れに離す。
きめ細かくすべらかな頬を片手で包み、形よく尖った顎をねっとりさする。
少年は起きない。
すぐそこに命の危険と貞操の危機が迫る現状にも我関さず無防備に失神している。
引き締まった首筋から鎖骨の膨らみをくりかえし愛撫し、唇が紙一重で触れ合う距離に迫る。
完璧な弧を描く瞼と通った鼻梁、俗悪な魂が寝静まったノーブルな目鼻立ちを間近で観察して評す。
「君たちは似てないね」
彼の兄……年はそう離れてないだろう、せいぜい二つか三つそこらか。ピンクゴールドの猫っ毛と誠実そうな顔立ちが印象的な、善良な少年だった。
いまどき珍しい善行の美徳を知り、他人へ施せる稀有なる少年。
彼には大いに好感を抱いていたが、直線で火の玉にも突っ込んでいくこの少年の攻撃性とそこらの木に片っ端から鳥小屋をかけて回るようなあの少年の博愛精神は対極的だ。
「お兄さんに近付いたのに下心があったのは否めない、素直に謝罪しよう。彼はとても親切で素敵な子だ、街を離れる前にぜひ友達になりたかった。世間話のついでにいろいろ聞きだしたよ、母親は娼婦でやんちゃな弟が一人いる、トレーラーハウスに乗って全国を旅している……逃亡生活が長引いて僕もほんの少し有名になってきた、ターゲット選びは以前にも増して慎重を期さなきゃいつどこでボロがでるかわからない。新しいターゲットは同じよそ者から選ぼうって決めていたんだ」
そうむずかしい事ではない、ターゲットを絞る為のリサーチを怠らなければ。
下階の主婦やご近所と親しくし、まめに噂を集め人の出入りに注意を払った。街はずれの丘向こうのガソリンスタンドに流しの娼婦がやってきた、そこで寝泊まりして客をとっている、十代前半の息子が二人いる……
街の人間はよそ者の行動に敏感で、毎日面白いように情報が手に入る。
尤もあのお人よしな少年は、僕の秘された思惑になどてんで気付かなかった。女手一つで育ててくれる母に少しでも恩返ししたい、家計の足しにしたいと怪我人や病人の頼みを聞いて心ばかりの駄賃をもらう日々に何の不満もないように見受けられた。タダ同然でこき使われる様子には同情したものだが、善意から出た彼の行動に好感を抱き、あの主婦のように偏見を改める住人も少なくなかった。
だからこそ僕は、彼をご奉仕係に任命したのだ。
「彼こそ正しいご奉仕係だ」
彼は少しアンドリューに似ている。
シャイではにかみ屋、内気で弟妹思いだった男娼の少年と。そこに惹かれたのかもしれない。だが僕はあっさりと弟に乗り換えた。彼の方がより好みの年齢に近くタイミングが合った。予期せぬハプニングやトラブルの出来時は、予め温めていた計画を柔軟に微修正するのも生き延びる知恵だ。
「ああそうそう、大事なことを忘れていた。ちょっと待ってて」
腰を上げ窓越しに向かいを見る。
反対側のアパート、玄関のアーチの上、小さい兄弟は泣き疲れ大人しく立ち尽くしている。先程までうるさく喧嘩していたが、今では仲直りしたらしく手を繋ぎ合っている。
「仲良きことは美しきかな。素晴らしい兄弟愛だ」
こちらの異変に気付いた様子はない。
彼が居る時はカーテンを閉められなかった、こんな晴天の青空が広がる真っ昼間にカーテンを閉めたら怪しまれる。正面の兄弟に決定的な瞬間を目撃される懸念はあったが、対話の位置を調整することでうまくごまかせたと思う。万一兄弟が目撃していても、この距離からでは事の詳細は把握しきれない。
ましてや相手は子ども、自分が見たもの耳にしたものがなにを意味するか理解してるか甚だ怪しい。少年が倒れた時僕は屑籠をよけていたから、彼らがその瞬間を偶然目にしても勝手に椅子から転げ落ちたと誤解したろう。
