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第3章 摩天楼の天使(5)
* * *
「このビルヨ!」
マリリンが男たちを引き連れて、元気に四百二十階建ての超高層ビルを仰ぎ見る。その最上階に、件のフォーチュン・テラーが居るという。
地上からは、空に霞んで最上階は望めなかった。
「凄ぇ……ブルジョアの象徴みてぇなビルだな」
「そうヨ。女の子なら、みんな一度は聞いた事がある筈ヨ。レディ・キューピッド!」
「恋の天使 ? 胡散臭さ百万倍だな」
そうすれば見えるような気がするのか、額に手をかざして遥か高みを見上げるラドラムを、マリリンが胡乱な流し目でチラと見た。
「男ってロマンがないワネ~。人生の半分、損してるワヨ。恋占いだけじゃないみたいだから、自分の器でもみて貰ったら?」
「俺の人生だ、他人にとやかく言われたくない」
「失礼だから、レディ・キューピッドの前でそういう事、言わないでヨネ」
一行はエレベーターに乗り、最上階を目指す。階数を示すデジタル表示が、人間の目では認識できないほど目まぐるしく変わり、あっという間に最上階についた。
開いたドアを抜けると、
『天使のお告げ へようこそ』
と、合成音声が出迎えた。
薄く透けるドレープカーテンが、幾重にも廊下の奥へ続いているのが見える。
ラドラムから見れば子供騙しだったが、マリリンはそれを『神秘的』と取ったようだった。
「凄いワ……!」
『奥へお進みください。レディ・キューピッドが貴方の未来を占います』
入り口には料金メニューが明記されていて、ラドラムの胡散臭い印象は多少変わったが、どれも一般家庭の月給は軽く超えていて、好印象は持てなかった。
それでも、マリリンがどんどん奥へ入っていくので、つられてノロノロと後を着いていく。
行き止まりには、大きな水晶の珠が乗ったテーブルと、椅子が二脚、並んでいた。
「……お座りください」
今度は合成音声ではない、若い女の声が、カーテンの向こうから聞こえてきた。
「本物のレディ・キューピッド?! アタシ、いつか貴方に占って貰うのが夢だったの!」
マリリンが興奮を爆発させるが、そんな反応には慣れているのか、声は冷静に返した。
「ありがとうございます。どうぞお座りください」
「アタシは恋占いをして欲しいの! それから、プラチナ、アンタも興味があるのヨネ?」
一脚の椅子に腰掛け、隣を差してキトゥンを抱いたプラチナに言うが、声は即座にそれを断った。
「申し訳ありませんが、電子脳の方の未来は占えません。私の占いとは、あらかじめ脳に記録されている未来を、垣間見るのです」
「アラ……残念だったワネ、プラチナ」
「その代わり」
声は続けた。
「後ろの、ブロンドの男性の方」
「あ? 俺?」
「貴方は、とても珍しい未来をお持ちです。料金は結構ですから、どうぞお座りください」
「えーっと……」
声が初めて、揺らいだ。微かに笑ったのだ。
「胡散臭いと思っていらっしゃる事も、料金を後から請求されるのではと思っていらっしゃる事も、よく分かります。貴方は心が素直だから、考えている事がハッキリと分かります。お名前は……ラ……ラドラム。ラドラム・シャー。貴方は差し迫って、探したい人がいるのですね。占いましょう」
これには、ラドラムも驚いた。エスパーだとしても、かなり精度のいいエスパーだ。
「何で、無料 でみてくれるんだ?」
だがラドラムは、まだ占いを受ける気になれなかった。理由は、はなから信じていないからだ。
「貴方の未来に、興味があるからです。では、ミス・マリリン・ボガードを占ってから、決めてください」
「アタシの名前!」
「ええ。貴方は、黒髪の男性が抱いている子を、本当に自分の娘のように思っているのですね。強い母性を感じます。人に明かせない素性の娘さんの事は、内緒にしておきましょう」
「驚いた……その通りヨ」
