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第7話

「着いたよ」義明さんの声で目が覚めた。 「うわ、すいません、運転してもらったのに寝てて…」「あはは、いいんだよ子供がそんなこと気にしなくて」 車から降りて、綺麗に整備された砂利道を歩く。 「荷物ちょうだい」城本が俺の手からキャリーバッグをもらおうとする。「いいよ、軽いし…」 「いいの、お客さんだもん」 城本からすると俺はお客さん、という立ち位置らしい。バイトで来たはずなのに、いいのかなと思った。 あたり一面竹で覆われ、 葉っぱどうしが擦れ合う音が耳に心地いい。 夏なのにここだけ季節が違うみたいに涼しかった。 時代劇に出てきそうな見事な門構えの上の方には、「城本リゾート」と達筆な字で書かれている。 そこから先は、見たことのない世界が広がっていた。 ホームページで見た写真とは比べ物にならないほど、実物はもっと綺麗だった。 お寺とか、貴重な文化遺産みたいな、そういう雰囲気がある。 3階建てのビルくらいの高さがあって、 焦げ茶の木材と白い壁のコントラストがまぶしい。 所々、ふすまに人影がよぎったり、子供がはしゃぎながら窓を開けたりしているのが見える。 玄関で抹茶色の暖簾が優雅にひらひら揺れていて、 はめ込まれた窓ガラスは冬の水たまりの、薄氷みたいに透き通って光っていた。 あっけにとられて口を開けて見上げていると、 城本が「こっち」と腕を引く。 旅館の中は木材の匂いだろうか、甘いような、上品な樹液みたいな匂いがうっすらする。 老夫婦、家族連れ、カップル、と様々な年齢層の客がいる。 「待った甲斐があったよな〜、ほんと。ここに来れるなんて夢みたいだ」「ねー、奇跡だよ」 若いカップルが受付ではしゃいでいた。 そのやり取りをぼんやり見ていると、奥から着物姿の女の人が現れた。 その人が誰の家族なのか、自己紹介されなくても顔を見ただけで分かる。そのくらいそっくりだった。 「遠いところからわざわざ来て下さってありがとうございます。城本柚希の母です」 俺よりも背の高いその人は、お手本のような美しいお辞儀をしながらそう言った。「あ、瀬波稲雅です…よ、よろしくお願いします…」 「夏休みの貴重な時間を割いてくれて本当にありがとう。よろしくお願い申し上げます」 にこっと笑うとなおさら似ている。 「あ、あの、これ俺の父親からなんですけど…」 旅館の女将さんに渡して、と預かった紙袋の中身は最近うちで扱い始めた焼き菓子の詰め合わせだった。パートさんに昔パティシエだった人がいて、 その人から教えてもらいながらお父さんが作っている。 「え、そんな、気を遣わせてごめんなさい」 城本の母親は申し訳無さそうに言う。 「でも預かっちゃったから…」「お気遣いありがとうございます。昨晩、お父様からお電話を頂いたんですよ。本当に真面目な方で、素敵なお父様ですね」両手で優しく紙袋を受け取る仕草さえプロっぽさを感じた。 サービス業をしているくらいだから、お世辞なのかもしれないし、営業スマイルなのかもしれない。 だけど、この人が向ける笑顔に嘘はない気がする。 いつもなら女の人と話すだけでこめかみがキーンと痛むのに、何故かそうならない。 多分この人の服装や話し方、姿勢から感じる真面目さと品性が影響してるのかなと思った。 「じゃあ、館内を一通りざっくりと紹介しますね。ここにいてもらう間、使うお部屋も一緒に案内しますね」 城本の母親に連れられ、だだっ広い旅館の中を歩く。小さなゴミの一つも落ちていない廊下は、顔が映るくらいにピカピカ光っていて歩くのが申し訳なくなる。 すれ違う仲居さんやスーツ姿のフロント係、全ての人が俺に「ようこそいらっしゃいました」と深々とお辞儀をする。 