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第33話
レイヴン・ノーネームは即死ではなかった。
奇しくも一命をとりとめた。
「ったく悪運が強ェヤツだぜ、これまで何人もガキ殺しといてよ」
「まぁたかだか二階から落っこちたくれェじゃ死なねえか」
「目ン玉やられてほぼ廃人も同然だろ?」
「天国に見放されて地獄からも追っ払われて、ここっきゃ居場所がないんじゃねーか」
「殺人鬼崩れの強姦魔なんざお呼びじゃねーよ」
ゴロツキ上がりの自警団もとい自警団崩れのゴロツキどもが口々に罵って地面に唾する。
犯行現場となったアパートの前の道は野次馬がたかり騒然としていた。
近隣の家々から這いだした人々が露骨な好奇心に駆られて、凶悪無比な殺人鬼の顔を記念に一目拝もうと押し寄せる。
「間に合ってよかった……間一髪だったね」
その野次馬に揉まれてジェニーは胸をなでおろす。
レイヴンのアパートを出た足で自警団の詰め所に向かって、したたか酔っ払った彼らを引っ張ってきたのだ。
無能と怠慢のレッテルを貼られた自警団が俄然やる気を出したのは、ピジョンから借りた雑誌の切り抜きの効果による所が大きい。
街に賞金首が潜伏してると知った自警団は、我こそが懸賞金を手に入れるのだとはりきりこぞってねぐらに殺到したというわけだ。人間は善意や良心では動かないが、金で動く。功名心と我欲に駆り立てられた人間ほど怖いものはないとジェニーは齢14にして痛感する。
「スワローたちは無事だったの?」
ざわめく人ごみをかきわけ金髪の少年たちをさがす。
うたた寝する赤ん坊を背負った向かいの主婦を見付け、裾を引っ張って質問する。
「スワローってアイツに監禁された子かい?ついさっきまでそのへんで自警団に事情聴取されてたけど、姿が見当たらないね」
赤ん坊を背負い直した主婦が世を儚んで首を振る。
「それにしてもあの絵描きが噂の殺人鬼だったなんてね……大陸中回って何人も子どもを毒牙にかけてたんろ?怖い怖い。人は見かけによらないね、すっかりだまされちまった」
「仲良かったの?」
「会えば挨拶と立ち話をする程度の仲さ。悪いヤツには見えなかったけどね……爽やかな好青年て感じで、さっきも話したばかりだし。この子にも手を振ってくれたんだ」
「わたしもびっくり。レーヴェンさんのこといいひとだと思ってたから」
「どこで道を間違っちまったんだろうね……生まれのせいか育ちのせいか」
レイヴンが墜落した地面には血痕が飛び散っている。乱闘時に腹部と背中を刺されたらしい。
自警団がテープを張り巡らせた現場を見る目に、同情と忌避を織り交ぜた複雑な色が浮かぶ。
「天井挟んだすぐそこが犯行現場になってたかもしれないなんてぞっとするよ」
主婦が憔悴の面でため息を吐く。
笑い話めかして気丈にふるまっているが二階の住人が指名手配中の殺人鬼と知ってショックを受けているのだろう、顔色がよくない。あまり根掘り葉掘り詮索するのも不謹慎だ。
目覚めた赤ん坊の声を背にジェニーはそそくさとその場を離れる。
興奮に色めきだった周囲のざわめきに耳を澄ます。
往来にごった返す老若男女の間を事実に憶測を交えて脚色した噂が飛び交い、辺鄙な田舎町に突如降って湧いた大事件が、平凡で退屈な日常を根底から揺り動かす。
「レイヴン・ノーネームだっけ。40万ヘルじゃあ大したことないね」
「何言ってんの、馬車一台は買える値段さ」
「あの役立たずどもにポンとくれてやるのは惜しいね」
「聞いた話によれば賞金首を倒したのはよそ者のガキだっていうじゃないか。ほら、街はずれのガソリンスタンドに停まってる娼婦の息子だよ。うちの店にも時々買いに来る……」
「弟の方はキレイな顔してたもんな。目ェ付けられちまったってわけか」
「最初に狙われたのは兄貴の方だって話だけどね」
「部屋に連れ込まれてブチ犯されかけた所に兄貴が殴りこんで、兄弟力を合わせて見事な逆転劇さ」
「やるじゃねェか、見直したぜ」
