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第3章 摩天楼の天使(2)

    *    *    * 「……来た」  四百二十階建ての超高層ビルの最上階、仄明るい間接照明の小部屋で、透明な球体を覗き込み、まだ幼いと言ってもいい少女は呟いた。  そのアメジストパープルの瞳は何か景色を追うように、球体の上を上下左右に細かく動いている。  色素の薄いブロンドは華やかに生花で飾られ、金糸銀糸のローブがよく似合う、美しく儚げな少女だった。 「三人……いえ、もう一人……子供かしら。それからこれは……アンドロイド? 彼らが、あの人を探してくれる……」  傍目には少女の顔を映し出しているだけの球体だったが、彼女には確かに何かが見えているようで、そう呟いて球体に手をかざした。 「プロト……早く会いたい」     *    *    *  一行は、久しぶりの都会を、存分に謳歌していた。  ラドラムは側を離れないプラチナと共に服選び、ロディは酒場でナンパ、マリリンは美容室でカットにネイルにメイクと大忙しだった。キトゥンは、その精悍な長身には不似合いに、ベビーキャリアでプラチナの胸に抱っこされている。  集合時間は、中華街チャイナタウンの前に十二時。  全員で昼食を摂った後、件のフォーチュン・テラーに会いに行く約束だった。 「プラチナ、何か欲しい服あるか?」  アーダムのお陰で景気はいい。ショッピング・モールでカートに沢山の服を乗せて後ろを着いてくるプラチナに、ラドラムは声をかけた。  プラチナは、身体のラインに沿うハイネックのカットソーにスラックス、革手袋、ブーツ、どれも黒ずくめで、唯一出ている首から上の肌だけが白かった。  逞しい胸板から左右に、元気に動くキトゥンの腕を生やして、プラチナはくそ真面目な顔で言う。 「はい。キトゥン用のベビードレスを。余所行きが一着はないと、何かあった時にキトゥンが恥かしい思いをします」  ラドラムが思わず噴いた。 「よくそんな事、考えつくな。キトゥンはまだ赤ん坊だ、そこまで気を回す事はない」 「ですが、キトゥンの願いでもあります。子の恥は親の恥、と」  まるでキトゥンの声を代弁するように熱く語られて、ラドラムは呆れたようにひとつ吐息した。 「は。仕方ないな。お、ちょうどベビーショップがある。覗いていこ……」  ラドラムが言い終わらない内に、店の奥からパンチパーマの女性店員が、文字通り飛び出してきた。 「アラー! 可愛イワネ-、オ嬢チャン! ぱぱトままト、一緒ナノー! 嬉チイデチュネー!」  もはや奇声に近い猫撫で声で、キトゥンの気を引いてから、二人に声をかける。 「お子さんのお洋服なら、ウチの品揃えが一番なんですよ。親子でペアルックも出来ます!」  確かに人類が結婚に男女の区別を付けなくなって久しかったが、アンドロイドとの結婚はまだそれほど一般的ではない。  人間のパートナーとなるべく作られたアンドロイドは、相手が男女のどちらであっても子孫を残せるよう、人工精子と人工卵子を同時に胎内で冷凍保存し、性行為に合わせて解凍する機能を持っていた。  だが多くの『学習』を得なければ拭えない、人間だけが感じ取れる極僅かな『機械臭さ』の機微が問題で、愛玩する者は多くても、パートナーに選ぶまでには至らないのが現状だった。  ところがこの店員は、白いジャンプスーツのキトゥンを『オ嬢チャン』と看破し、彼らを『ぱぱトまま』と位置づけた。  プラチナはほんのり微笑んで、興味を持って店員に話しかける。 「ペアルックは、どういったものがありますか。あまり派手な色や柄でなければ、三人分欲しいのですが」 「ちょ、ちょっと待て、プラチナ! その三人に、俺が確実に入ってるだろ!」 「いけませんか?」 「まあまあ、ママは照れてらっしゃるのね。ご安心ください、無地に、ちょっとしたワンポイントでさり気なくペアを演出するものもありますのよ」  整った童顔が原因で、危うい目に遭った事もあるラドラムは、男なんかとは握手をするのもご免だった。反射的に、大声を上げてしまう。 「誰がママだ!」 「嫌なら、私がママでも構いませんが」 「そういう問題じゃないだろ! 俺たちはママでもなければパパでもない! 誤解を招くような言い方はやめろ!!」  親子連れで賑わっていたベビーショップの店内が、一斉にこちらを窺った。店中の注目を集めて、ラドラムはしまったと掌で半顔を覆う。 「……失礼しました。ご夫婦で、らっしゃらない?」  それでも自分の目利きに自信のある年季の入った店員は、何処か不思議そうにプラチナに尋ねた。  止める間もなく、嘘をつかないプラチナが、やはりくそ真面目な顔で零した。 「結婚はしていません。少し前までは愛し合っていたのですが……私のボディが変わったせいで、彼は戸惑っているんだと思います」  店員はしたり顔で、高説を垂れてきた。 「まあまあ、それはいけませんよ。ボディが変わっても、愛した人に変わりはないのですから。でも、人間には相性というものがありますからね。早めに、元のボディタイプに戻す事をお勧めしますわ」 「ありがとうございます」  その時、キトゥンがグズり始めた。