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第1章 キトゥン・ブルー(2)

    *    *    *  ラドラムとロディは一緒の房、マリリンは向かいの房に収容された。  あれから取調べを受けたが、真実を語っても『死体は何処に隠した』と詰め寄られるばかりで、全く話にならなかった。  ラドラムは、硬くて窮屈なベッドに横になって、のんびりとした声を出す。 「良かったな、マリリン。シェリフにエスパーが居なくて」 「アンタの冗談は、笑えないトコが欠点ネ」 「素直に喜べよ。今日、お前を女扱いしてくれたのは、シェリフだけなんだから」  マリリンが癇癪を起こす。 「うるっさいワネ! どうすんのヨ。大金どころか、またブタバコじゃない」  ロディはベッドに腰掛け、ごそごそと逞しい胸元を探って、煙草を一本取り出して銜えたが、しまったといった顔をした。 「ラド、火、持ってねぇか」 「持ってる訳ないだろ。万病の元を隠す暇があったら、あの石頭たちを何とかする算段でも考えろ」 「ちぇ、お堅ぇな……」  まだ若く、ロディと反対に連邦平均身長よりもやや小柄なラドラムには、硬くて冷たいベッドも苦にはならなかったが、いつも一緒のプラチナに『おやすみ』を言えない事の方が苛立ちを募らせた。『愛してる』と言えない事も。  やがてロディとマリリンは眠りについたが、ラドラムはブロンドの後頭部に腕を回して枕にしたまま、プラチナを思ってまんじりともせずに夜を明かした。     *    *    * 「おい、出ろ。朝だ」  ぶっきらぼうな声に、ラドラムは痛烈に皮肉った。 「もうブランチの時間だぜ。食事は、ビュッフェなんだろうな?」  制服の男は眉根を顰めたが、何も言わずに無言で三人を房から出した。  後はお決まりのコース。所持品を返却されて、おざなりな謝罪があって、釈放だった。 「疑いが晴れた訳じゃないが、遺体が何処からも見付からない以上、拘置しておく訳にもいかない。……便利屋だと言ったな。今度何かあったら、ただで済まないと肝に銘じておくんだな」  そんな捨て台詞まで吐かれたが、とにもかくにも三人は自由の身になった。  ラドラムが一番にしたのは、返却されたウェアラブル端末から、プラチナにモーニング・ラヴコールを送る事だった。 「プラチナ、おはよう。夕べは離れちまってすまなかったな」 『おはよう、ラドラム。心配していました。身体に異常はありませんか?』 「ああ、お前におやすみが言えなくて、心は冷え切ってるけどな」 『ラドラム、寒いのですか? ジャケットのヒーターが壊れたのですか?』 「そうじゃない、寂しかった、って意味だ」 『私も寂しかったです、ラドラム。ずっと貴方の事を考えていました』  その毎度のやりとりを聞いて、ロディとマリリンは、生欠伸を噛み殺していた。 「……アホらし」  マリリンが半眼で呟く。  だがひとしきり再会の喜びを分かち合ったラドラムは、真顔に立ち返って仕事モードに入った。 「で、プラチナ。シェリフは何て言ってた?」 『現場の向こうは、湖でした。詳しく調べた所、一箇所だけ、第三者が踏み抜いたと思われる氷の亀裂が見付かったそうです』 「何でぇ、俺たちじゃないって証拠があるんじゃねぇか!」  ロディが憤る。  ラドラムが唸った。 「一箇所だけ、か……。マリリン、賊は何人くらいだった?」 「えーっと……三、四人居たカシラ」 「て事は、あらかじめ湖の氷の厚さを測って、人数を合わせてきた筈だ。暖かい日が続いたんで、一人だけドジを踏んだって所だな」 「そう言えばそうネ。あんなに素早く撤退出来るのって、湖の向こうの森だけヨネ」 「全ては計算されつくした、暗殺劇だったってぇ訳か……」  旨そうに紫煙を燻らせながら、ロディが酒場の扉を開ける。昨日と同じ匂いがした。 「なぁ、ラド。やっぱり、依頼人だったんじゃねぇか? やっこさん」  昨日と同じ面子が、三人を見てひそひそと囁き交わすのが見て取れた。 「俺もそんな気がする」  『便利屋』と聞いて、胡散臭いと言われるのは慣れっこだった。  三人を胡乱に追う痛いほどの視線をものともせず、ラドラムはカウンターに座って店主に声をかける。 「ラムをくれ。……昨日、俺たちが捕まった後、人待ち顔の奴は来なかったか?」  店主は、迷惑そうな色を隠そうともせず、だがグラスにラム酒を注ぎながら言った。商魂は逞しいらしい。 「昨日の新顔は、あんたたちだけさね。後はみんな、依頼待ちか小休憩の荒くれどもさ」 「そうか……ありがとう」 「それよりあんたたち、ベティに何かせんかったか? 昨日から、様子がおかしいんだがね」 「ベティって誰だ?」 「裏のビッグドッグだよ。ワシが餌を持っていっても、いつもなら尻尾を振るのに、唸るんだ。勘弁して欲しいね……」  それを聞いたラドラムは、ちびちび飲っていたラム酒を一気に干し、勢いよくグラスを置いて立ち上がった。 「良い情報だ。これは、情報料と迷惑料だ。