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第3話
「先生さ、町の建物って大体把握してる?」
次の日、槙はやっぱりソフトクリームを買いにきた要に向かって開口一番そう言った。
要は目を瞬かせた後、首を傾げながら答える。
「そうですねぇ……。この商店街の中の建物は覚えましたよ」
「町の中心の方は?」
「いえ、まだです」
やっぱりか。槙は内心溜息を吐いた。
別に、槙の予想通り要がこの町にまだ詳しくないとしても、必ずしも槙が案内しないといけないわけではない。なんせこの町にはお人好しが多いのだ。いずれ、誰かが要を連れ回して案内するのは想像に難くない。
だから、このまま「いい加減商店街以外も歩きなよ」なんて言って流してしまってもいいはずだ。自分には関係ないという顔をしていても許されるような気がする。
けれど、槙の口をついて出たのはいつもの無愛想な相槌ではなかった。
「案内、いる?」
言い終えてから、いったい何を言っているのだと自分で自分に驚いた。こんなの、頭で考えていた言葉と真逆ではないか。槙は思わずこれ以上余計なことを言わないように自分の口を手で覆った。
いきなりこんなことを言われてさぞかし要も困惑しているだろう。そう思って要の顔を盗み見ると、予想に反して要はきらきらと瞳を輝かせていた。
「いいんですか?」
ずいと迫られ、手を握られる。すぐさま振り解けなかった時点でおそらく槙の負けなのだ。そんな顔をされたら、嫌だなんて言えるはずもない。
「せ、先生が俺でいいなら。俺もまだ裏道とかはわかんないとこあるけど……」
「大丈夫です! 嬉しいです!」
ぼそぼそとそう告げると、要は子供のように繋いだ手をぶんぶんと振った。
その振る舞いで、ものの一分前まで持っていた迷いが霧散する。
きっと、要も見知らぬ土地で不安だったのだろう。要の性格を考えると誰かに案内をお願いするのも難しかったのかもしれない。
槙がしみじみ言ってよかったと思っていると、ふと、要が心配そうに眉を下げた。
「でも、いいんですか? ご迷惑になりませんか?」
彼は今更いったい何を心配しているのだろう。
迷惑だと思うくらいなら最初から誘ったりしないと思いつつ、槙ははっきりと首を横に振った。
「べつに。俺も、この町に来た時町の人に優しくしてもらったから」
その恩返しのようなものだと早口で告げると、要は安心したように微笑んだ。
「じゃあ、行こっか」
エプロンを外し、カウンターを出る。裏にいる結衣に声をかけると、「気を付けて行ってらっしゃい」という声が返ってきた。結衣はお客さんが来るまで表に出てくる気は無いらしい。裏の方が扇風機が有って快適だから、気持ちは分かる。槙だって、以前は中々お客さんが来なさそうな様子だとすぐさま裏に引っ込んでいた。今は毎日決まってソフトクリームを買いにくる甘党がいるからわざわざ表で待っているのだが。
座りっぱなしで固まった身体を解す為に軽く伸びをする。そんな槙を見て、要は目を丸くした。
「槙さん、お仕事は?」
「今日は休み」
端的に答えると、要は怪訝そうに首を傾げた。たしかに、休みなのに店に立っているのは変に思えるだろう。
「どうせ先生はソフトクリーム食べに来るだろうから待ってただけ」
言ってから、まるでこれでは槙が要を待っていたように聞こえることに気が付いた。だがまぁ、間違ってはいないので訂正はしない。槙はすっかりこの甘党の常連と会話をするのが一日の楽しみになってしまっているのだ。休みの日でもわざわざ店番を買って出るくらいには。
「槙さん、ありがとうございます」
要ははにかんで、軽く頭を下げた。
そのお礼がなんだか気恥ずかしくて、槙は「行こう」と声をかけたかと思えば早足で店を出て行った。
*
虫の鳴く音を追いかけ、二人で歩く。
槙の横に居る要は、きょろきょろとしきりに辺りを見渡している。時々スマートフォンを取り出して写真を撮ったりもしていた。
なにに使うかのと槙が問えば、要は小説の資料にするのだと笑う。
槙にとっては見慣れた変化のない海岸でも、要にとっては自分の仕事の血肉になるのだろう。それは、なんだか素敵なことだと槙はぼんやり思った。羨ましいような気もする。なにに羨ましいと思っているのかは判断がつかないが。
海岸沿いを歩き、段々と山の方に大きな建物がふたつ見えてくる。
真っ直ぐに伸ばした人差し指を建物の方に向けた。
「あそこが中学校と高校。まぁ生徒は少ないけど」
すい、と指を真横に動かす。先程の建物よりは若干小さな建物がすぐ近くに建っている。
