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第32話
時間は少し遡る。
レイヴンのアパートを出たピジョンはあてどなくぶらつきつつこれからどうするか考えていた。
「結局スワローは見つからないな……」
もう諦めるか。これだけ捜してもいないってことは入れ違いで帰ってるのかもしれない、もう俺もくたびれて足が棒になっちゃった。
去り際にレーヴェンの部屋の窓を見上げる。相変わらずカーテンは閉め切られ中の様子は窺えない。
さすがプロの絵描きは徹底している、大事な作品を守る為なら手間暇惜しまない。
彼と別れるのは寂しいが仕方がない、自分たちだってじきに去る予定だ。もう町の半分の男と寝たって母さんが言ってたし。
さっき拾ってポケットに入れた飴玉を意識する。
小腹が空いた。ここで食べちゃおうか。いや待てはやまるな、飴玉は食べたらなくなるんだ、口の中で溶けて消える運命なんだ、いま食べたらもったいないぞ?こーゆーのはタイミングが肝心なんだ。
ピジョンはこう見えてとても意地汚い。道に落ちてる食べ物も平気で拾って食べる癖がある。不思議とそれで腹は壊さないのだから、見かけよりずっと頑丈にできている。前世は道に落ちてるものをなんでもつついて食べた鳩なのかもしれない。
道を渡りながら飴玉を含むタイミングを検討していたピジョンの頭上に、思春期の女の子特有の甲高い叱責が降ってくる。
「いつまでも泣いてないの、あんたたちが勝手に出たんでしょ!」
「アイツが靴を放り投げるからいけないんだ、だからとりにいったんだ!」
「もういいでしょ助けてあげたんだから……目をはなすとホントろくなことしない」
「ねえちゃんはだまされてる、アイツはいじわるなんだ、悪魔なんだ!」
「そんなことない、スワローはワルに絡まれたわたしのこと体を張って助けてくれたんだから。すごーくかっこよかったのよ、ぞっこん惚れ直しちゃった」
スワローだって?
窓が開け放たれた二階の部屋から男の子と少女の口論が響く。聞き覚えのある声に記憶を掘り返し、雑貨屋の店番をしていた少女と照合する。
ピジョンは窓の下へ駆け寄り、道に人通りが絶えたのを確かめてから羞恥心をかなぐり捨て声を張り上げる。
「ねえ、今スワローって言った?」
大声で叫んだから聞こえるはずだ。案の定、窓からそばかすのチャーミングな少女が顔を覗かせる。
少女の左右には兄弟だろうか、よく似た顔立ちの男の子が爪先立ってる。ピジョンは自分の位置をアピールしようと派手に両手をぶん回す。
「あ、スワローのお兄さん……よね。雑貨屋に一緒にきてた」
覚えててくれた!こんな影の薄い俺のこと覚えててくれた!
内心舞い上がる。ピジョンが女の子に顔を覚えてもらえることはすごく珍しい、スワローとセットだとなおさらだ。スワローの印象が強すぎて皆そっちに意識が行ってしまうのだ。
正直弟の消息など百億光年彼方に吹っ飛ぶ位に有頂天になったが、通行人の好奇の眼差しを浴びて急にはしゃぎぶりが恥ずかしくなり、行き場を失った手をおろす。
本来の目的を思い出して問い質す。
「スワローをさがしてるんだ。その、君知ってる?」
「さっきまで一緒だったよ」
「ホント!?」
こんな近くに目撃者が潜んでたとは灯台下暗しだ。喜色を露わにしたピジョンを少女が気安く手招く。
「上がってきなよ、そこじゃ話にくいでしょ。お茶くらいごちそうするから」
「いいの!?」
女の子にお茶に誘われた!初体験だ!
