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第5話

声がすればそちらに意識が向いてしまう。 俺のちょうど斜め前あたりに座っているから、 嫌でも目に飛び込んでくる、俺の新しい性癖の扉を開いたうなじ。 もともとおかしい頭が、さらに狂っていく。 腰回りに停滞する消化しようのないムラついた感覚は俺をどうしようもなくイライラさせる。 その一方で、味わったことのない感覚に興奮している自分もいた。 城本はいつもみんなの真ん中にいる。 そこに入り込む勇気も元気も無かった。 ただ見てるだけ。それだけでこんなにも頭の中に卑猥な妄想が巡る俺は、ある意味天才なのかもしれない。 舐めるか触るか撫でるか、どれがいいだろう。 触るのはもう経験した。今でも手のひらにはあのときのチクチクした感触が残っていてむずむずする。 もう一回触りたい。 あのあと、家にあるたわしを撫でてみたが物凄く虚しくなったのでもう二度とやらない。痛いし。 短く切られた髪の毛でないと、あのぞわぞわした感覚を味わえない。 人の体から作られるものでないと、気持よくもなんともない。 もしも舌でなぞったら、どんな感覚だろう。 きっと痛いんだろうけど、俺にとってはこの上ないほどに気持ちがいいものかもしれない。 直接本人にお願いする勇気もない俺は、 こうして見つめているしかなかった。 「稲やん、何見てんの?」三上のふくふくした手が俺の頭に置かれる。 「城本君に用があるの?」「いや、ない…」 三上にさえ、自分の新しい性癖を打ち明けるのを躊躇った。 なんでか、隠しておきたかった。 「城本君の家って、旅館やってるんだよね」「へー…」初耳だった。 「知らない?城本リゾートって結構有名なとこ。 旅行シーズンとか関係なくいっつも満員で、予約3ヶ月待ちが普通なんだってよ」三上は俺の頭をぽんぽん撫でながら言う。 「じゃあ、金持ちってこと?」「いや、うーん…そうとも言い切れないというか…。ねぇ、俺今から結構重い話しようとしてるから、外出よう」 三上は俺の腕を取ってそう言った。 「城本君のお父さん、自殺してるんだって」 部員が二人だけのパソコン同好会の部室で三上が放った言葉は、 思っていたよりずっと重かった。 「なんでそんなこと知ってんの?」「一時期ネットの掲示板で話題になってたんだよ。有名旅館の泥沼騒動、みたいにさ。俺も友達から聞いたんだけどね。城本君のお父さんがギャンブル依存症で旅館の売上とか使い込んじゃって、それじゃ飽き足らず闇金に手を出して怖い人たちから追われて、酷い殺され方するくらいならって崖から飛び降りちゃったの。多額の借金は残したままでね」 城本の笑顔が頭をよぎった。そんな重苦しい過去があるようには全然見えない。 「その騒ぎがあってから、利用客が激減しちゃったんだって。あそこの旅館は汚い金に染まってるとかの風評被害でさ。家族の間でも相続問題だか、なんだかでもめたとか…で、その旅館を立て直したのが城本君のお母さん。相当大変だったろうね、いつ潰れてもおかしくないって言われてたみたいだから」 俺と同じ片親だったのか、と謎の親近感が湧く。 「最初同じクラスって分かって、ちょっとドキッとしたんだよね。城本君ってどんな人なのかなって。そしたら、あんなに朗らかで明るくて、びっくりしちゃった」 「暗さを隠す作り笑いが上手だから?」 そう聞くと三上はちょっと黙ったあとに、 「稲やん、鋭いねぇ」と苦笑いをした。 当番表というのは、それぞれに役割を与えるためにあるはずなのに、どうしてそれを無視するやつがいるんだろう。 今日のゴミ出し当番のやつは、用事があるからとゴミ出しせずに帰ってしまったのだ。 友達とカラオケに行くという大事な大事な用事があるらしい。 嫌なことは上手くかわして楽しいことだけとことん楽しむなんて、まるでどこかの誰かさんみたいだと思った。 収集所に向かっていると、話し声が聞こえてくる。 「だから、皆には皆の都合がそれぞれあるんだよ」 どうやらなにか争っているらしい。 声がする方へ進むと、そこにいたのは城本だった。 城本がいたことにも驚いたが、 あんなふうに声を荒げて怒っていることに驚いた。 あいつも怒ったりするんだ、と思いながら、俺は聞き耳を立てた。 城本は電話をしながらあたりをうろうろしている。 「高校生にもなれば皆色々遊びたいに決まってるじゃん。そんな都合よく旅館のバイトなんてしてくれないよ。しかも泊まり込みなんて。え?だから、そうじゃないよ、友達の事をお手伝いさんみたいに思わないでって言いたいの」電話の相手は話の内容からして旅館の人なんだろうか。早く立ち去らないと見つかるかもしれないのに、城本が感情をあらわにしているところから目が離せなかった。 「とにかく、そんな簡単に見つけられないよ。