3 / 40
第1章 キトゥン・ブルー(2)
* * *
ラドラムとロディは一緒の房、マリリンは向かいの房に収容された。
あれから取調べを受けたが、真実を語っても『死体は何処に隠した』と詰め寄られるばかりで、全く話にならなかった。
ラドラムは、硬くて窮屈なベッドに横になって、のんびりとした声を出す。
「良かったな、マリリン。シェリフにエスパーが居なくて」
「アンタの冗談は、笑えないトコが欠点ネ」
「素直に喜べよ。今日、お前を女扱いしてくれたのは、シェリフだけなんだから」
マリリンが癇癪を起こす。
「うるっさいワネ! どうすんのヨ。大金どころか、またブタバコじゃない」
ロディはベッドに腰掛け、ごそごそと逞しい胸元を探って、煙草を一本取り出して銜えたが、しまったといった顔をした。
「ラド、火、持ってねぇか」
「持ってる訳ないだろ。万病の元を隠す暇があったら、あの石頭たちを何とかする算段でも考えろ」
「ちぇ、お堅ぇな……」
まだ若く、ロディと反対に連邦平均身長よりもやや小柄なラドラムには、硬くて冷たいベッドも苦にはならなかったが、いつも一緒のプラチナに『おやすみ』を言えない事の方が苛立ちを募らせた。『愛してる』と言えない事も。
やがてロディとマリリンは眠りについたが、ラドラムはブロンドの後頭部に腕を回して枕にしたまま、プラチナを思ってまんじりともせずに夜を明かした。
* * *
「おい、出ろ。朝だ」
ぶっきらぼうな声に、ラドラムは痛烈に皮肉った。
「もうブランチの時間だぜ。食事は、ビュッフェなんだろうな?」
制服の男は眉根を顰めたが、何も言わずに無言で三人を房から出した。
後はお決まりのコース。所持品を返却されて、おざなりな謝罪があって、釈放だった。
「疑いが晴れた訳じゃないが、遺体が何処からも見付からない以上、拘置しておく訳にもいかない。……便利屋だと言ったな。今度何かあったら、ただで済まないと肝に銘じておくんだな」
そんな捨て台詞まで吐かれたが、とにもかくにも三人は自由の身になった。
ラドラムが一番にしたのは、返却されたウェアラブル端末から、プラチナにモーニング・ラヴコールを送る事だった。
「プラチナ、おはよう。夕べは離れちまってすまなかったな」
『おはよう、ラドラム。心配していました。身体に異常はありませんか?』
「ああ、お前におやすみが言えなくて、心は冷え切ってるけどな」
『ラドラム、寒いのですか? ジャケットのヒーターが壊れたのですか?』
「そうじゃない、寂しかった、って意味だ」
『私も寂しかったです、ラドラム。ずっと貴方の事を考えていました』
その毎度のやりとりを聞いて、ロディとマリリンは、生欠伸を噛み殺していた。
「……アホらし」
マリリンが半眼で呟く。
だがひとしきり再会の喜びを分かち合ったラドラムは、真顔に立ち返って仕事モードに入った。
「で、プラチナ。シェリフは何て言ってた?」
『現場の向こうは、湖でした。詳しく調べた所、一箇所だけ、第三者が踏み抜いたと思われる氷の亀裂が見付かったそうです』
「何でぇ、俺たちじゃないって証拠があるんじゃねぇか!」
ロディが憤る。
ラドラムが唸った。
「一箇所だけ、か……。マリリン、賊は何人くらいだった?」
「えーっと……三、四人居たカシラ」
「て事は、あらかじめ湖の氷の厚さを測って、人数を合わせてきた筈だ。暖かい日が続いたんで、一人だけドジを踏んだって所だな」
「そう言えばそうネ。あんなに素早く撤退出来るのって、湖の向こうの森だけヨネ」
「全ては計算されつくした、暗殺劇だったってぇ訳か……」
旨そうに紫煙を燻らせながら、ロディが酒場の扉を開ける。昨日と同じ匂いがした。
「なぁ、ラド。やっぱり、依頼人だったんじゃねぇか? やっこさん」
昨日と同じ面子が、三人を見てひそひそと囁き交わすのが見て取れた。
「俺もそんな気がする」
『便利屋』と聞いて、胡散臭いと言われるのは慣れっこだった。
三人を胡乱に追う痛いほどの視線をものともせず、ラドラムはカウンターに座って店主に声をかける。
「ラムをくれ。……昨日、俺たちが捕まった後、人待ち顔の奴は来なかったか?」
店主は、迷惑そうな色を隠そうともせず、だがグラスにラム酒を注ぎながら言った。商魂は逞しいらしい。
「昨日の新顔は、あんたたちだけさね。後はみんな、依頼待ちか小休憩の荒くれどもさ」
「そうか……ありがとう」
「それよりあんたたち、ベティに何かせんかったか? 昨日から、様子がおかしいんだがね」
「ベティって誰だ?」
「裏のビッグドッグだよ。ワシが餌を持っていっても、いつもなら尻尾を振るのに、唸るんだ。勘弁して欲しいね……」
それを聞いたラドラムは、ちびちび飲っていたラム酒を一気に干し、勢いよくグラスを置いて立ち上がった。
「良い情報だ。これは、情報料と迷惑料だ。これからも贔屓にするんで、よろしく頼む」
ラドラムは三人分の酒代と、その倍のコインをカウンターに転がすと、二人に顎をしゃくる。
「おいラド、景気が良過ぎねぇか?」
「そうヨ。アタシたちの給料に回して頂戴」
「ビッグドッグは頭が良い。奴が、何かを知ってるって事さ」
裏手に回りながら、ラドラムはふと気付いてウェアラブル端末に話しかけた。
「おっと、忘れてた。プラチナ」
『はい、ラドラム』
「血液データの分析は出来たか?」
『はい。分析不可能、という分析が出来ました』
「不可能? お前が?」
『はい。厳密に言えば、地球発祥の人類ではない、という結果です』
酒場の裏手ではベティが丸くなっていたが、三人が姿を見せる前から、すっくとその大きな頭をもたげ、毛を逆立てて威嚇していた。
「可能性で良い、詳しく聞かせてくれ」
『はい。この血液の持ち主は、染色体から、女性であると考えられます』
「それから?」
──バウワウッ!