そしてなにより、僕は今回の仕事を終えたらすぐに部屋を引き払い街を去る予定だ。
「逃げるが勝ち、消えるが利口。君の言う通りだ」
当事者が証拠を持って消息を絶ってしまえば、幼い目撃者の証言の信憑性は暴落する。
窓の前に立って両側に手をのばし、貧乏くさく色褪せたカーテンを叩き閉じる。
これでじゃまは入らない、ようやくふたりきりになれた。
あの子たちは泣くのに夢中で、向かいの部屋でこれから行われることなど知りもしないだろう。心配していたアンドリューにはすまないが、いずれ大人が助けてくれる。激しく泣きじゃくって注意をひきつけてくれればかえって好都合、ちなみに自警団は「遊んでるんだろう」と片付け帰ってしまった。とんだ無能だ。
埃舞う薄暗がりに部屋が沈み、期待を孕んだ衣擦れの音がさざなみだつ。
けだものじみて呼吸を荒げ、華奢な手足を組み敷きのしかかる。
天使のように安らかな寝顔。
口を開けば下品で凶暴だが、瞼を閉じた表情はあどけなく、少年期のもっとも美しい一瞬を固めた無垢の結晶の透明感すら感じさせる。
暗闇で光るものが好きだ。
友達に選ぶなら大人になってしまう前の子どもがいい。
この世界が永遠に続く暗闇なら僕はゴミをつつくカラスよろしく呪われた下賤な生き物だ。
鋭いくちばしで肉を啄み、血を啜り、腑を散らかす。不吉に啼き騒ぎ皆に嫌われ遠ざけられる。
世界に爪弾きにされた嘗ての僕と同じような子どもだけが、あの光の美しさをわかってくれる。僕が美しいと思うものに共感して、許してくれる。
顔も知らない親に与えられた6ペンスコインではない、僕が自力で見出し価値を認めた宝物……
無防備に横たわる少年の首筋をなめあげる。
行為を中断したのは下半身から響く無粋な音。
これから本番だったのに……お楽しみを取り上げられ舌打ちしかける。ズボンのポケットから引き抜いてボタンを押す。
「もしもし」
『あー……レイヴン?』
若い男性のやる気のない声が流れてくる。
彼はいつも眠たそうだ。慢性低血圧を疑うアンニュイぶり。
「久しぶりだね」
『調子はどう。なんか困ったことでもある?』
至極どうでもよさそうに聞く。彼からの電話は無碍にできない、今後の身の振り方に影響する。
「いや、特には。君たちの協力もあって快適に過ごさせてもらってる」
これは本当だ。現在の僕は彼らなくしてはありえない、その点深く感謝している。僕は自分が手に持った、薄平べったい長方形の板を凝視する。なめらかな手ざわりはプラスチック製か。
板の向こうから鼻で笑う気配が伝わってくる。
『毎度ご贔屓にどうも』
「……何度体験しても板がしゃべるのは慣れない。昔はすごい端末があったんだね」
『電話とおなじだろ?まー戦争からこっち文明も後退しちまったから面食らうのもわかるが。コイツだって立派にロストテクノロジーだもんな』
「ケイタイだっけ、電話の進化バージョンなんだよね。なんだか化かされた気分だ、君は魔法使いかい?」
『悪党を|お手伝い《ナビ》する水先案内人ってトコ』
面白くもおかしくもない気怠い声がまぜっかえす。
笑うところだろうか?テンションが終始一貫フラットすぎて彼の冗談はわかりにくい。
「それで?何か用」
『定時連絡を兼ねた様子見と二・三コトヅテ』
目の前にごちそうがあるのにお預けをくらって長話に付き合わされるのは辛い。床に倒れた少年をちらちら気にしつつ適当に切り上げるタイミングを窺う。焦燥に狂いそうな僕の胸中など一切汲まず、ケイタイ越しの男はひどく事務的で平板な声音で述べる。
