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第3章 摩天楼の天使(3)

    *    *    * 「入れない? 俺の船だぞ」 「だから、完全に乾くのにしばらくかかると言っただろう。今塗ったばかりだ、職人として、誰も入れさせないぞ」  新・ブラックレオパード号は、その名に相応しく美しい漆黒のボディに生まれ変わっていたが、入り口の前に禿頭の男が立ちはだかり、頑として道を譲らないのだった。 「荷物なら、ロッカーに預けるんだな」  生まれてからずっと、船のボディパーツの交換はミハイルが行ってきたから、こんな事態に陥るとは、想像もしていなかった。  頑固親父は、腕を組んで睨み付けている。ラドラムがまだ若いので、一睨みで御せると思っているのだろう。  だが男の言はもっともで、ラドラムは口論する愚を犯さなかった。 「分かった。悪かったな。また出直す」 「分かればいいんだ」  男はいからせた肩の力を抜いて、ラドラムたちを見送った。 「プラチナ。一番近くのロッカーは何処だ?」 「ここからだと、宇宙港を出て南に百二十メートルの所に、大型ロッカーがあります」 「ああ、そうだな。大型じゃないと入らないな」  その時、ウェアラブル端末が小さな電子音を立てた。 『ちょぉっと、ラドォ。何処に居るのヨ。もう十二時ヨォ』 「ああ、悪い。荷物が嵩張ってな。ロッカーに預けてから行くから、あと二十分待ってくれ」 『ロディもまだなのヨォ。急いで来たアタシが馬鹿みたい!』  マリリンの声が、不機嫌に間延びする。 「悪い悪い。後で、な」  通信を切って、ラドラムはマネーカードを取り出した。  アーダムから頂戴した現金は、山分けして口座に移してあった。取引の痕跡を残さない為に、現金を引き出させたのだ。  そしてプラチナと手分けして、荷物をロッカーに入れていく。  大型ロッカーいっぱい、崩れそうなほどにそれは何とかおさまった。 「ラドラム。このままチャイナタウンに向かえば十分未満で着きますが、何か他にやる事でも?」 「鋭いな、プラチナ。ちょっと来い」  そう言うとラドラムは、賑やかな大通りを外れて何層にも重なった惑星の下層行きのエレベーターに乗って、プラチナを手招いた。 「ラドラム、地下はスラム街です。犯罪に巻き込まれる確率が、高くなります」  着いていきながらも心配そうに言うプラチナに、ラドラムはひとつ笑った。 「ああ、分かってるよ。なるべく人通りの少ない所を探してんだ」 「それでしたら、こちらの路地へ」  やや強引に、プラチナは地下一層に着いた途端、一本の路地にラドラムを押し込んだ。  奥へ行くほど、犯罪の発生率は高くなる。彼なりに、ラドラムを心配しての事だろう。 「何をするんですか、ラドラム」 「……これだ」  ラドラムは、ジャケットの内ポケットから、拳大の布包みを取り出した。先ほど少女から渡されたものだった。 「何だと思う?」  だがその問いは答えを期待してはいないようで、すぐに包みを開きだす。  拳大のそれは――文字通り『拳』だった。 「うおっ」 「男性の左手、ですね」  驚くラドラムとは対照的に、プラチナは冷静に分析する。 「どんな依頼だったんですか?」 「これの持ち主を探して、だ。つまり、この手がくっ付いていた筈の人間を探せばいい訳だが……」  言いよどむラドラムに、プラチナが促した。 「何か問題でも?」 「確か、シーアと呼ばれていたな。分かってるのはそれだけだ。見付けても、誰に知らせればいいか分からない。秘密裏に頼まれた仕事だから、『シーア』って名前を片っ端から当たる訳にもいかないし」 「付着したDNAを、住民データと照らし合わせてみましょうか?」 「ああ、そうだな。頼む」  プラチナはそれを受け取って、色んな角度から掌を見詰める。人工眼球の中では、付着物を探して十字の視点がグリーンに点滅して彷徨ったが、何も発見する事は出来なかった。 「付着物はありません」 「そうか……どうしたもんか」  プラチナは、力任せに引き千切られたような、手首の切断面に触れる。 「ただこの手のDNAから、持ち主について分かった事があります」 「お、何だ」 「カイン・ベルナール。惑星イオテス出身。宇宙歴百六十八年七月三十日生まれ。宇宙歴二百四年六月九日死亡。画像データはありません」 「死亡? 二百年も前の手には見えないけどな」  プラチナは一度瞬いて、サーチモードを終了させた。 「はい。簡単な防腐処置はされていますが、少なくともこの手が持ち主と離れたのは、十年以内と推測されます」 「……クローン? それも違法の?」 「はい。いわゆる『クローン法』で、医療機関の特別許可のないクローンは、禁止されています。カイン・ベルナールは、その許可を受けていませんでした」  顔の下半分を掌で覆って、ラドラムは考え込む。 「違法クローンなら、探し屋(サーチャー)でなく便利屋(俺たち)に頼んだのは納得がいくが……」 「ラドラム。人が来ます」  狭い路地の入り口から、ラドラムたちを眩しい閃光が照らし出した。咄嗟に、プラチナがラドラムを抱き締める。 「何をやっている!」  逆光だったが、プラチナには連邦警察のバッジが見えていた。 「何でもねぇ。これからお楽しみなんだから、邪魔しねぇでくれよ」  背を向けラドラムを庇いながら、プラチナはゆっくり振り返ってニヤリと笑う。メタリックな人工眼球が光をきらりと反射した。 「ああ、こいつは俺のセクソイドだ。ムードを壊さないでくれ」  ラドラムがプラチナの腕の中で言うと、男は顔を顰めて忠告した。 「こんな所でヤる気か? 身ぐるみ剥がれても知らないぞ。せめて屋内にしろ」 「ああ、もちろんだ。ちょっとキスしてただけさ」  プラチナが追い払うように手の甲を振ると、男は顰めっ面のまま、無言でライトを引っ込めて去っていった。  路地裏は、元の薄暗さに戻った。 「もう大丈夫です。ラドラム」 「危なかったな。……離せ」  ラドラムを抱き締めたままのプラチナに、ややつっけんどんに苦情を入れる。  警官がいた時は悟ったように静かにしていたキトゥンだが、ラドラムとプラチナの間に挟まれているのが嬉しいのか、機嫌良く手脚をバタつかせた。 「あ……すみません。心地良かったので、つい」  その言葉に、ラドラムが頬に汗を滲ませた。 「あのな……」 「何ですか、ラドラム」 「……何でもない」  複雑な表情で、ラドラムは瞑目した。  だが、ふと顔を上げてプラチナを見る。 「よくあんな出鱈目が咄嗟に出たな」 「先日のロディの会話パターンを、応用しました。違法クローンの一部を持っていると連邦警察に知られたら、厄介なので」 「ああ、よくやった、プラチナ」 「どういたしまして。ラドラム、すぐにチャイナタウンに向かわないと、また約束の時間を過ぎてしまいますが」 「そうだった。マリリンの機嫌を損ねたら、長引くからな」  ラドラムは、プラチナから『手』を受け取ると、元通り布にくるんでジャケットの内ポケットにしまった。  二人は上層行きのエレベーターに乗って、チャイナタウンを目指した。

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