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第2話
小学5年生の頃、誕生日を迎えた翌日に異変は起きた。
朝起きて母親と姉と朝食をとっている時のことだった。
こんがり焼いた食パンといちごジャム、目玉焼きとミニトマト、ブルーベリーのヨーグルトといった、いつもと変わらない食事だったことを覚えている。
いつも通りに手を合わせて、食パンにジャムを塗って齧った。味がしなかった。
そんなはずはないと思って、ヨーグルトに手をつけたけど、ぬるぬるしたヨーグルトとじゃりっとしたブルーベリーの食感だけが口の中に広がった。
結局何を口に入れても味は感じなかった。味がしないと頭が混乱して、ただ食感だけが残る口の中が気持ち悪く、俺は無様に吐いてしまった。
自分に何が起こったのか理解できなかった。混乱したのは母親も同じだった。
それからしばらく、母親が色々と工夫を凝らしてくれたり、病院にも行ったけど、医学的な問題も見つからないまま俺は完全に味覚を失った事実を受け入れるしかなかった。
人間の欲求のひとつ、食事に興味がなくなると、途端に人生がつまらないもののように思えてくる。
それまで意識していなかったが、食事は生きるのに必要なだけでなく、人と楽しい時間を共有したり、コミュニケーションをとる上で重要で手軽な手段のひとつだ。
何を食べても味を感じることができない俺は、当然食事を他人と楽しむことができなくなった。次第に他人と関わることをやめた。遊びに行った友人の家で出された食事やお菓子を食べても無表情な俺に、いい感情を抱くはずもない。まだ子どもだったこともあって、うまく取り繕うこともできなかった。
それからは、何かを口にしなければならない状況がある場所へ行くのをやめた。家でも必要最低限のものしか食べなくなった。
避けられるものは徹底的に避けてきた。だけど、どうしても避けられないのが学校での昼食だ。小中と給食だったので、仕方なく口に入れていたけど、高校での昼休みは自由に過ごすことができるので有難い。
食べ物の匂いを食べ物だと認識できるのは、俺が後天的に味覚を失ったからだ。普通だった頃に食べたものは覚えている。いっそそれらも忘れられたらと思うこともある。
美味しかった記憶なんて無い方がいい。この先俺の味覚が元に戻る保証はないのだから。
だから昼休みの教室は嫌いなのだ。楽しそうに食事をしているクラスメイトを見ているのも、もう味わうことのできない食事の匂いを感じるのも、ただただ拷問を受けているような気分になる。
俺はいつも昼休みは屋上で過ごすことにしている。立ち入り禁止のロープが階段にかかっているが、屋上のドアは実は鍵が壊れていて、自由に出入りできることを多分俺以外は知らない。今まで誰かと鉢合わせたことはない。
ドアを開けて屋上に出ると、左側に回り込んで影になっている場所に腰を下ろした。コンクリートの壁に背を預けると、意図せず大きなため息が漏れた。
悲しいことに、味覚がなくても腹は減る。これが一番の苦痛だ。生きている上で仕方ないことだけど、昔みたいに何を食べようか?とワクワクする気持ちは無い。
だからついつい食事を疎かにしてしまう。腹が減ったって食べずにいても、すぐに死ぬことはないし、味のない固形物を咀嚼する苦行は、母親が用意してくれる夕食だけで十分だ。心配してくれるのは有り難いが、本当に苦痛でしか無いのだ。
夏休みの間はとんでもなく苦労した。きっちり3食用意してくれる母親には悪いが、ほとんど残してしまったし、食べた分きっちり吐いてしまうのはどうしようもない。
投げ出した爪先を眺め、しかし暑いなと空を見上げる。雲ひとつない快晴だ。気温は30度を超えているはずで、飲み物くらい持ってくるべきだったと後悔した。
自分でここに逃げてきたのに、熱中症にでもなったら笑える。というか、ここで倒れていても誰も気付かないんじゃないか?
昼休み後に授業をサボることはたまにある。他人と関わることを避け続けてきたので、もちろん高校に友達と言える人間はいない。俺がいなくても誰も気にすることはない。最悪翌日まで気付かれないかも。まあ、それはそれで、別にいいか。
無気力だな、と思った。なんにも楽しくない人生だ。まさか味覚がないだけで、こんなに無気力になるとは思わなかった。
多くの無気力な人がそうだろうと思うけど、起きているより寝ている方が有意義な気さえする。
目を瞑るとすぐにでも眠れる自信がある。寝つきはいい方だし、慢性的なエネルギー不足もあるのだろうけど、いつの間にか俺はそのまま本当に眠ってしまっていた。
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