「えっと……それじゃお言葉に甘えて。すぐ行くよ」
「待ってる」
少女が軽く手を振って溌剌と微笑みかける。窓辺の天使だ。美人とはいえないまでも鼻梁にそばかすを散らした顔立ちは愛嬌があり表情豊かで好ましい。
雑貨屋のレジで見かけた時から胸のときめきを隠せなかった同年代の少女にお茶に誘われ、ピジョンは二段飛ばし全速力で階段を駆け上がる。その間もずっと「待ってる」と甘ったるい響きを帯びた声がリフレインしていた。
「早い!もうきた!」
「ぜ、全速力できたから……待たせちゃ悪いし」
ピジョンが息を切らしてノックするとほぼ同時にドアが開き、驚き顔の少女が出迎える。
膝に手を突いて呼吸を整える少年に笑いを誘われ吹きだす少女、釣られてピジョンも弱弱しい笑みを浮かべる。うまく笑えてるといいんだけど自信はない。
「どうぞ入って。母さんは仕事、うるさいのが二匹いるけど気にしないで」
「あっ、あ」
少女がピジョンの腕を引っ張って先導する。
柔らかくすべらかな手の感触にまた一つ心臓がはねる。
前のめりにたたらを踏んで部屋に上がったピジョンは、無意識に室内を観察する。
デリカッセンの総菜がボウルにとりわけられてテーブルに並ぶ、服や雑貨が散らかって生活感のあふれた部屋。
どうやらこの少女は母が不在中の家事を担ってるようだ。母子家庭なのだろうか。窓辺で頬杖を突く男の子が、じとりと嫌な目を向けてくる。
「ねえちゃんそいつだれ?あいつの仲間?追っ払って」
「いい加減にしないと怒るわよジニー、お客さんにはお行儀よくしなさい」
「君の弟?」
「大きいのがジニーで小さいのがジミー。まあどっちも似たようなものだからどっちでもいいか」
ジニージミー。早口言葉みたいな兄弟だな。
自分の名前は棚に上げたピジョンの雑感をよそに、兄の方が地団駄踏んで喚き立てる。
「似てなくない!全然似てなくない!こんな寝小便たれのべそっかきと一緒にしないで!」
「兄ちゃんがいじめる!」
「うるさいっ!」
「あの……こんにちは。俺はピジョン、街はずれのガソリンスタンド知ってる?あの近くのトレーラーハウスで寝起きしてるんだ」
「姉ちゃんの友達?」
ジミーとジニーが疑う。ピジョンは二人の前に屈んで目線の高さを調整し、ポケットから出した写真を見せる。
「コイツ知ってる?俺の弟でスワローっていうんだけど」
「コイツ犯人だ!」
「えっ?」
「ジミーの靴を屋根に放り投げてしらんぷりして行っちゃったんだ、酷いよ!」
こんな小さい子相手になにやってるんだ。弱いものいじめか。弟の素行に呆れて言葉を失う。
「本当それ」
さっきから俯いて兄の背に隠れているジミーに念を押せば、弟は唇を噛み、注意して見ねばわからぬほどごく微かに頷く。
ぶかぶかの青いスニーカーをひっかけているが、言われてみればなるほど片方が少し汚れている。
「アーチの上にのっかっちゃて、とるのたいへんだった……」
「姉ちゃんが帰ってくるまで部屋にもどれなくて大変だったぞ」
「なんというか……うちの弟が本当ごめん。代わりに謝る」
小さい子どもをいじめるなんて最低だ。俺と喧嘩したやつあたりか。それにしたって目に余る行為だ。
たまたまスワローと出会ってしまったばかりに新品の靴を取り上げられたジミーの胸中を推し量り、罪悪感に押し潰される。
何故かいばってふんぞり返るジニーと思い出し泣きするジミーに交互に謝罪し、ポケットをさぐってさっき手に入れた飴玉をとりだす。
「お詫びにあげる。おいしい飴だよ」
「それ飽きた。ねえちゃんのお店に山ほどある」
「いつもおみやげにもってくる」
「贅沢言わない、うちのお店にしかないレア商品よ。特にコーラ味は珍しいんだから」
少女がマグカップにコーヒーを注いで戻ってくる。
