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第3章 摩天楼の天使(4)
* * *
「プラチナ。ラドが何分遅刻したか、計算して頂戴」
「十八分二十三秒です」
「アタシは、十分前から待ってたのヨ! 十分前行動! 徹底して頂戴」
「まあまあ。悪かったよ。そのネイル、綺麗だな」
頭から湯気が出るかと思うほど怒っていたマリリンだが、ラドラムが、華やかな南国に似合うとりどりの原色のネイルを誉めると、途端に相好を崩した。
「アラ。分かる? 今ヒューリで流行ってる、最新ネイルなのヨ」
ラドラムは分かりやすいおべっかだったが、ロディは女心をくすぐる台詞を並べてみせた。
「新しいワンピースの柄とも合わせてるよな? それに、髪も少し染めただろ。よく似合ってるぜ、マリリン」
「アラ、ありがと、ロディ。アンタ、意外と気が付くのネ」
ロディも五分ほど遅刻したが、これでいっぺんにマリリンの機嫌はよくなった。
女と見れば雌猫でも口説くロディの、特技の一つがこれだった。
ラドラムとロディは瞳を見交わして、共犯者の色で口角を上げる。
「あ~、怒ったら余計お腹が空いちゃったワ。早く行きマショ!」
一行は、朱色に塗られた門をくぐり、惑星ヒューリの観光名所にもなっている、広大なチャイナタウンに入っていった。
店は、マリリンが決めた。大昔のチャイナスタイルで、回るテーブルの上に、大皿が幾品も並ぶ。
プラチナとキトゥンは食べない、あるいは食べられないが、共にテーブルを囲んで、賑やかなランチとなった。
「で? ナンパは出来たのか、ロディ」
「それがよ、守備よくいってると思ってしっぽり飲んでたら、旦那が現れやがってよ」
「何だそりゃ。美人局 か?」
「そのつもりだったらしいな。反重力グローブでグラスを握り潰してみせたら、慌てて逃げていったけど」
「はは、ロディが失敗するなんて、珍しいな」
「それが、とびきり良い女でよ……」
「ア……ア……」
「キトゥン、アンタはまだ駄目よ。お腹壊しちゃうワ。欲しいなら、ミルクをあげる」
マリリンの膝の上から、蒸し餃子に手を伸ばそうとするキトゥンを制し、彼女はプラチナから預かったマザーズバッグを開ける。
「……いえ」
すると、黙ってテーブルを囲んでいたプラチナが、ふと声を上げた。
「なぁに? プラチナ」
「キトゥンは、すでに食べ物を消化する能力を備えているそうです。それが食べたいと言っています」
「え? だってまだ、一ヶ月ヨ? 離乳食も作ってないし、いきなり固形物なんて……」
「大丈夫だと、キトゥン本人が言っています」
ラドラムが身を乗り出した。
「そう言えば、プラチナ。前もキトゥンの心を読んだな。俺たちが聞こえないのに、何でお前に聞こえるんだ?」
「すみませんラドラム、データ不足で不明です」
「キトゥン。俺には、駄目なのか?」
接触テレパスの可能性を考えて、小さな手を握ってみる。
「ダ……ウア……」
しかしラドラムには何も感じられず、代わりにプラチナが答えた。
「地球発祥の人類とは、『相性』が悪いようです。テレパシーの聞こえない私に聞こえるという事は、何らかの電子的周波数を発している可能性があります」
「ふぅん……凄いな、キトゥン」
ラドラムの差し出した人差し指を握って、哺乳瓶をしゃぶるように口に入れると、チリリと痛みが走った。
「いてっ。……歯が生えてるぞ」
「えっ!? 人間だと、早くても三ヶ月目ヨ? キトゥン、イーして」
言われた通り、キトゥンはニカッと笑った。小さな歯がびっしりと揃って生え、糸切り歯は鋭く尖っていた。
「大変! 今日から歯磨き始めなきゃ」
「ほら。やっぱり服が小さくなったのって、育ってるからなんじゃねぇのか。人間くれぇだろ、一人前になるまで何年もかかるの」
「よく分からないけど、とにかく凄いな。キトゥン」
キトゥンは蒸し餃子を手づかみで皿から取り、零しもせずに上手にもぐもぐと頬張っていた。
「美味いか? キトゥン」
「美味しいと言っています」
「メニューの端末見ろ。一ページずつ進めるから、欲しいものがあったら、止めろ」
ラドラムがメニューリストを操作すると、キトゥンとマリリンが、同じページで声を上げた。
「ダ!」
「ストップ! アタシ、杏仁豆腐」
「ア……」
「キトゥンも杏仁豆腐と言っています」
奇妙な通訳を介して、ラドラムとキトゥンの会話は成立していた。
「女の子はスイーツに目がないのヨ。キトゥン、きっと美人に育つワァ」
マリリンが、キトゥンを抱き上げてふさふさの頬と頬を擦り合わせた。
* * *
「……来た」
地下三層の光が瞬く一室で、仮眠用の粗悪で硬いベッドに腰掛けて閉じられていた瞼が、きっぱりと開く。
プラチナと同じ、人工眼球だった。癖のある髪は明るいブラウンだったが、よく観察すれば、それは染めたものだと分かっただろう。根元が五ミリほど伸びて、本来の黒髪が覗いていた。
組み合わせた指の上に顎を乗せ肘を太ももに付き、感情の読めない無表情で呟いたのは、肌のあちこちにメタリックな継 ぎ接 ぎが覗く、アンドロイドともサイボーグともつかぬ青年だった。
だがその青年の容貌よりも、部屋の中の光景の方が異様だった。
小型のモニターが天井まで不規則に積み上げられ、そのどれもが違う街角の風景を映し出している。
その中の一つに、青年は注目した。金糸銀糸のローブを着た少女が、ブロンドの男に何かを手渡す瞬間が見てとれた。
「八十一番、停止 」
そのモニターの風景だけが、静止する。
「拡大 」
ラドラムの横顔が、画面一杯に拡大された。
それは、この惑星にある防犯カメラの映像だった。無論、ハッキングしたものだ。
一台一台、数秒おきに画像が切り替わって、膨大な量のカメラ映像を全て網羅している。
青年が、
「追跡 」
と言うと、その中の、ラドラムが辿った軌跡が映像で再現された。
地下一層におりた映像も、プラチナと『手』を見ている映像も映し出された。
「……S-511。何をしようとしている……」
青年はボロボロのローブを羽織って、部屋を出る。
狭かった仮眠室とは打って変わって、そこは白一色のだだっ広い大部屋で、ベッドが幾つも並んでいた。
いや。ベッドというには、シーツも枕もない、ただの台だった。
壁際にずらっと並ぶ円筒形の水槽に、人間になりそこなった胎児の欠片が幾つも入っているのを見れば、人はそれを『実験台』と呼んだだろう。
青年はそこを抜け、地下一層を目指して研究所 から出ていった。
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