『そっちの住み心地はどう?』
「ちょっと狭いけどこの位がちょうどいい。街もいいところだよ、よそ者に厳しいと聞いてたけどチップを撒いたせいか思ったほどじゃない。目立つのは避けたいから大人しくしてるけどね……ご近所ともそつなくやってる」
『組織が用意した|偽の履歴《カバー》で通してる?』
「今のところ怪しまれた形跡はない。僕は旅好き引っ越し好きの売れない画家さ」
『その足じゃなにかと不便だろう』
「そうでもないさ、かえって親切にしてくれる。友達もできたし」
『トンズラ前に一仕事するつもりか』
声を低めて問われ笑ってとぼける。引っ越し癖のある売れない画家というのは、もともと組織が僕を診断しあてがった素性だ。
エージェントが属し、度々僕が世話になる組織―「マーダーズ」。
その実態は謎に包まれ、探りを入れようとした身の程知らずは速やかに消される。僕がいま耳にかざし会話している携帯も、唯一の連絡手段として組織から|支給《デリバリー》されたものだ。
『聞いた俺が馬鹿だった、答えなくていい。聞いたって胸糞悪くなるだけだ、変態の自分語りは反吐がでる』
「自分から振っておいて酷い言いようだ」
『真っ赤な事実だろーが』
「時々イントネーションおかしいけど君よその国の人?」
『さぐるな。消すぞ』
「怖い怖い。いじめないでよ」
このエージェントとはそこそこ長い付き合いだ、もう数年になるだろうか。
顔はおろか本名も現在地も知らないが、倦怠感漂う不真面目な態度とは裏腹に仕事は確実で信用に足る人物と評価している。
『お前のようなド腐れ変態の性倒錯の強姦魔は呪われて死んだほうがいいと思っている』
冷たく軽蔑しきった声音から生理的な嫌悪が滴り落ちる。
「手厳しいね」
すれ違いは切ない。
『今のが俺の本音だが、仕事だから一応忠告しといてやる。懸賞金上がったぞ』
「僕の?」
『他にだれがいるよ、おめっとさん』
全然おめでたくない調子で祝福され、やる気のない拍手をサービスされる。困惑するほかない。不審な沈黙が相手にも伝染する。
『……マジで知らね?情報遅くね?月刊バウンティハンターに載ってるぜ。それか最寄りの保安局にひとっ走りしてこい』
「賞金首が保安局に行くって自殺行為じゃない?捕まえてくださいって言ってるようなものだよ。ついでに最寄りの保安局はここから30マイル離れている」
『まさにカモネギ。あそこ懸賞金の申請手続き中の賞金稼ぎや一時身柄預かりの賞金首、続報待ちの遺族が列作ってんだろ?』
「行ったことないから知らない、そこまで命知らずじゃないさ。でも急にどうして……」
『大量殺人鬼は一種の人災指定されてる。竜巻や山火事、洪水と一緒。んで被害者やその遺族にゃ補償金がでる。ここまでOK?』
「常識だね」
いまさら説明を受けなくても、その程度の知識は当然所有している。
世界が荒廃しきって殺人鬼とその犠牲者が増えすぎた昨今、彼らは一種の人災……人の形をした災害に指定され、被害者および遺族には補償金を申請する権利が認められている。
『お前が6年前に殺ったガキ……えーっとなんだっけ』
「アンドリュー?」
『そうそれ。そいつの弟妹どもが自分たちの稼ぎと国から出た補償金の一部をぶっこんだんだ、んで一気に爆上がりしたわけ』
「へえ」
意外な事実に素直に目を丸くしため息をつく。
アンドリューは長男で下に七人の弟妹がいた。すぐ下の弟は14歳だと言っていたからもう成人している。弟妹が結束して稼いだ金と、国から認可が下りた補償金の一部を兄を殺した犯人への復讐に注ぎこんだのならなんとも素晴らしい美談だ。