片方をピジョンに手渡し、もう片方に口をつける。かわいい。
「まだ名前いってなかった。俺はスワローの兄さんのピジョン。君は?」
「ジェニーよ。お店でも会ったよね」
「飴玉おまけしてくれたよね。ちゃんと覚えてる」
スワローのおまけのおまけに、だけど。
マグカップを両手で包み、ちびちび貧乏たらしくコーヒーを啜りながら上目遣いにジェニーの様子を観察する。
「さっきまでスワローと一緒だったの?」
「うん、そこで偶然出会って」
ジェニーが顎をしゃくってアパートの手前の通りを示す。
「何してたの?」
ナニしてたのかな。
「えっと……あんまり人に言えない遊び?」
ジェニーが頬を淡く染めてとぼけ、「スワローって積極的なのね」と熱っぽい吐息に乗じて付け加える。
「オーケー、大体わかった。言わなくていい」
というかそれ以上は聞きたくない、心が折れる。
「スワローと君はどこにいたの」
「アパートの横の路地よ。そこで話してたら街で有名なワルが因縁ふっかけてきて」
「あ……俺によく絡んでくる連中かな」
「たぶん。そいつらがその……わたしに無理矢理……」
ジェニーが悄然と俯く。マグカップを包む両手が小刻みに震え、茶褐色の水面に一粒涙が落ちる。
「ねえちゃんを泣かせた!」
「コイツ悪いヤツだ!」
「血は争えないな!」
「いだだだだだだ!ちょ、やめ、やめてって」
ジミーとジニーが共同戦線を組んで右と左から小さい拳でピジョンを小突き回す。姉思いの兄弟の集中攻撃を受けるも涙するジェニーを放っておけず、マグカップを窓辺に置いてあたふたにじり寄る。
「大丈夫?無理に話さなくていいよ」
ピジョンは目の前で女の子に泣かれた経験がない、従って正しい対処法がわからない。慰めるってどうしたらいいんだ?抱きしめる?ハードルが高い。頭をなでる?なれなれしい。舌を入れる?それをして許されるのはスワローだけだ。
途方に暮れて片手を泳がせ、激しい葛藤を乗り越えてジェニーの肩を包む。
「泣かないで」
おっかなびっくり片方の肩に手をおき、さめざめと泣く本人以上に切羽詰まった声で励ます。コートで涙を拭いてあげるのはさすがにナシか……俺の洟水やらなにやらいっぱい染み付いて汚いもの。それにしても女の子って柔らかくて温かいな……なんだかいい匂いするし。強く抱きしめたら潰れちゃいそうだ。
「ありがとう。大丈夫」
ジェニーが涙を引っ込め気丈に顔を上げる。ピジョンは名残惜しく思いながら手を離す。のっかった時と同じ躊躇いがちな様子で離れていく手を見送り、ジェニーがたまりかねて吹きだす。
「ピジョンっていいひとだね」
「そう……そうかな?よく言われる」
「もっと堂々としてたらモテるのにもったいない。カオだってそんな悪くないのに」
微妙な言い方がちょっとひっかかる。
「アイツが隣にいると自信なくすよ……」
「スワローはおにーさんがいないとこでもピジョンのことばっかよ。なにかっていうと兄貴兄貴って耳タコよ、会って間もないけど大好きだってわかるもん、ちょっと妬けちゃうな」
スワローが俺の事大好き?そんなはずない。
どんな表情をするか迷って、塩のかたまりを舐めたような顔で黙り込んだピジョンにジェニーが肩を落とす。
「スワローは体を張ってわたしを逃がしてくれたの。ここは引き付けるから先にいけって……それからぱったり消えちゃった」
「えっ?」
アイツがそんなかっこいいことを?いや違う、注目すべきはそこじゃない。
「消えたって……路地から?」
「うん。私が逃げ出すのと入れ違いにボヤ騒ぎが起きて、巻き込まれたんじゃないかハラハラしたけど。現場にもいないし、先に帰っちゃったのかなって……それか自警団に勘違いされて連れてかれたのかなって。アイツら態度ばっかでかくてとんだ役立たずよ、よそ者を放火犯と決めつけてボコるとかフツーにアリだもん」