皮肉なもので、賞金首を倒した事でスワローとピジョンの評価はうなぎのぼりだ。
娼婦の息子だのよそ者だのとしきりに陰口を叩いていた住民たちが、現金に態度を変えて殺人鬼に一矢報いた兄弟の活躍を褒めたたえるのにジェニーは鼻白む。
「いまさら遅いんだから。わたしは最初っから知ってたもん、スワローとピジョンはすごいって」
あの兄弟はただものじゃないと思っていた。
お互いを想う気持ちが、その執着が半端ないのだ。ぶっちゃけちょっと引くほどに。
「レイヴン・ノーネームは?」
「いまさっき担架で運ばれてったよ。このあと保安局で手続きをして刑務所送りじゃないかね」
「自警団は棚ぼたボーナスだね、テメェたちゃ殆どなにもしてないのに大金転がりこんで」
「え?」
ジェニーは足を止め、井戸端会議に興じる労働者の輪に割って入る。
「どういうこと?レイヴンを倒したのはスワローたちでしょ、なのにお金もらえないの?」
闖入してきた少女の率直な疑問に、赤ら顔の労働者たちは気の毒げに首を振る。
「10かそこらのガキが凶悪な賞金首をぶっ倒したって?信じるヤツがいるか?」
「自警団が口裏合わせて自分たちの手柄だって申告しちまえばおしまいさ、組織ぐるみの隠蔽だよ」
「まぁ賞金首を直接保安局まで引っ張ってきゃ話は別だがな、肝心のレイヴンは自警団の馬車がとっとと回収しちまった。あのガキどもがレイヴンをヤッたって証拠はパァになったってわけだ」
「そんな……」
ジェニーは絶句する。
もとから腐りきった街だと思っていたが、ここまで堕落していたとは。
「ズルじゃんそんなの!」
自警団は賞金欲しさにレイヴンの検挙を自分たちの手柄として申告する。
一方スワローとピジョンは、賞金首を捕まえたのが自分達だと証明する手立てを持たない。
賞金首を捕まえた人間には賞金が出るが、褒賞が支払われるには正規の手続きを要する。保安局に直接賞金首を引っ張っていくか、賞金首が既に死亡している場合は、その死体を保安局に引き渡すのが懸賞金を払う条件として課されている。
「ふざけんなズルじゃねェか!!」
人垣の向こうで爆ぜた咆哮に振り向く。
予感が的中した。声に引かれて行ってみればピジョンに羽交い絞めにされたスワローが暴れている。最低限の応急処置はしてもらえたのだろう、頭や腕、あちこちに包帯が巻かれている。
よかった、無事だったのね。
乱闘に続く転落事故のどさくさ紛れに見失って気を揉んでいたが、あの元気なら心配なさそうだ。
スワローはモップのように跳ねた金髪を振り乱し、尖った犬歯を剥いて自警団に食ってかかる。
「テメェら流れ弾くらって泡くってただけでナニもしてねーじゃんか、後からぽっと沸いて全額横取りかよコスいまねしやがって!」
「人聞き悪ィことぬかすな、命の恩人サマにむかってよ」
「誰が恩人だコラ、股間に穴ブチ開けられそうになって腰抜かしてたダボが!」
「あァんやんのかコラァ!?」
「俺たちが土壇場で殴りこまなきゃテメェらなんざ二人仲良くケツ掘られてたぜ、ちったァ感謝しろってんだ」
「大体よォ、殺人鬼のねぐらにガキだけで殴り込みかけようってのが身の程知らずなんだよ。そーゆー時は大人に知らせろや」
「ハッ、チクりゃ動いたのか?よそ者の寝言だのガキの戯言だのシカトしたろ、泣いてるガキをほったらかして帰っちまう無能だもんな。どーせなら俺がケツ掘られる前にこいってんだ、テメェのケツにナイフぶっ刺してやろうか!?」
「もういいってスワロー、帰ろう……命が助かっただけいいじゃないか」
怒髪天に衝く勢いで両足を蹴り上げ砂をかけ、暴れ狂うスワローを必死で羽交い絞めにしピジョンが哀れっぽく訴える。スワローが性懲りなく暴れるせいでその頭や拳とぶつかり、鼻っ柱を赤く腫らしている。
「あんまり遅くなると母さんが心配する」
「そうだそうだとっととママんとこに帰りなガキども、帰ってゴムのたるんだパンティーでも干してやんな」
「大人を舐め腐った罰だ、バージン奪われてちょっとはこりたろ」