「占って欲しいのは、将来のパートナーの事ですね?」
「ええ」
水晶珠が、仄明るく輝いた。
「将来のパートナーに、すでに貴方は出会っています。まだ、ご自分でもその気持ちに気付いていないだけ……。そう遠くない未来、告白をする事になりますが、結ばれるまでには、幾多の困難が待ち受けています。でも、諦める事はありません。困難が多いほど、貴方の愛は燃え上がるのですから……」
「そのパートナーって、いい男!?」
思わず身を乗り出すマリリンに、涼しい声が答えた。
「ええ、好みは様々ですが、十人中八人が好ましいと答えるでしょう」
「年下かしら、年上かしら?」
「……年下ですね。少し諦めの早い所がありますから、貴方がその恋をリードしなくてはなりません。そうすれば、いずれ想いは成就するでしょう」
「聞いたラド、年下のイケメンですって! せっかくなんだから、アンタも占って貰いなさいヨ!」
無意識に腕を組んで心をガードしながら、ラドラムはそれを聞いていた。
占いなどした事がなかったから、果たしてその真意が分からない。相手が喜びそうな事ばかり言うかと思っていたが、そうでもないらしい。
ロディが、そっと耳打ちしてきた。
「ラド、良いんじゃねぇか? タダだって言うんだから、占って貰えよ。減るもんじゃあなし」
まだ、あの『手』の事はプラチナしか知らない。それを言い当てているような言に、次第にほだされているのは確かだった。
「本当にタダなんだろうな」
「ええ。貴方に興味がわいただけなんです」
「じゃあ」
と、ついにラドラムはマリリンの隣に腰掛けた。
「俺が探してる奴が、見付かるのかどうか、占ってくれよ」
また水晶珠が、光を帯びた。
「……貴方が探している方が、五人、見えます」
「五人?」
そんなに探している覚えはないと、ラドラムは声に怪訝を滲ませる。
だがレディ・キューピッドなる人物は、カーテンの向こうから迷いなくスラスラと言葉を紡いだ。
「ええ。一人目は、すぐにでも見付かります。もう一人は……貴方に探される事を拒否しますが、困難に耐えて立ち向かえば、よい結末を迎えるでしょう。三人目は、貴方も当人も、探す事、探される事を諦めている人物です。思わぬ所から、その人物は見付かるでしょう」
しばしの沈黙が落ちた。
「……残りの二人は?」
「ええ……気を悪くしないでくださいね。私は真実しか話しません」
「誰の事だかも分からないんだ、構わないぜ」
「貴方がかつて求めていた人物は、この世で永遠に見付かる事はないでしょう。それと、かつて貴方が愛していた人物ですが、貴方もその方が近くに居る事を分かっている筈です。でも、現実を否定し、探している。残念ながら、この人物が見付かるかどうかは、今の貴方の脳には記録されていません。貴方の気持ち次第で、未来は変わります」
「分からないなんて占いがあるのか?」
「ええ。未来は、確定ではありません。状況、相手の心理、自分の気の持ちようによっては、大きく変わる事もままあります」
「ふぅん……」
ラドラムは気のない返事をして、席を立とうとした。
だがカーテン越しの声が、それを阻止した。
「それから、近しい未来に、双子座流星群が降り注ぐのが見えます。貴方は、沢山の人生を生き、それに足を取られる事になります。気を付けてください」
「流星群? 具体的に、何をどう気を付けたら良いんだ」
まるで抽象画のような曖昧な物言いに、ラドラムが眉根を顰めるが、声は冷静なまま答えた。
「ひとつひとつの星に気を取られる事なく、その源 、夜空に心を向けてください」
「はあ……何だか、連邦標準語を聞いてる筈なのに、さっぱり分からないな」
「今は分からなくても、いつか分かる時がきます。貴方は、待っていれば良いのです。占いは以上です。貴重な未来を見せて頂きました。私の我がままを聞いてくださって、ありがとうございました」
「年下のぉ~イッケメン~」