ジェニーが憤慨して自警団の無能ぶりを非難する。それはピジョンも同意だ。
ジェニーの証言を信用するならスワローはどこへ消えたんだ?愚連隊に拉致されて袋叩きにされてるのでは……
「……スワローってぼくの靴を盗った、耳がピンだらけのひと?」
兄の背に隠れて沈黙を守っていたジミーが、おずおずと口を出す。
「さっきいたよ」
「どこに?」
「あっち」
ジミーが爪先立って窓から身を乗り出し、懸命に指さす方角には、通りを隔てた向かい側のアパートがある。ジニーも隣に並び、ほぼ直線上に位置するカーテンで閉め切られた部屋を指さす。
「お部屋でお茶飲んでた」
「足の悪いおじさんと一緒だった」
「ぼく達を見捨てたおじさん」
「姉ちゃん助けにいってってお願いしたのにそのまま消えちゃったもんね」
「アイツを拾って帰ったの?」
「包帯巻き巻きしてたよ」
「こっちみてあっかんべーしやがって」
「それいつのことよ」
「火事だーってみんなが大騒ぎしてた頃。自警団やご近所のひとがいっぱい集まってさ」
「あんなにたくさんいたのにだーれも助けてくんないんだもん……遊んでるんじゃないのに」
「姉ちゃんが帰ってこなかったらお腹ぺこぺこでぺこ死にしてたよ」
当時の心細さがぶり返してしゃくりあげるジミーをジニーが不器用になでてやる。美しい兄弟愛だ。ピジョンとジェニーは顔を見合わせる。
スワローの写真を見たレーヴェンは知らないと証言した。
だがジミーとジニーは、ほぼ直線上に位置するアーチからレーヴェンの部屋にいるスワローを目撃している。子どもの証言とはいえ、よもや自分の靴を盗んで放り投げた張本人の顔を見間違えるはずがない。
「君たちはずっと見てたの?スワローはどうしたの、部屋を出るところも見た?」
「わ、わかんない……いつのまにかカーテン閉まってたし」
「姉ちゃんが手を引っ張ってお部屋にもどしてくれたから、そのあとはしらないもん」
スワローはレーヴェンの部屋でお茶をふるまわれた。兄弟は彼が部屋を出る所を目視してない。何故レーヴェンは知らないと嘘を吐いた?アトリエ見学時の様子を一つずつ思い出す。部屋の隅に大量に片付けられたキャンバス、カーテンを閉め切った不自然に薄暗い部屋、テーブルに放置された食事の残りと空のカップが二個……
二個?
「あの部屋にスワローがいたんだ」
あのカップこそ直前まで来客がいた動かぬ証拠じゃないか。
扉が閉まる直前に隙間から転げ出た飴玉。拾って持っていたそれをポケットから取り出し、呆け顔のジェニーに突きだす。
「さっき言ってたよね、この飴は君のお店にしかおいてないって」
「あ、うん、そうよ。コーラ味だもん」
これはスワローの合図だ。
去り際ドアの隙間から飴玉を弾きだし、自分はここにいると俺に知らせた。なんだってそんな回りくどいことを?声を出せない事情があった?レーヴェンが嘘を吐いた理由と関係してる?頭の中で軽快にパズルのピースがはまっていく、空白が埋まって恐ろしい完成図を炙りだそうとしている。
飴玉に続いて雑誌から破り取ったページを引っ張り出し、手のひらでできる限り均して床におく。ジェニーとジミーとジニーが額を突き合わせ、ピジョンが広げたページをのぞきこむ。
ピジョンは喉にひっかかる生唾を強引に嚥下し、場に居合わせた一同の顔を見回す。
「これがレーヴェンさんと同一人物だとしたら?」
「アパートのお向かいに殺人鬼が住んでるってこと?」
叫びそうになり、咄嗟に両手で口を塞いでジェニーが問い直す。
「うそでしょ……ちょっと話したことあるけど、レーヴェンさんていいひとよ。ジミーやジニーにもよくしてくれるし。人殺しなんて絶対ない。ないないないありえない」