「本当に慕われていたんだね。いい話じゃないか」
『お前がそれを言うかよ……』
僕の感慨に脱力誘われエージェントがあきれる。僕個人は遺族に恨みはないし興味もない。親に頼られ弟妹に慕われるアンドリューというかけがえのない友を得た喜びと、彼を選んだ自身の慧眼を再認識し、ひそやかな愉悦に酔う。
『ついでにヴィクテムも更新されたぜ』
「へえ?なんだろう」
そちらの話題の方がむしろ興味を引いた。
ヴィクテムとは被害者および遺族が取り決める殺人鬼への私刑にして個人罰、どうかするとただの死より恐ろしい代償を払わされる。僕のヴィクテムは……さてなんだったか、あんまり関心がなく忘れていた。ちなみに犠牲者が複数いる場合、もっとも高額の懸賞金を払った人物の希望が最優先される。
板から聞こえる声に耳を澄ます。答えを聞いて目を見開き、すぐに腑に落ちて笑み崩れる。返事を返す僕の声は、いっそ無邪気といえるほど弾んでいた。
「うまいこと考えたね。たしかにそれを奪われたら僕の殺人鬼生命はおしまい、ヒトとしても廃業だ」
『そんな生命とっとと終わっちまえ』
見事意表を突く発想に賛嘆の念を抱く。腹の底から沸々と愉快さがこみ上げて喉でくぐもった笑いをもらす。エージェントは心底あきれたといった案配で付け足す。
『ンなわけで、俺は心底どうでもいいしむしろ死ねと思っちゃいるがウチ的にゃお得意さんを逃がしたくないんでな。一応耳に入れといた』
「ご丁寧にどうも」
『懸賞金が上がりゃ晴れて人気者、追っかけが倍に増える。生き延びたけりゃ今まで以上にお利口さんに立ち回って、地獄すら裸足で逃げ出す悪運を味方につけるこった』
「心配無用、仕事を終えたらすぐに発つよ。この街にも飽きてきた頃合いだし」
『余裕かましてっと意外なヤツに足元すくわれるぜ』
皮肉っぽく笑い、ご丁寧にあてこするのを忘れず通話を切る。
ボタンが一杯付いてるが最低限の操作法を除く知識は一切教えられてない。彼が仲介を手がける殺人鬼は僕以外にも大勢いるはずだが、一方的にかかってくる電話をとる以外コミュニケーションの手立てがない。
「意外なヤツ……ね」
途切れた携帯をもてあそびつつ、エージェントのご親切な報告にまつわる思案を巡らす。
「victim」
1a〔迫害・不幸・事故などの〕犠牲(者), 被害者
a 迫害の犠牲者
b〔詐欺(師)などの〕かも,えじき
a ぺてん師のかも
2(宗教的儀式における)いけにえ,人身御供
それが辞書を引くと出てくるヴィクテム本来の意味、語源はラテン語の「いけにえ」だ。
凶悪無比な殺人鬼に付け狙われた者とその遺族は一過性の災害に巻き込まれた扱いと事後処理に倣い、予期せぬ事故や不幸、迫害の犠牲者に数えられる。
同時にその多くが国から出た補償金を憎い仇を追いこむ懸賞金として計上する。スッた相手に財布の中身だけ返すのに気付かない、ぺてん師の格好のカモだ。同じ生贄でもサクリファイスとは違う、あちらは神にいけにえをささげること、またはその捧げものや犠牲的行為、損を覚悟の捨て売りをさす言葉だ。
「……損を覚悟の捨て売りは皮肉が行き過ぎるか」
真理を突いてるけど。
降りかかる災いは一瞬でも永遠に消えない傷痕を残す。
まだ日が高いうちからカーテンを引き、無慈悲に閉ざされた退廃の闇の中、黙然と壁際にたたずんで信仰心に篤く銀の十字架をいつも手放さなかった少年を回想する。
『おれさ、世間で殺人鬼って言われるひとたちも|迫害の犠牲者《ヴィクテム》だとおもうんだ』
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