マリリンは帰りしな、勝手に作詞作曲して、鼻歌で上機嫌だ。
ラドラムだけが、狐につままれたような顔をして、踵を返した。
『ラドラム!』
だが、不意に呼ばれたような気がして条件反射で振り返ると、カーテンを片手でまくり上げ、シーアと呼ばれた少女が微笑んでいた。
「あ!」
だが一瞬後には、幻のようにカーテンは重く閉ざされた。
「どうしました? ラドラム」
プラチナだけがラドラムの異変に気付き、カーテンの方を窺って気遣った。
しかしもう、ぼうと見えていたカーテンの向こうの人影は居ない。
『ありがとうございました。お支払いは、マネーカードか連邦ドルでお願いします』
出口では、人工音声が言外にお引取りを願っていた。
『一人目は、すぐにでも見付かります』。確かシーアはそう言っていた。図らずもそれは、今の所百発百中なのだった。
* * *
時刻は、すでに十五時を回っていた。
まずはこの依頼があった事を、船内に戻ってからクルーに伝えなければならない。
その事ばかり考えていて、ウッカリ荷物の事は何処へやらだった。
「ラドラム。荷物はあとで取りに行きますか?」
プラチナに指摘されて、ようやく思い出す。
北側の道を通ってきたから、一度宇宙港への入り口をやり過ごし、南へ百二十メートル行かなければ、荷物を出す事は出来ない。
「そう言えば、荷物を預けたって言ってたワネ」
「ああ。プラチナに持って貰うから、お前たちは先に船に戻っていてくれ」
「分かったワ」
マリリンはまだ、作詞作曲した鼻歌を歌いながら、上機嫌に宇宙港へと入っていった。
「ラドラム。先ほど、エンジェルズ・オラクルで何かありましたか? 集中力に欠いているようですが」
「ああ……。見たんだ。レディ・キューピッドは、シーアだ、プラチナ」
「なるほど。彼女には、きっと見えていたんでしょうね。私たちがエンジェルズ・オラクルを訪ねていくのが」
「たぶんな」
マネーカードを取り出し、清算を済ませ、縦横奥行き共に一メートルの大型ロッカーのドアを開ける。
中身が、ゆらりと手前に倒れてくるのが、スローモーションのようにゆっくり見えた。
――ドサッ……。
身に覚えのない中身に、一瞬、ロッカー番号を間違えたのかと思った。
しかしそれは紛れもなく、悪意をもってすりかえられたものだった。
『それ』に気付いた道ゆく人々が、口々に叫ぶ。
「クローン!」
そう、中身は、ラドラムと寸分たがわぬ顔かたちをもった、胎児のように丸まった全裸の『彼』そのものだった。
ハメられた。思った時には、もう遅かった。
「タレコミ通りだ。十五時二十三分、違法クローン所持の現行犯で逮捕する」
都合よく張っていた連邦警察が、極彩色に輝く紐状の手錠で、ラドラムとプラチナの手首を繋ぐ。
「……プラチナ!!」
「はい! 掴まってください、ラドラム!!」
連邦警察支給のこの手錠は、思考パターン認識錠で、力を加えれば三十センチほどのゆとりは出来るが、けして外れぬ事で有名だった。柱にでも繋がれたら、諦めるしかない。
ラドラムの号令に合わせて、プラチナが彼を腕に横抱きにし、周囲を囲む屈強な警官たちに鋭く体当たりを食らわせながら、走り出す。
その姿は、まさしく黒豹のようだった。マックススピードは、百メートルを六秒フラット。
「ロディ、ハッチを開けて、すぐに飛び立てるように用意!!」
ウェアラブル端末に怒鳴ると、修羅場慣れした返事が、短く返った。
『アイサー!』
船の入り口が開ききる前に、プラチナがそこに滑り込んで、直ちにドアは閉められた。
すでに出力いっぱいだったエンジンは、堰を切ったようにエネルギー粒子を噴く。
他の船の入港で、細く縦に閉まりかけていた宇宙港の出口から、ブラックレオパード号はロディの操縦で、そこを縦一文字にくぐり抜けて宇宙空間へと飛び出した。
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