「すぐそこにあるのが小学校。こっちも生徒は少ない」
「……なんというか、生徒の顔を覚えやすくていいと思いますよ」
「ポジティブな物言いありがとう」
苦虫を噛み潰したような顔をする要を見て、槙は思わず笑ってしまった。こんなの、町の人達がみんな口にするただの冗談だ。実際笑い事ではないのかもしれないが、笑っていられるうちは笑っていようというのが町の呑気な総意だった。
だから、真剣な反応をする要が珍しくて、必死に言葉を探している姿がちょっと可愛いなんて思ってしまったのだ。
だいぶ毒されてるなぁ、なんて自嘲がこぼれる。この町に来てから感情は豊かになった。けれど、拍車をかけたのは要が店に通うようになってからな気がする。
正直、要に抱いている感情は薄々見当がついていた。なのに、その気持ちに名前をつけたら終わりな気がして槙は必死に目を逸らし続けている。
愛を与えられずに育った槙には、この感情の扱い方がてんで分かっていなかった。だからひたすら振り回されないように耐えている。まるで台風が通り過ぎるのを待つようだ。
「あ、槙ちゃん。出歩いてるなんて珍しいね」
思考の海に沈む槙の意識を取り戻させたのは、鈴の音のようにころころと転がる愛らしい声だった。
視線を向けると、紺色のセーラー服を纏った少女が立っている。少女は、にこにこと人好きのする笑みを浮かべていた。槙の元に駆け寄る度に、ローファーがアスファルトを叩いて軽快な音を鳴らす。
槙は僅かに口元を緩めて、少女の丸い頭を撫でた。要は槙の後ろで息を潜めている。最初から槙や結衣に対してフレンドリーだったから知らなかったが、要は案外人見知りをするらしい。
「俺だって外ぐらい出るよ」
「だっていつも出歩いても商店街だけでしょ? うちの弟がまた川行こうって言ってたよ」
「面倒だな……」
「勝ち逃げは許さないって怒ってたよー。見かけたら喧嘩売ってくるかもね。今日は午前授業だし」
「それは困るなぁ」
ぐい、呆然と槙と少女の会話を眺めていた要の腕を引く。何が何だか分からないという顔を眺めて、槙は笑った。
「今日はこの人に町を案内しないといけないからね」
少女はすこし驚いたように目を見張って、それから嬉しそうに微笑む。
「それは仕方ないね」
「でしょ」
「それじゃあ、またね。槙ちゃん。噂の先生も、またお話ししましょう」
ひらひら、手を振って少女は去っていった。
要は固くなっていた体をほぐすように息を吐き出す。槙を見つめる灰色の瞳は、怪訝の色で満ちていた。
「あの、今の子は……?」
「町長の娘の桐子ちゃん。高校生。人懐っこい子だよ」
「弟さんとはよく遊ぶんですか?」
「うん。弟は陸っていう中学生。まぁ、遊ぶっていうか向こうが勝手に喧嘩売ってくるだけ」
疑問に答えたはずなのに、要の疑問は余計に深まっていく。
中学生に喧嘩売られるなんて、槙さんなにしたんですか。そう瞳が雄弁に語っていたので、槙は困ったように眉を下げながら口を開いた。
「俺、石投げるの上手いんだよね」
「はい?」
「川に石投げて何回跳ねたか競うんだよ。俺、それ上手いの」
「はぁ。そうなんですか……」
説明をしてもいまいちピンと来ていないのか、要は首を捻る。
そのおかしな仕草に笑いそうになりながら、槙はまたゆったりとした歩みを再開した。雑談のように、先ほどの話の続きを口にする。
「先生はやったことある? 俺はこの町に来るまでなかった」
「僕も無い、ですねぇ」
「一回も?」
「川遊びは家で禁止されていたので……」
「そっか。それじゃやりに行こ」
「えっ」
至極軽い響きで告げられた言葉に、要は素直に驚いた。
槙は混乱する要に構わず、進路を町の中心に流れる川の方へと変えた。
「やったことないのに陸に喧嘩売られたら困るでしょ。あいつ定期的にソフトクリーム買いにくるからいつか絶対先生に会って喧嘩売るよ」
「えっ、あの、槙さん?」
要が困惑するのも当然だ。なんてったって今日は要に町を案内する名目で連れ歩いているのだ。それがどうして川の水切り競争になるのだろう。我ながら、自分の行き当たりばったりな行動が信じられない。いったい、いつから自分はこんな適当でゆるい人間になったのか。
でもまぁ、川は町の中心だし。そこから案内するのもいいだろう。そう結論づけて、槙は要の手を引いた。
「行こう、先生」
そう言うと要は諦めたように苦笑をこぼし、大人しく槙の後を着いて行った。
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