ここで働く人たちには、細胞の奥底にまでこの旅館で働くために必要な教養が叩き込まれているんだろうと思った。 終わりがあるのか怖くなってくるほど長い廊下を歩いていると、自分がどんどん現実から引き離れていくようでそわそわする。 外に目をやると、日本庭園が広がっている。 白い砂利が川の流れを表現するように敷き詰められ、苔がついたごつごつした岩と竹が小さな池を囲んでいる。その池の中にいる錦鯉の赤い鱗が植物の緑によく映えて見えた。 ここだけでも1つの観光地みたいに完成している。 緑、というものがこの旅館の特徴なのかなと思った。 壁には所々に竹細工の小さな花瓶の中に花が生けてあったり、ロビーにもあちこちに植物が飾られていた。 呆然としながら旅館の中を案内されている間に、ピリリ、という電子音が辺に響く。 「はい、もしもし。あぁ、はい。今お客様の案内中だから折り返します。はい」城本の母親は耳に手を当てながら手短に答えた。耳にブルートゥースのインカムをしている。「ごめんなさいね忙しなくて」 と照れくさそうな笑みを向けた。 俺が部屋に案内されるまでの間、少なくとも7回は同じやり取りをした。 「ここが使ってもらうお部屋です。自由に使ってくださいね。お手伝いさん用の部屋だったのを少しいじってみました」カードキーを使って開けられた部屋からは、い草の匂いがする。 広さはざっと14畳はある。普通の客が使うのと変わらない部屋だった。 日本家屋の居間を切り取ってきたようなスペースには四角いちゃぶ台が置かれ、湯呑みが添えてある。絵にかいたような和風の旅館、という感じがした。 その向こうの窓際には旅館によくある、椅子とテーブルがあるなんという名称なのかわからないあのスペースがある。 壁にも床にもシミ一つない。部屋にはやっぱり、竹細工の花瓶に花が生けてあった。 「お風呂とトイレもあるから、自分のお家と思ってゆっくりしてね」 そう言い残して、城本の母親はインカムに何か話しながら部屋を後にした。 相当忙しい人なんだろう。 「あ、はい、アハハ…」 自分の家とは比べ物にならない豪華さだった。たかがバイトがこんなところで、一か月半近くも居座っていいのか怖くなってくる。 「ご飯は職員さんたちが使ってる食堂でもいいし、コンビニで好きなの買ってもいいよ。お風呂も好きな時に入っていいし、冷蔵庫もテレビもあるし、あとWi-Fiも使えるよ」 城本は楽しそうに笑っている。 自分の欲望の為にバイトを志願したことが、どんどん申し訳なくなってくる。 「あの、ちょっと、部屋広すぎない…?俺、横になれるくらいのスペースあればそれでいいんだけど…」 「だって二人で一緒に使うから。もしなんかされたら嫌なことあったら教えて。寝る場所はここがいいとか、お風呂は先がいいとか」 城本の言葉に俺は頭が真っ白になる。 「いっしょ…?」「ほんとは別々の部屋用意したかったんだけど出来なかったの。ごめんね。慣れないところでずっと一緒が辛かったら言ってね、何とかするから」 こんなにも恵まれている部屋に、気になるあいつとふたりきり。考えただけで何かがはじけそうだった。 「嫌だった?」城本は不安そうな顔をする。 「いや、とんでもないです、ありがたいですむしろ、いや違くて、申し訳ないくらいっていうか、アハハ…ハハ…」 「よかった〜。俺、修学旅行みたいで楽しそうだなって思ってたから。あと、夜一人で寝るの寂しいし」えへへ、と舌を出して恥ずかしそうに城本は笑う。 こんな都合の良すぎるエロいゲームみたいなことが起きていいんだろうか。 城本は窓を開けて、すずしい〜と笑っている。 俺の目にうなじが飛び込んでくる。 色んな意味で、俺は耐えられるんだろうか。 なんだか泣きそうだった。

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