「俺だって信じたくないよ、あの人が人殺しだなんて。でもじゃあ、なんで嘘吐いたの?なんでスワローを隠したんだ」
「それは……わかんないけど。バレたらまずい事情があったとか?」
「その事情ってなに?これから監禁して殺そうとしてる?アイツをめちゃくちゃにいたぶってボロボロにしようとしてる?レイヴン・ノーネームの33人目の被害者にしようとしてる?」
狼狽して口ごもるジェニーに我を忘れて食ってかかりまくしたてる。
スワローが自分だけに送ってよこした合図。
長年寝起きを共にして一緒に暮らした兄なら一発でわかるだろうと信頼して発した信号。
居間に隠れていたとしたらキャンバスの裏か?あそこに倒れていたのか。気付かないなんてどうかしてる、真昼間っからカーテンを閉め切ってる時点で怪しすぎるじゃないか。
「俺は馬鹿だ」
弟の窮地を見落とした不覚を呪う。
床においたページを衝動的に殴り付け、慣れないことをして拳を痛める。
「~~~~~っ!!」
「あの……大丈夫?救急箱もってくる?」
心配げに顔を曇らせたジェニーの背にジミーとジニーが隠れる。
突然床を殴打したピジョンの正気を疑ってるのか、すぐ隣に身元を隠した殺人鬼が潜伏している事実に戦慄してるのか、露骨に怯えきった態度からは判じかねる。
もしスワローがレイヴンに監禁されている最悪の予想が正しければ事は一刻を争う、早くしないと命が危ない。ピジョンは真剣極まりない顔でジェニーに向き直り、無我夢中でその手を掴む。
「スワローは君の恩人なんだよね」
「う、うん」
「恩返ししたい?」
「もちろん!」
「じゃあこれから俺が言うことよく聞いて。君たちにも手伝ってほしい」
ジェニーの片手を逃がさぬよう両手で掴み、あっけにとられて立ち尽くすジミーとジニーを振り返る。
兄弟が顔を見合わせてからピジョンに向き直り、子供心に事の重大さを意識してか秘密めかして声を潜める。
「なにすればいいの?」
「靴を貸して」
「ええっやだよ、やっと戻ってきたのに!!」
「これは僕の靴だ絶対に渡さないぞ、これから毎日抱いて寝るんだもん!!」
「ほんとごめんすぐ返すから、あとで絶対ほどけない靴紐の結び方教えてあげるから!」
青いスニーカーを両手で庇い死守するジミーにジニーが加勢する、ピジョンは罪悪感を蹴散らし心の中で万回詫びながらジニーをひっぺがし泣き喚くジミーの足から力ずくでスニーカーをすっぽぬく。
「やっぱり血は争えないな、そんなにスニーカーが好きなら靴と結婚しちまえ!」
「あぁああああああぁあぼくのスニーカあああああ、兄ちゃんが一緒にとってくれたスニーカぁあああああ!!」
「オニ!アクマ!アクマ兄弟!スニーカー泥棒!地獄におちろ!お腹すかせて靴紐かじってろ!」
背中を追いかけてくる可愛い悪態は無視をして助走、転落しそうに窓から身を乗り出すや全力で腕を振り抜く。
「神様!」
ピジョンが投擲したスニーカーは長大な放物線を描いて道を渡り見事向かいの窓の庇にのっかり、非難の号泣が一音階高くなる。ジェニーが血相変えてピジョンの突拍子もない行動を批判する。
「なにするの!?」
「ジェニー、あの靴を取りにいって。弟たちがイタズラして投げたとかヤケ起こして蹴飛ばしたとか理由はなんでも……とにかくレーヴェンさんを部屋から出してほしい」
「わたしがやるの!?」
「上がりこめたらベストだけど無理っぽいならできるだけ長く引き付けて。次いでに部屋の中を見てきてほしい、テーブルに空のカップが二個でてるから……スワローがいた証拠になるだろ?そしたら君も納得するよね」
「う、うん」
これが本当にあの頼りなく弱弱しい、スワローの影に隠れて存在感の薄いピジョンだろうか?