近付こうとするラドラムに、ベティが吠えた。
『エストロゲン、オキシトシン、プロスタグランジンなどに類似するホルモンの増加が見られ、この女性は出産したばかりだと推論出来ます』
「なるほど。サンキュ、プラチナ。愛してるぜ」
『どういたしまして。私も愛しています、ラドラム』
通信は切れた。
「ベティ……良い子だ。分かるだろう? 俺たちは悪さをしない」
牙をむいていたベティだが、ラドラムがじっと目を見詰めて語りかけると、次第に唸り声が小さくなった。
「ラド、どういう事ぉ?」
「シッ。静かに」
唇の前に人差し指を立てて制すると、弱く吹く風の音だけが辺りを支配した。
いや。ベティが唸るのを止めた事で、聞こえてくるようになった音がひとつあった。
それは、か細く、だが生命の躍動を感じる、小さな『声』だった。ダ、アァ、ウァ、と、まだ言葉にならない天使のような笑い声を上げる。
「……赤ちゃん!」
マリリンが目を白黒させた。
雪原に白犬で分からなかったが、よくよく見れば、ベティが尻尾で守るように腹に抱き込んでいるそこから、声と小さな白い手が覗いていた。
「……ベティ。その子を、渡してくれ。大丈夫だ、危害は加えない。ミルクをやらないと、死んじまうだろ? その子を、守ってやってんだろ……?」
ラドラムが片膝をついてそろりと這い寄ると、一瞬毛を逆立てたベティだったが、犬が腹を見せるように掌を上向けて広げて見せると、しばしあって大人しく一歩身を引いた。
雪原の上に、白い毛布にくるまれた、小さな命が咲いていた。
ラドラムは、素早くそれを拾い上げる。
「良い子だ、ベティも……お前も」
両者に声をかけ、ラドラムは微笑んだ。
それを見て、安心したようにベティは大きく伸びをした。ずっと警戒していたのだろう、眠っていなかったのか、途端に大欠伸をしてうつらうつらと眠りに入った。
「ほら」
「キャッ」
赤ん坊を渡され、マリリンが取り落としそうになって慌てる。
「世話してくれよ。女なんだろ」
「アラ、それって男尊女卑ヨ! アンタがそんな亭主関白だったなんて、ガッカリだワ」
「でもお前、詳しいだろ。妙に」
若干鼻を高くして、マリリンが赤ん坊をあやして揺すった。
「もちろん、レディとドクターの嗜みとして、妊娠から出産、育児まで完璧だけど」
そして、毛布に埋もれている赤ん坊の顔を、そっと覗き込んだ。
「キャッ」
「今度は、何だ?」
銜え煙草のロディも一緒に覗き込んできて、マリリンは即座に赤ん坊を遠ざけた。
「ちょっと、ロディ! デリカシーないワネ。煙草消して頂戴」
「こりゃ失礼」
ロディは素直に従った。むくつけき三十路男でも、赤ん坊には弱いらしい。
「で、何が『キャ』なんだ?」
「見て……この子」
毛布をめくると、赤ん坊の上半身が現れた。裸を毛布でくるんでいるだけだったが、その赤ん坊は、浅黒い顔面以外は全身がウールのような綿毛に覆われているのだった。瞳は、真ん丸だ。
「この惑星の人間か?」
「そう。到着する前、アンタが寝てる間に調べたのヨ。でも、まだ未確認だって……」
「この子が?」
「ええ。この惑星には雪猿 伝説があるんだけど、乗り物じゃ行けないような、険しくて風の強い高山で二~三件しか目撃例がなくて……木立の見間違いとか、幻覚だとか言われてたの」
「じゃあ、殺されたのは、この子の母親のイエティで間違いないな。何で狙われたのかは、まだ分からないが……とにかく、ミルクをやろう。丸一日飲んでないんだから。……それにしては、機嫌いいけどな」
ラドラムが首を捻ったのも無理もない。
赤ん坊は、マリリンの長い赤毛を小さな小さな手で掴んで、ダァダァと楽しそうに引っ張っていた。
「ミルクを買って、いったん、船に戻ろう」
「あっ……」
「どうした?」
「生あったかい……」
「あ~……」
「ガキだから、しょうがねぇな……」
「このコート、お気に入りなのに!!」
漂う香ばしい臭気に、マリリンが悲鳴を上げた。
ともだちにシェアしよう!