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第23話

「え?」 レーヴェンが笑顔で固まる。 「レーヴェンさんが絵描きって聞いて、一度ぜひ中を見てみたかったんです。俺も絵は好きだし。ベッドの脇には漫画のポスターも貼ってあるんですよ」 熱意をこめて希望し、聞かれてもない余計な情報まで付け加える。 ピジョンは舞い上がっていた。こんなかっこいい大人の男性自ら友達になってほしいと乞われ、もっと自信をもっていいと励まされたのだ。レーヴェンはピジョンにとって憧れの存在だ、別れが数日後に迫っているならその前にアトリエを見学したい。 「絵描きさんの部屋ってどんなのか興味があって……えっと、俺まだ将来のこととか全然考えてなくて。自分がなにをするかとかなにをしたいとかボンヤリで。ずっとトレーラーハウスで旅してばかりだったから」 沈黙が怖い。 ピジョンは気まずげに目を泳がせ頬をかく。 「でもレーヴェンさんの話を聞いて、いろんな土地を回って絵を描くのも素敵だなって思ったんです」 ピジョンは絵に詳しくない。絵心もそんなにない。有名な芸術家の名前も知らないし、実の所レーヴェンがどんな絵を描いてるかもわからない。それでもアカデミックな響きには未来に夢膨らませる少年らしい憧れを抱いていた。 「だめですか……?」 失礼な申し出だったろうか。調子に乗りすぎた。せっかく友人と認めてくれたのにまた空回って失敗した。ピジョンは涙ぐんで俯く。 「そう、ですよね。アトリエには大事なものがたくさんある。いきなり言われても困りますよね……」 「いや」 「プライベートな場所を他人に土足で荒らされたくないですよね、普通」 なんて図々しくて空気を読めないヤツなんだ俺は。こんなお願いするんじゃなかった、ほら見ろレーヴェンさんも困惑してるじゃないか。無個性な茶髪の奥、純黒の瞳が忙しなく瞬きする。一瞬動揺の色が掠めたのは気のせいか。 それとも友達というのは単なるリップサービスで、さほど親しくもない使い走りの子どもの厚かましい申し出に困っているのか。 レーヴェンとはいつも玄関先で会話していた。買い出しの受け渡しも表で行った。「散らかってるから」「人を上げられる状態じゃない」「描きかけの絵があるんだ」と、彼は毎度申し訳なさそうに言ったものだ。 「帰ります。どうかお元気で」 勢い深々と頭を下げ、恥ずかしさと情けなさを振り切って駆け出そうとする。 「待って待ってストップ!」 「うわっ!?」 つんのめり蹴っ躓く。レーヴェンがコートの裾の後ろを掴んで制し、先程の動揺を愛想よい笑みに塗りこめて請け負う。 「このまま帰すわけにはいかない、君のお願いなら喜んで」 「本当ですか?」 「五分ほしい、片付けてくるから」 レーヴェンが掌を広げて言い置き、荒っぽく閉じたドアの向こうに消える。ピジョンは廊下の壁に凭れて大人しく待機。 階下から突如として男女の諍いと赤子の号泣が響く。 「びっくりした……夫婦喧嘩かなあ」 赤ん坊が怪我しないといいけど。 約束通り五分が経過した頃再びドアが開き、レーヴェンが爽やかに笑って顔を出す。 「さあどうぞ。汚い部屋だけど」 「おじゃまします」 快く招き入れられ、丁寧に断ってから期待に胸高鳴らせ踏み出す。 「わあ……」 ぽかんと開いた口から勝手に感嘆の吐息がもれる。 レーヴェンのアトリエ兼住宅は慎ましい広さだった。 ピジョンたちが移動するトレーラーハウスよりは広いが、大量のキャンバスや画架が運び込まれたせいで閉塞感がある。正面には朝飯か昼飯の残りが放置されたテーブルと、カーテンを半ば引いた窓が位置する。 「ああ、あのカーテンね。直射日光があたると絵が褪せるから昼も閉じてるんだ」 「へえ……そうなんですね」 「高温にさらすと絵具も変質する。乾いて出てこなくなるんだ」 「チューブに詰まって搾りだすの大変ですよね」 「冷暗所で保管しないと。不健康な生活だろ?絵はデリケートな生き物なんだ」 「大変だなあ……」 「暗くて申し訳ない。足元に気を付けて、転ばないように」 なるほど、絵描きを生業にする人は日頃から色々気を遣ってるんだ。自然光を取り入れられない生活は辛そうだ。 ピジョンは単純に納得し、薄暗がりに慣れた目で興味深くあたりを見回す。 