「いい加減街から出てけ。ここにゃビッチの息子の居場所なんかないぜ」
いずれ劣らぬ酒焼けした悪相ぞろいの自警団が兄弟を取り囲み、野卑な悪罵を浴びせる。
「母さんはビッチじゃねェ!!テメェもなんとか言えピジョン!!」
最愛の母への侮辱にスワローがキレて怒鳴り、自警団の親玉へ吠えかかる。
今にも殴りかかりそうに激昂するスワローを全身使っておさえこむピジョン、下唇を噛み締め震える様子からあらん限りの怒りと屈辱が伝わってくる。街の連中はとばっちりをくうのを恐れて遠巻きにするばかり、だれも救いの手をさしのべようとしない。
敵ばかりのアウェイで孤立し、拳を無軌道にふりまわす弟にさんざんに殴られ蹴られる理不尽にも耐え忍び、とうとうピジョンが口を開く。
「母さんはビッチだ。もう街の半分の男と寝た」
地を這うような低い声が孕む危険な兆候に、スワローだけが気付いて大人しくなる。自分を羽交い絞めにする兄を不安げに窺う表情は、背中に致死量のダイナマイトを積まれたようだ。
「へえ、認めンのかよ?」
「|娼婦《ビッチ》の息子は|男娼《ビッチ》になるって相場が決まってんだ。そん時ゃ俺と俺のムスコがお相手してやってもいいぜェ、そっちのロリータ気に入ったみてェだからさ」
親玉が無造作に手を伸ばし、前に乗りだしたスワローの顔を鷲掴む。頬肉が押し上げられ顔が潰れる。
片手で顔を掴まれたスワローの鼻先へ迫り、怒りに紅潮した形相をたっぷり眺める。
「アイツは気の強ェのが好きなんだ」
下卑た笑みを広げる親玉の顔が、路地裏で鼻息荒くのしかかった愚連隊のリーダーそっくりで吐き気がする。血は争えないって本当よね。
ジェニーは往来に呆然と立ち尽くし、大の大人の陰湿な悪意に取り囲まれたスワローとピジョンを交互に見詰める。
スワローもピジョンもすっごい怒ってる。
顔は真っ赤に沸騰して、拳に握り込んだ手が小刻みに震えて、尖った眼差しが凶暴に光っている。似てない兄弟だと思ってたけど怒った顔はそっくりだ。
自分を産んだ人が侮辱されたら、ちゃんと怒れる子たちなんだ。
お母さんが大好きなんだ。
「………っ」
私は?
『チップ欲しさに何でもするって聞いたぜ?テーブルの上で大股開いてアソコにポテト何本ツッコめるか挑戦したんだろ?』
『貧乏アパートで母子四人暮らしじゃ何かと物入りだもんな、客に媚びなきゃ食ってけねーか』
あの路地裏で母さんを馬鹿にされて、なんで一言も反論しなかったの?
これ以上はさすがに聞くに堪えない。ジェニーは意を決して一歩を踏み出す。
「スワローは命の恩人よ!アンタの息子に乱暴されかけたわたしを助けてくれたもん!」
自警団の卑劣なやり口は我慢ならない。
今まさに目の前で初恋の人が、命の恩人の兄弟が侮辱されているのに知らんぷりをするほどジェニーはこの街の悪徳に染まってない。自警団の不正は許せないし、それを見て見ぬふりにする住民の態度もいい加減頭にきてる。
レイヴンが借りたアパートの部屋で、スワローとピジョンは身を挺して互いを庇い合い助け合い、最後まで諦めず殺人鬼を追い詰めた。
流れ弾にびびった自警団が情けなく伏せった犯行現場で、恐ろしい殺人鬼にしがみ付いて離れようとせず、遂には痛快無比な大逆転の勝利を掴んだのだ。
目に焼き付いたその情景が勇気を与えてくれる、ふたり抱き合って床に倒れたピジョンとスワローの妙に清々しい表情に憧れを抱く。
この世界は腐ってるし、ここはゴミ溜めかもしれないけど、わたしはゴミになりたくない。
ゴミなんかになりたくない。
お互いの為に命をかけ、殺人鬼へ痛快きわまる逆襲を成し遂げた無茶苦茶な兄弟みたいに、ちっぽけな誇りをもって立ち向かいたい。
ジェニーは敢然と地面を踏みしめて仁王立ち、無関心を装って傍観する住民や自警団が呆然とする中、身を振り絞るようにして叫ぶ。
「わたしの母さんはビッチかもしんないけど、わたしたちをかわいがってくれるいい母さんよ!」
そうよ、こんな最低のヤツらに母さんを馬鹿にする権利なんてない。
