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第7話
「あの、槙さん」
「なに」
「僕、なにかしましたか……?」
「べつに」
槙はソフトクリームを買いに来た要からさっと顔を逸らした。そんな態度を取ってはなにかあると言っているようなものなのだが、誤魔化すことでいっぱいいっぱいの槙に気付く余裕はない。
結衣が槙にいつ告白するのかと尋ねてからというもの、槙はずっとこの調子だ。なんだかいい話風になってあの場は終わったが、いざ要の顔を見ると結衣の言葉が脳内を循環し始めてしまったのだ。
もうここまで来ると、この感情は世間一般で言う『恋』なのだと認めざるをえない気がする。かといって告白する勇気なんかは持っていない。というか、日に日に質量を増していく感情に振り回されっぱなしの槙が、まさか告白なんて出来るわけもない。
だから、あれは結衣の冗談。からかわれただけ。昨日湯船に浸かりながら何回も唱えて必死にそう思い込んだ。そう思わないと普通に振る舞うことなど出来やしなかったからだ。だけども、出勤して要の顔を見た瞬間、その自己洗脳は見るも無惨に儚く散ったのだった。
槙はちらりと横目で要を見やる。要は今日も今日とて美味しそうにソフトクリームを頬張っていた。けれど、要はあんなにきらきらと輝いて見えていただろうか。ちょっと痛んだ黒髪も、細い首もなんだかいつもより格好よく見える。なんでだ。要はいつもと同じ不健康そうな甘党の成人男性なのに。
視線に気が付いた要が首を傾げると、たったそれだけの仕草で槙の頬は真っ赤に染まった。
「槙さん。顔赤いし、もしかしたら夏風邪じゃないですか?」
「違うよ。ちょっと暑いだけ」
「ダメですよ、ちゃんと休まなきゃ」
「……先生には言われたくないかな、それ」
強引に話を断ち切り、わざとらしくコーンの在庫を数える。仕事をしている風を装えば、要も槙に話しかけることはしない。しん、と店に静寂が降りる。
槙は要にバレないようひっそりとため息を吐いた、
ちょっと話しただけなのに、体はもう汗でびっしょりだ。言葉の節々から要に自分の感情がバレてやしないか、なんて被害妄想すら浮かんでしまう。
ばくばくとうるさい心臓をシャツ越しに抑えつけて、槙は俯いた。
ダメだ、今の自分は全然まともじゃない。このままだと余計なことばかり口走ってしまいそうだ。
たかが恋で無様なことになりすぎてやいないか、なんて笑わないで欲しい。こちとら初恋なのだ。花も恥じらう初恋という強烈な感情が、未熟な精神を狂わせている。だから、まぁ、こんなあからさまに不審な態度を取るのも許して欲しい。
槙は誰にともなく内心で謝罪をし、気まずい沈黙を払拭するために口を開いた。
「先生」
「はい?」
咄嗟に話しかけたはいいものの、話題が見つからない。何も考えずに口を開いたことをものの数秒で盛大に後悔した。
なにか、なにか話題を。そう思って槙は口を開閉させる。水を求める魚みたいだな、なんて冷静な自分が脳内でツッコミを入れてきた。うるさい、今はそんなこと言ってる場合じゃないだろう。
要はどうかしたのかと首を傾げている。いつもと変わらない笑みが穏やかで、やっぱり好きだと思った。思ってしまった。
「好きだなぁ」
気が付いたら、口から言葉が漏れていた。
要が固まった表情を見て、一拍置いて、それからやっと自分が何を言ったのか気が付いた。誤魔化しようのない盛大な自爆だ。
恋と自覚してからなんか色々ダダ漏れすぎやしないかと声を出さずに自分を散々罵倒する。だが、罵倒したからといって一度口から出た言葉は取り消せない。
どうしよう、要は引いただろうか。聞くまでもなくあの表情は絶対に引いているだろう。
もし、要が自分のせいでソフトクリームを買いに来なくなったら。仲良くしていた友人が自分に劣情を抱いていたとショックを受けたら。きっと要は傷付くだろう。悪い妄想ばかりが活発に脳内を跳ね回る。
誤魔化さなくては。例えどれだけ誤魔化しようがなくとも誤魔化さなければ。
要が何か言おうと口を開きかける。要が声を発するよりも前に、槙は慌てて言葉を重ねた。
「いや、そ、その! 好きだよね、ソフトクリーム!」
自分でもなんとも苦しい言い訳だと思う。
けれど、要は「ああ」と納得したように頷いて、それから槙の目を見つめたままゆるく笑った。
「好きですよ」
ぞわ、と背筋が震える。数秒だけだけど、息が止まった。は、と声になる前の空気が開きっぱなしの口から漏れる。
違う、今の好きは槙に向けてのものではない。分かっているのに、要の甘ったるい声が耳に残って離れない。
べつに、両思いになんてならなくていいと思っていた。そもそも都合よく両思いなんて夢物語もいいとこだろうと思っていた。勝手に好きでいさせてくれれば、自分が誰かを好きになれるような人間になれたと思えれば、それだけで十分幸せだった。
仮に、もしも、本当に要と両思いになんてなってしまったらきっと罪悪感で死にたくなるだろう。
あの時もっと早く家に帰っていれば。兄を助けていれば。そんな思いが消えた日は無い。毎日後悔ばかりして、その度にもう間に合わないのにと苦しくなる。兄の死を利用して逃げた自分が、誰かと付き合うべきではない。そう思う自分も心の中に確かに存在しているのだ。
なのに、こんな、好きという言葉を聞いただけで腰が砕けそうになるなんて。浅ましい自分の存在を自覚して、泣きたい気持ちになる。
槙がひっそり恋愛の熱病と自己嫌悪を反復横跳びしているうちに、要はふと何か思い付いたように言葉を続けた。
「でも、このお店のソフトクリームじゃなかったらこんなに通ってなかったかもしれないですね」
「……なんで? そんなに美味しいの?」
おそるおそる俯いていた顔を上げて、要の顔を見る。要はふふ、と声を漏らして笑い、それから勿体ぶるような素振りで口を開いた。
「だって、このお店に来たら槙さんにも会えますし」
要はそう言うや否やあざとくウィンクまでしてみせる。
槙の心はもう、大荒れだ。全身が発火するんじゃないかというぐらい熱い。
なんなんだ、この人は。なんでそんなことを言うんだ。先生の馬鹿。脳内で思いつく限りの罵倒を要に浴びせた槙は、ずるずる、カウンターの奥に崩れ落ちる。
なんとか絞り出せたのは、蚊の鳴くようなか細い声。
「……あっそ」
「え、どうしたんですか槙さん! 具合悪いんですか?」
「なんでもない」
「え、でも、しゃがみ込んでますし……」
「なんでもないから」
カウンターの向こうから、槙を心配する要の声が響く。それでも顔を上げることは出来なかった。
そっと自分の頬を触る。熱い。
「……こんな、あなたのことが好きですみたいな顔、見せられるわけないじゃん」
きっと、今自分はとても情けない顔をしているのだろう。鏡を見なくても分かる。
今の槙に出来ることは、早く熱が引くのを願うことだけだった。
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