カーテンの隙間から細くさした日光が部屋を仄白く浮かび上がらせ、想像したより徘徊に苦労しない。 生真面目なピジョンはレーヴェンの指示に従い、家具調度や大事なキャンバスをうっかり蹴飛ばさないよう細心の注意を払って歩を進める。 下階から響く痴話喧嘩と赤ん坊の号泣が、この世捨て人の隠れ家じみたアトリエもスラムの一角の安アパートに過ぎない現実を思いだせる。 背後に不自然な靴音を伴う気配……レーヴェンが付いてくる。 片隅に大量のキャンバスが積み上げられている。 斜めに傾いで壁に立てかけられたキャンバスはまるで柵だ。 危険な何かを閉じ込める、柵? 「これがレーヴェンさんの絵かぁ。近くで見ていいですか」 「いいとも」 しゃがんで一枚を手に取る。油絵具で雑に着色した未完成の風景画。 荒涼とした灰色の空の下、所々土が盛り上がった寒々しい情景が封じ込まれている。 膝上に抱きあげてよく目を凝らす。墓地なのか庭なのか、寂寥たる風景の後ろに陰気な石造りの建物と回廊が浮かび上がっている。 「これどこです?」 「僕の頭の中にある場所だよ。現実じゃない」 「寂しい絵ですね」 「どうしてそう思うんだい」 「全体的にどんよりして人がいないし……この庭?墓地?すごく不吉っていうか、土の下になにかいやなものが埋まってそうです」 「骸骨とか死体とか?」 「そうかも」 「慧眼だね」 「え?」 「その庭の下にはたくさんの子どもの死体が埋まってるんだ。身寄りもなく孤独で、ひもじく虐げられ、だれにも顧みることなく生き埋めにされた哀れな子どもたちがね」 「…………」 生唾を嚥下、先程とは違った緊張の面持ちで手の中のキャンバスをのぞきこむ。 「君の言う通り、その裏庭は墓地なんだ。忘れられた子どもたちの墓場」 「レーヴェンさんの想像の中の……?」 男は笑って答えない。唇は優しい弧を描き、だがその目は笑っていない。黒い瞳の焦点は茫洋と霞んで、今ここではないどこか遠くを見ている。 レーヴェンの横顔を一瞥、戸惑うピジョンの顔に違う種類の感情が兆す。 絵をすみずみまで心をこめて凝視する。 隠された寓意を一点たりとも見落とさぬよう瞬きもせず向き合い、片手を離して十字を切る。 「……なにしてるんだい?」 「え」 両手を組んで祈り終え顔を上げる。 すぐ後ろにレーヴェンが佇み、ピジョンの肩にそっと片手をのせ身を乗り出す。 肩を緩やかに指先が這い、生温かい息が首筋を湿らす。 ピジョンは戸惑い、どう答えたらいいものか躊躇うも信用する大人を見込んでありのまま正直に答えることにする。 「いえ……レーヴェンさんの話を聞いてたらこうしたくなって。お墓なんでしょう」 「…………」 「祈ってあげたくなって」 埃っぽい暗闇に隠され人好きする画家の表情は読めない。 肩を包む指の圧を増し、静かに黙り込んで続きを待っている。 至極丁寧な手付きでキャンバスを元の場所に戻し、はにかむようにシャイな笑みを浮かべる。 「忘れられた子どもたちが忘れられたままじゃかわいそうだから」 伏し目がちの瞳に哀悼の痛みを湛えピジョンは心からそう言った。 絵を見て浮かんだ素直な感想と本音を述べた。 最初は怖い絵だと思った、名伏しがたい恐怖に飲み込まれた。この温厚な紳士がこんなに暗く寂しい、大衆に媚びない絵を描くとはにわかに信じがたかった。 きっとこれはレーヴェンが心の奥底にしまいこんだ特別な場所を描いた絵なのだろう。 他人には理解できず共感すら到底無理であっても、彼にとって大切な場所であり大切なものが埋葬されているなら敬意を払うべきだ。 墓地なら祈るのはあたりまえだ。 死者を弔うのは正しい行いだ。 「……君はやさしいね。そんなこと言う子は初めてだ」 「弟にはビビりのヘタレだって言われます」 レーヴェンの言葉が一箇所ひっかかったが、些細な違和感として流す。 「口が悪い弟くんだ」 「アイツは疑り深くて他人を信用しない、だれにでもすぐ噛み付く。世の中悪い人ばかりじゃないのに……」 「弟くんなりに家族を守ろうと必死なのかもね」 「アイツが?」 ピジョンが目をまん丸くし半信半疑に語尾をひそめる。レーヴェンは一つ頷きスワローを弁護する。 「お母さんとお兄さんと3人、過酷な環境でずっと旅してきたなら気を張るのもわかる。実際酷い事件が多いからね……この街の自警団だってまともに機能してない、最終的に頼りになるのは自分自身さ。