店員が直ぐさま反応する。 「あら、これオムツの泣き方ですよ。お手洗いは、あちらです」 「ありがとうございます。行きましょう、ラドラム」 「あ、ああ……」  結果として、キトゥンとプラチナに助けられる形になった。居心地の悪い雰囲気のそこから、プラチナの先を歩いて離脱する。  トイレの前には、三人掛けのソファが幾つも並んでいた。 「オムツを替えてきます、ラドラム。座って待っていてください」 「おう」  腰掛けて周りを見回すと、ラドラムのように、人待ち顔の人物が五~六人座っていた。  預けられているのか、女物のハンドバックや、山のようなオムツの束に囲まれている者もいる。  その点、プラチナがラドラムに託したのは、ラドラムの洋服が積み上がったカートだけで、優秀なベビーシッターだと言えるだろう。  十分ほどあって、プラチナは出てきた。 「お待たせしました」  助けられた礼の気持ちもあって、ラドラムは再度訊く。 「本当に、お前の服は要らないのか」 「はい。私の服は、着脱は出来ますが、丈夫なデフォルトの装備です。着替える必要はありません」 「そうか? 飽きないか?」 「『飽きる』という概念は、私にはありません」 「そうか。年中無休で船の操縦してるもんな。プラチナに飽きられたら、困っちまう」 「ええ。大丈夫です、ラドラム」  二人は顔を見合わせて笑い合った。  プラチナが実はメールタイプで、ママだのパパだの言い始めた時はショックだったが、慣れという感性を持っている人間であるラドラムは、これまでのメモリーを共有する盟友(とも)として、深い所でプラチナを受け入れてしまっていた。  そんなラドラムに、プラチナも親愛の情を隠すことなく着いていく。  不思議な均衡の関係だった。  当たり前のように大量の荷物を引き受けて、器用に人並みをぬって歩くプラチナに、ラドラムが思わず気遣う。 「悪いな。重くないか?」 「私の積載重量は、通常モードで約一トンです。心配は無用です、ラドラム」 「そうか。そうだよな。サンキュ、プラチナ」 「どういたしまして」  瞳が人工眼球であるという事以外、外見からはアンドロイドと少しも感じさせないほど、プラチナのA.I.は成長していた。  船のボディは新しく乗り換えてきたが、爺様の代からA.I.は変わっていないと、ラドラムは行方不明の父ミハイルに聞いた事があった。  いったいいつから、プラチナは、プラチナなのか。  不意に沸いた疑問を訊ねようとしたが、人ゴミの中で突然誰かに手を握られ、ラドラムは驚いて立ち止まった。 『聞いて』  ざわざわと蠢く雑踏の中にあって、その呟きは、一瞬シン……とした頭の中に直接響いた。  接触テレパス。  ラドラムはひとつの可能性に思い当たったが、振り返って、手を握っているのが身長一メートル余りの七~八歳の少女だと知って、仰天した。 『時間がないの。聞いて頂戴』  その、子供とは思えない切迫した声音を聞いて、ラドラムはそのまましゃがみ込み、明るい声を出した。 「どうした? 迷子か?」 『これの持ち主を探して。会いたいの』  ローブの中から、白い布に巻かれた拳大の包みが差し出された。  ラドラムはそれを素早く受け取ってジャケットの内ポケットにしまうと、絶望の中に一縷(いちる)の希望を見出したような、酷く疲れた瞳を覗き込んで囁いた。 「努力しよう」  大きなアメジストパープルを一度瞬いて、少女は儚く微笑んだ。 「シーア! シーア!!」  途端、雑踏の向こうから、怒声に近い男たちの叫びが上がった。 『行くわ。お願い』  そう最後に残して、少女はふいと手を離し、叫びの方に消えていった。 「ここよ!」 「シーア! 駄目じゃないか、こんな所で車を降りたら。命の保障は出来ないと言っているだろう!」 「ごめんなさい。綺麗なペンダントがあったから……」 「幾らでも、カタログから選べばいい。もう絶対にはぐれるな」  そんな会話が遠ざかっていき、やがて高級なホバーカーが駐車場から飛び立つのが見えた。  ラドラムはそれを見上げ、ぽつりと訊いた。 「プラチナ。今、何時だ?」 「十一時四十二分十六秒です」 「よし、いったん船に帰って荷物を置いてこよう」 「ラドラム、それでは待ち合わせ時間に遅れてしまいます」 「構わない。それより、面白そうな事があった」  宇宙港に向かって早足に歩き出すラドラムに着いていきながら、プラチナは不思議そうに言った。 「面白い? 超能力(E.S.P.)反応がありましたが」 「ああ。依頼を受けた。……と言うか、一方的に頼まれたんだが、子供にあんな目をさせる『事情』ってヤツに興味がわいた」 「便利屋を、続けるのですね?」 「そうだな。もう働く必要はないくらい金は持ってるが、生まれた時からの家業だからな。血が騒いで仕方ない」  肩越しに振り返って片頬を上げると、プラチナもつられるように微笑んだ。 「そうですか。私も、そう考えていた所でした。荷物持ちも出来ますが、もっと貴方を助ける事が出来ます」  二人は揃って、宇宙港のドックに入っていった。

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