これからも贔屓にするんで、よろしく頼む」  ラドラムは三人分の酒代と、その倍のコインをカウンターに転がすと、二人に顎をしゃくる。 「おいラド、景気が良過ぎねぇか?」 「そうヨ。アタシたちの給料に回して頂戴」 「ビッグドッグは頭が良い。奴が、何かを知ってるって事さ」  裏手に回りながら、ラドラムはふと気付いてウェアラブル端末に話しかけた。 「おっと、忘れてた。プラチナ」 『はい、ラドラム』 「血液データの分析は出来たか?」 『はい。分析不可能、という分析が出来ました』 「不可能? お前が?」 『はい。厳密に言えば、地球発祥の人類ではない、という結果です』  酒場の裏手ではベティが丸くなっていたが、三人が姿を見せる前から、すっくとその大きな頭をもたげ、毛を逆立てて威嚇していた。 「可能性で良い、詳しく聞かせてくれ」 『はい。この血液の持ち主は、染色体から、女性であると考えられます』 「それから?」  ──バウワウッ!    近付こうとするラドラムに、ベティが吠えた。 『エストロゲン、オキシトシン、プロスタグランジンなどに類似するホルモンの増加が見られ、この女性は出産したばかりだと推論出来ます』 「なるほど。サンキュ、プラチナ。愛してるぜ」 『どういたしまして。私も愛しています、ラドラム』  通信は切れた。 「ベティ……良い子だ。分かるだろう? 俺たちは悪さをしない」  牙をむいていたベティだが、ラドラムがじっと目を見詰めて語りかけると、次第に唸り声が小さくなった。 「ラド、どういう事ぉ?」 「シッ。静かに」  唇の前に人差し指を立てて制すると、弱く吹く風の音だけが辺りを支配した。  いや。ベティが唸るのを止めた事で、聞こえてくるようになった音がひとつあった。  それは、か細く、だが生命の躍動を感じる、小さな『声』だった。ダ、アァ、ウァ、と、まだ言葉にならない天使のような笑い声を上げる。 「……赤ちゃん!」  マリリンが目を白黒させた。  雪原に白犬で分からなかったが、よくよく見れば、ベティが尻尾で守るように腹に抱き込んでいるそこから、声と小さな白い手が覗いていた。 「……ベティ。その子を、渡してくれ。大丈夫だ、危害は加えない。ミルクをやらないと、死んじまうだろ? その子を、守ってやってんだろ……?」  ラドラムが片膝をついてそろりと這い寄ると、一瞬毛を逆立てたベティだったが、犬が腹を見せるように掌を上向けて広げて見せると、しばしあって大人しく一歩身を引いた。  雪原の上に、白い毛布にくるまれた、小さな命が咲いていた。  ラドラムは、素早くそれを拾い上げる。 「良い子だ、ベティも……お前も」  両者に声をかけ、ラドラムは微笑んだ。  それを見て、安心したようにベティは大きく伸びをした。ずっと警戒していたのだろう、眠っていなかったのか、途端に大欠伸をしてうつらうつらと眠りに入った。 「ほら」 「キャッ」  赤ん坊を渡され、マリリンが取り落としそうになって慌てる。 「世話してくれよ。女なんだろ」 「アラ、それって男尊女卑ヨ! アンタがそんな亭主関白だったなんて、ガッカリだワ」 「でもお前、詳しいだろ。妙に」  若干鼻を高くして、マリリンが赤ん坊をあやして揺すった。 「もちろん、レディとドクターの嗜みとして、妊娠から出産、育児まで完璧だけど」  そして、毛布に埋もれている赤ん坊の顔を、そっと覗き込んだ。 「キャッ」 「今度は、何だ?」  銜え煙草のロディも一緒に覗き込んできて、マリリンは即座に赤ん坊を遠ざけた。 「ちょっと、ロディ! デリカシーないワネ。煙草消して頂戴」 「こりゃ失礼」  ロディは素直に従った。むくつけき三十路男でも、赤ん坊には弱いらしい。 「で、何が『キャ』なんだ?」 「見て……この子」  毛布をめくると、赤ん坊の上半身が現れた。裸を毛布でくるんでいるだけだったが、その赤ん坊は、浅黒い顔面以外は全身がウールのような綿毛に覆われているのだった。瞳は、真ん丸だ。 「この惑星の人間か?」 「そう。到着する前、アンタが寝てる間に調べたのヨ。でも、まだ未確認だって……」 「この子が?」 「ええ。この惑星には雪猿(イエティ)伝説があるんだけど、乗り物じゃ行けないような、険しくて風の強い高山で二~三件しか目撃例がなくて……木立の見間違いとか、幻覚だとか言われてたの」 「じゃあ、殺されたのは、この子の母親のイエティで間違いないな。何で狙われたのかは、まだ分からないが……とにかく、ミルクをやろう。丸一日飲んでないんだから。……それにしては、機嫌いいけどな」  ラドラムが首を捻ったのも無理もない。  赤ん坊は、マリリンの長い赤毛を小さな小さな手で掴んで、ダァダァと楽しそうに引っ張っていた。 「ミルクを買って、いったん、船に戻ろう」 「あっ……」 「どうした?」 「生あったかい……」 「あ~……」 「ガキだから、しょうがねぇな……」 「このコート、お気に入りなのに!!」  漂う香ばしい臭気に、マリリンが悲鳴を上げた。

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