…うん、うん…いや、俺も怒ったりしてごめんなさい…うん…」しゅん、とうなだれて謝りながら城本は電話を切った。こちらに歩いてくる。 見つかる、と思って足を後ろに踏み出した瞬間、カランカラン、と音がなった。 誰だこんなところに空き缶捨てたバカタレは!! 当然その音に気づいた城本にあっさり見つかってしまった。 「いや、その、すいません、」しどろもどろに言い訳をしようとする俺に、 「人に聞こえるようなところで話してた俺が悪いよ。ごめんね」と城本は謝ってきた。 「俺の家、旅館やってるんだけど、人がたりないんだ。産休とか親の介護とか、休んでる人が多くてさ」 城本は俯いたまま話し出す。 「そしたら、旅館の人に誰か泊まり込みしてバイトしてくれるような暇なやついないかって言われちゃったの。なんか嫌な言い方だよね」 そこまで親しくない俺なんかに、こんな混み合った話をするのは、よっぽど切羽詰まってるからなんだろうか。 「カチンときちゃって、つい怒っちゃった。かっこ悪いとこ見られちゃったな」えへへ、と力なく笑うその顔には、くっきりと疲れが浮かんでるように見える。 なんとなく、これが本来の城本の姿なのかな、と思った。 それと同時に俺は、他人の不幸を、自分にとってのチャンスだと思ってしまった。 「俺、やろうか、バイト、」 考えるより先に口が動いていた。 「え、ほんとに?泊まり込みなんだよ?夏休みずーっとだよ?1日中こき使われて朝も早くて夜は遅いし遊んでる暇もないんだよ?」 城本は驚いた顔で俺に言う。その顔にわずかな期待が滲んでいることに気づいた。 「い、いいっすよ、別に、予定とかないんす、自分は…アハハ…」 どうしてもキモい喋り方になってしまう。気になる人間に近づくこの上ないチャンスを逃がすほど、俺は馬鹿じゃない。 一生分の勇気を使ってしまった気がする。 「やったー、ありがとう、ほんとに嬉しい、ありがとう」 そう言いながら城本は俺の体を抱きしめてくるくる回りだした。 夏の予定が泊まり込みで埋まるなんて、もちろん初めての事だった。 詳しい事はちょっとずつ教えるね、と連絡先まで手に入れてしまった俺は、 身に起こってることが本当に現実なのか怖くなってきた。 夕飯の最中でも、俺の頭の中は城本の嬉しそうな顔で埋め尽くされていた。 帰宅後自分の部屋で、三上が教えてくれた記事を読んでみた。 そこには、嘘か本当か分からないことがずらずらと書き込まれていて、 働いている人の個人情報までのっていた。 こんな事するなんて人としてどうなんだ、と思いながら見ていると、旅館の一人息子に関する書き込みを見つけた。 城本の事だろうか、と読んでみたがどうやら違う。城本の父親の事だった。 城本の祖父母は自分たちの一人息子に非常に甘く、まともに働くことなくギャンブルに明け暮れていても注意の一つもしなかった。なんでも数年に渡る不妊治療の末にできた子供だったから、可愛くて仕方がなかったらしい。 近所の人の証言では、大人になってからも小遣いを与えたり車を買ってやったり、その過保護ぶりには不気味ささえ感じた、と書いてある。 息子の妻、つまり城本の母親には必要以上に厳しく当たり、人前で怒鳴り散らしたり、手をあげることもあったそうで、 生まれてきた孫の事も特別可愛がることなく、 旅館の歯車としか思ってなかった。 これがどこまで本当なのか俺には分からない。だけど、城本も俺と同じ、いや、俺以上に重たい事情をもっている人間だと分かったことに、 なぜか安堵を感じていた。 お父さんにバイトの事を話したら、思ってた以上にすんなりと許可をくれた。 「いいの、家の手伝いできなくなるけど…」「心配しなくていい、パートさんも前より雇えるようになったし、仕事の量は調節できるから。相手のおうちに迷惑にならないようにするんだよ」 そう言って俺の頭を撫でた。 布団の中にもぐって、今日一日を振り返る。俺にしては随分頑張ったほうだ。 自分からお近づきになるチャンスをもぎ取ったのだ。 冷静になって考えると、とんでもないことに首を突っ込んだのではないか、と不安が沸いてくる。 気になる相手の家に、泊まり込みで、もしかしたら夜同じ部屋かもしれない。 うっかりハレンチな展開になってしまったらどうしよう。 不意に触れる肩、覗くうなじ、赤い頬、湯上がりでほてった体、汗ばむ背中、乱れる浴衣、恥じらう顔、そっと足を開いて…と妄想が止まらない。 そう考えたら急に眠れなくなった。 そんなゲームみたいな都合のいい展開があるもんか、と言う自分と、 現に自分の身に起きてるじゃないか、と言う自分がいる。 よこしまな妄想はなかなか消えてくれない。 その晩俺は、日付が変わるまで眠れなかった。

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