奪われるのがいやなら身も心も鍛え抜いて強くならなきゃ」 「レーヴェンさんみたいな人が近くにいてくれたらアイツもひねくれずにすんだのに」 「反抗期はいつか終わる」 「だといいけど」 レーヴェンのとりなしに後押しされアトリエを歩き、絵画の技法や絵具の種類についての簡単な説明を受ける。 レーヴェンの話しぶりは実に達者でひとを楽しませるサービス精神に満ちていた。 難解な専門用語は易しく噛み砕き、ピジョンにもわかる言葉を用いて一つ一つ解説してくれた。 テーブルの前を通過時、伏せられた雑誌が注意をひく。 「月刊バウンティハンターだ。レーヴェンさんも読んでるんですね」 共通項を発見して嬉しくなる。 「物騒な世の中だし情報収集もかねてね」 「読み物としても面白いですよね。実在の賞金稼ぎや賞金首がモデルの連載小説とか……好きだなあ、キマイライーターの奇妙な冒険」 「殺人鬼に監禁された時の賢い対処法も載ってる」 「手錠の外し方講座は参考になりますよね。クリップがなければ安全ピンで代用しろとか」 一通り見回り気が済んでから、レーヴェンに送られて廊下に出る。 「ありがとうございました」 「もういいのかい?」 「お仕事の邪魔しちゃ悪いので」 「ホントはお茶でもごちそうしたかったんだけど取り込んでて」 「気にしないでください、引っ越し準備中に無理言った俺が悪いし」 「僕の絵を見てがっかりした?」 冗談めかして尋ねるレーヴェンの正面に立ち、首を静かに横に振る。 レーヴェンの背後には暗闇が広がっている。 その暗闇があの不気味な墓地に繋がっているようで、背筋を悪寒が這いあがっていく。 なんだか意外な一面を知っちゃったな。 案外こっちがレーヴェンさんの正体なのだろうか。 かといって幻滅はしないが、カップの底で渦巻くコーヒーの残滓のように違和感がざらりと残る。 「あ……そうだ」 大事なことを伝えとかないと。 スワローの行方と見学に気を取られすっかり頭から抜け落ちていた。 コートのポケットから引っ張り出した紙を綺麗にのばして広げ、レーヴェンにさしだす。 雑誌から破りとったページだ。 「これ、月刊バウンティハンターの記事。この街に凶悪な殺人鬼がいるらしいんでじゅうぶん気を付けてください」 「レイヴン・ノーネーム……少年愛好者の強姦魔にして殺人鬼か」 「レーヴェンさんはもうすぐ引っ越しちゃうから大丈夫だろうけど、念には念を入れて戸締まりはしっかりしてください。大事な絵もあるし」 「彼の犠牲者は十代前半の金髪の少年だ。三十代前半で茶髪黒目、中肉中背の僕はまるきりあてはまらない。心配は有り難いけど杞憂だよ」 「そ、そうかな……そうかも」 「僕はただのどこにでもいる人畜無害で子供好きの絵描きのおじさんさ」 受け取ったページに儀礼的に目を通してから、元通り小さく畳んで返す。 熱のない態度からは、ピジョンの好意に感謝しこそすれ自分は完全に対象外と断じる無関心さが窺えた。 去り際にレーヴェンが片手を突き出す。 その動作が意味するところを悟り、ピジョンは棒を呑んだように固まるも、妙にぎくしゃくした動作で片手をのべ旅先で初めて得た年上の友人と固い握手を交わす。 レーヴェンはしっかりとピジョンの手を握る。痛い位に力をこめその華奢な手を握り締め、反対の手でさらに力強く包み込む。 「お母さんたちと仲良く。どうか元気で」 「レーヴェンさんも……俺によくしてくれてありがとうございます。新しい場所でも絵を描き続けてください」 「生きてればまた会うこともあるかもしれない」 最後は笑顔でと決めて口角を上げようと努めるも自制の堤防が決壊、表情が崩れて泣き笑いに似て卑屈な顔に落ち着く。 ピジョンの肩を気安く叩いて勇気付け、名残惜しげに手を離してドアのむこうへ消えていく。 アパートの廊下にひとり取り残されたピジョンは、閉じゆくドアの奥を未練たらしく見詰め、友人の体温と感触を反芻するようからっぽの手を開閉し別れを惜しむ。 「いい人だったな……」 寂しさに胸が疼き力なく手をおろす。靴になにか固いものがあたる。 ドアが閉まる最後の一瞬に僅かな隙間から転がり出たとおぼしき物体を拾い上げ、片目を眇めて翳し見る。 「飴玉?」

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