いるのかいないのかわからない、いいひと以外の評価を異性にもらったことがない可哀想なピジョンだろうか?
自分の役割を弁えた断固たる口調で矢継ぎ早にジェニーに指示し、戦意を漲らせて毅然と顔を引き締める。窓の外を鋭く一瞥、カーテンを閉め切った窓の横に穿たれた矩形の窓に顎をしゃくる。
「スワローがいるとしたらたぶん奥の寝室だ、鎧戸が閉め切られてる。君がレーヴェンさんと交渉してる間に俺が中へ忍び込む」
「は?無理でしょ!?」
「君ががんばってくれればできる。君がノックする、レーヴェンさんがドアを開ける、俺はそのドアの影に隠れる。死角だから目に入らない」
「そんな子どもだましうまくいきっこないよばかでしょ、もうちょっとマシな手考えて!」
「たしかに俺はばかだけどばかはばかなりに一生懸命考えてるんだからばかばか言わず協力してよ!」
「あんたたち兄弟ほんとばか!超ばか!鳥類よりばか!相手は何人も男の子をレイプして殺してきたおっかない殺人鬼かもしれないんだよ、そんなのからスワロー取り返そうだなんて無茶よ、そりゃわたしだって力になりたいけどできることとできないことがあるもん、ジミーとジニーまきこんじゃうのもホントはいやだもん!」
噛んで含めるように言い聞かせ教え諭し、しまいには怒鳴り返すも、完全にパニックに陥ったジェニーはやだやだと興奮しきって首を振り続けるばかりでまるで駄々っ子だ。ピジョンは諦めず最大限の熱意と誠意をこめジェニーを説得する。
「君の働きが重要なんだ、レーヴェンさんを誘き出して引き付けてできるだけ話を引き延ばして!その間にスワローを助ける!」
「もう殺されちゃってるかもしれないじゃん、手遅れだったらどうするのよ!」
「残念だけどアイツは殺しても死なない、今頃はテメェぶっ殺してやるって自分の立場もド忘れして身の程知らずに命知らずな啖呵切ってるよ!」
「あんたたち仲いいのか悪いのかちっともわかんない!」
「仲悪くてもほっとけないよ、見殺しにしたら寝ざめが悪いし母さんが泣くんだ、アイツがいないと俺もちょっとは寂しいんだ!レーヴェンさんと話し終わったらひとっ走り自警団を呼んできてくれ、いくら役立たずでも懸賞金付き賞金首のねぐらを告げたらちょっとはやる気だすだろ?」
「わたしが襲われても助けてくれなかった連中に会いにいけって?わたしをレイプしようとしたクズの親父に頭さげるの?」
「スワローを助けたいんだろ!?」
「殺されるのはやだよ、ひとりで行って!」
ああもう面倒くさい、弟の命がかかってるのに!
コーラ味の飴玉をすばやく口に放り込み、衝動的にジェニーの肩を掴んで向き直らせる。
「んん――—ッ!!」
直に口を封じ、舌を使って飴玉を転がす。
女の子とキスするのは初めてだが、柔く繊細な唇の感触に溺れる暇すらない。ぎくしゃくとぎこちない舌遣いながらスワローの激しさとは違う、気持ちいい所を的確に突いて丁寧にほぐし蕩かしていく実直で熱心な技巧に、次第に落ち着きを取り戻したジェニーの顔が別の意味で上気していく。
駄々っ子をなだめすかすようなキス。
びっくりして泣き止んだジニーがジミーの目を両手で覆い、かわりに自分の目をまんまるくして過激なキスシーンをガン見している。
最後に少女の唇を舌先でちろりひとなでして余韻を惜しみ、顔をどかす。
「……俺のおねがい聞いて」
君だけが頼りなんだ。
一途に思い詰めた上目遣いで懇願、口移しにされた飴玉をジェニーが音たてて飲み下す。
「……いいよ」
間近で見るピジョンの睫毛は意外と長く、異性を口説く表情に備わる色気はたしかにスワローとの血の繋がりを感じさせた。
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