スワローとピジョンをこきおろす権利なんてない。
一声を放てば後戻りできない、かえって清々しく吹っ切れる。
ジェニーは挑むように顔を上げ、スワローとピジョンを吊し上げる自警団にたった一人猛然たる大股で詰め寄っていく。
「アンタたちにはホントうんざり、乙女のピンチにはきてくれないしうちのかわいい弟は見捨てるし役立たずもいいところ!スワローは体を張ってわたしを逃がしてくれた、ピジョンは死に物狂いの知恵を絞って弟の救出作戦を練り上げた、アンタたちはただ酔っ払ってただけじゃない、それでお金もらおうだなんて調子よすぎよ!自警団を名乗るンなら最低限それに見合った仕事しなさいよ、ちゃんと中を守りなさいよ!」
こんな小娘一人が叫んだところで何が変わる?何も変わらない?それでもいい。
膂力や腕力、体格では絶対に勝てない大人の男たちに、あたり払う孤高の誇りを持って立ち向かっていくジェニーに影が追随する。赤ん坊をおぶった主婦だ。
「その子らやジェニーのいうとおり、あんたら恥ずかしくないの?自警団の看板が一人歩きしてるよ。生憎あたしの目は節穴でね、痴話喧嘩に夢中で二階の殺人鬼にもからきし気付かないていたらくさ。けどね、そっちの子が街の怪我人や病人の手伝いしてたのはよく知ってるよ」
「俺?」
顎をしゃくられたピジョンが面食らう。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔が面白い。
赤ん坊をおぶった恰幅よい主婦は、自警団の親玉の胸へ人さし指をつきつけて威勢よく啖呵を切る。
「街の為に汗水たらして働くのが自警団なら、その子のがよっぽど資格があるとあたしゃ思うね!」
「そうだそうだ!」
「アンタらちっとやることがエグいぜ」
「カラスを捕まえたのはその子らの手柄だろ」
「その子らが体を張ってとびこんでったから被害が出る前に逮捕できたんだ、感謝しなきゃバチが当たる」
「ほっといたらうちの子が狙われたかもしれない」
口火を切ったジェニーと赤ん坊連れの主婦に便乗し、長い間自警団の横暴に耐え、不満と鬱憤を溜めこんだ住民が我も我もと加勢する。
思いがけぬ住民の反抗に男たちはたじろぎ、雪崩を打って詰めかける住民に押しのけられるように兄弟と離れていく。
「こんな自警団いらないよ、きれいさっぱり解体しちまえ、メンバーも総取っ換えだ!!」
「アタシらの街はアタシらが守る!」
「ノー自警団!ノー殺人鬼!」
「カクタスタウン万歳!カクタスタウン万歳!仕切り直しの総選挙だぁああああ!」
暴徒化した住民たちが手に手に角材やらフライパンやら酒瓶やら包丁やらをひっさげ、狂乱の渦に飛び込んでいく。指名手配中の殺人鬼の逮捕劇、一連の事件によって表面化した自警団の腐敗に憤った暴徒の荒波に翻弄されたジェニーは、人垣の向こうに見え隠れする兄弟に必死に手を伸ばす。
「スワロー!ピジョン!」
「あぶないから逃げてジェニー!」
ピンボールの如くあっちこっち突き返されてボロボロになりながらジェニーを気遣うピジョンに、醜悪な形相の親玉が逆恨み甚だしく襲いかかる。
「こうなったのも全部テメェらのせいだ、テメェらさえ街にこなけりゃ……こんの疫病神め!!」
「む、無茶苦茶だよ!」
抗議の声を上げるピジョンの胸ぐらを荒っぽく掴み、その横っ面めがけ砲弾の如き拳を振り抜く。ジェニーは反射的に目を閉じる。
唸り高まるエンジン音と共に、巨大な鋼鉄のかたまりが突っこんでくる。
「ぎゃあああああああ!」
ジェニーの眼前、ピジョンを手放した親玉が太い悲鳴を上げ錐揉みはねとぶ。綺麗な放物線を描いて空を飛んで落下、痙攣するその近くの地面を失速したタイヤが削って停止。
巨大なトレーラーハウスの運転席から、ショットガンを構えた美女が颯爽と金髪をなびかせ顔を出す。
「「母さん!!」」
「母さん?え?スワローたちのお母さん!?」
「あんまり遅いからむかえにきちゃった。なんだか困ったことになってるみたいね」
たった今ひとを撥ねた事実などまるで頓着せぬさばさばした口調で言い捨て、それからはっとする。
「あらやだ、ひょっとして今轢いたのってヒト?ボンレスハムじゃなく?よく見たら街入る時にちょっかいかけてきたエロ親父じゃない!」
「なんてわざとらしい……」
「いけしゃあしゃあと……」
ピジョンとスワローが声をそろえて呆れる。
二人ともタンクトップの襟ぐりは緩んで鎖骨が丸見え、モッズコートはよれてへたって肩からずりおち、髪はボサボサに逆立って酷い有様だ。
「うっかり人身事故っちゃった!駄目ね前方不注意は!」
兄弟同時に突っ込まれた美女はまったく反省してない素振りでおちゃめに舌を出し、助手席と後部座席の窓を全開にする。
「なんかヤバそうだからズラかるわよ」
早く乗れと顎をしゃくる。ピジョンとスワローは神妙に顔を見合わせると同時に頷き、ピジョンは助手席の窓から、スワローは後部座席の窓から、素早くよじのぼって中へ消える。
「コラ待てひと轢いといて賠償金もなしか売女ァああああああ逃がすかァああァああああああ!!」
地面から跳ね起きた親玉の顔面には惨いタイヤ痕が刻まれている。何故死なないのか不思議だ。
トレーラーハウスの進路に立ち塞がり、フロントガラスにへばり付いて逃亡を阻む親玉に舌打ちくれて、ショットガンをひっさげた美女は助手席へと移動する。殺し屋の目だ。
「運転おねがいねピジョン」
「ちょ、なにすんのさ母さんやめてショットガンはやめてそれ人撃っちゃダメなヤツだから!?」
「かわいい息子たちがたっぷり世話になったお礼をしなきゃ」
慌てふためくピジョンと運転を交代、助手席の窓にショットガンの銃身を固定した美女が、息子に言い聞かせてるのか独り言か判じかねる冷静な声音で呟く。
「子どもを守るのがお母さんの務めよ」
乾いた銃声が連続、ショットガンからばら撒かれた弾丸が行く手に群がる暴徒を薙ぎ払って突破口を切り開く。
青空の下を無秩序に舞う薬莢のきらめきは、世界の底辺を彩る宝石に似て美しい。
腰を抜かしてへたりこんだ群衆の手前の地面、無数に穿たれた弾痕から幾筋も白煙が立ち昇る。
「今よピジョン!」
「ぶっとばせ轢いちまえ!」
「もう知らないよ!」
この上なく楽しげに生き生きとショットガンを乱射する母の号令と、運転席に上体を突っ込んだ弟の催促に鞭打たれ、やけくそになったピジョンは全体重をかけアクセルペダルを踏みこむ。
荒馬の如く跳ね上がったトレーラーハウスが逃げ惑う群衆を猛然と蹴散らし、助手席の母が行きがけの駄賃改め逃げ際の返礼とばかり無邪気な高笑いを上げてショットガンの弾雨を降り注がせる。
「自分の街は自分たちで守りなさい!」
「あぐぅっ!?」
ピジョンが慣れきった手付きでハンドルを旋回させ、後ろに戻ったタイヤがご丁寧にもう一度親玉の腕を轢く。
白濁した泡を吹いて失神、不規則に痙攣する親玉へと運転席の窓から顔を出したピジョンが絶叫する。
世界中を敵に回しても譲れない信念を主張するように、ありったけの気概を振り絞って。
「俺の母さんはビッチだけどいい母さんだ!」
満腔の自信と誇りをこめ断固として言い切り、正面を向いてハンドルを握り直す。地面に仰向けた親玉の顔面に唾を吐き捨て、車内に引っ込んだスワローが運転席の背凭れを蹴る。
「この街ともおさらばだな」
「そうだね」
「ろくでもねーことばかりの最低の街。早く忘れちまいてぇででででっ」
車が跳ねる振動が下半身の怪我に響いたのか、シートに突っ伏して悶絶するスワローをよそに、ハンドルを操作して往来を一気に突っ切りながらバックミラーを見る。
バックミラー越しに目が合ったジェニーが、両手を天にさしのべて力一杯振っている。
「そうでもないよ」
ハンドルからそっと片手を離して振りながらのひそやかな呟きは、ファーストキスの甘酸っぱい秘密と共にピジョンの胸の底に沈み、コーラの泡となって消えたのだった。
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