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第4章 Dead or Alive(6)

    *    *    *  キトゥンが元気よく泣く声で覚醒した。金色の睫毛を上げると、薄暗い目の前にプラチナが跪いて、ベッドに突っ伏して休んでいた。  反応がやや鈍いが、プラチナもその声に起こされて顔を上げる。  ラドラムは上半身を起こし、左手で眠い目を擦って小さく欠伸をした。 「ふぁあ……キトゥン、腹減ってんのか?」 「そのようです」  ベッド脇のサイドテーブルを見ると、マリリンたちが置いていったものか、真空パックにされた新鮮な温野菜サラダに、一口大に切り分けられたステーキがあった。これはキトゥンの分だろう。  ラドラムの分はなかった。そこまで手を焼くほど甘やかすつもりはないと、手厳しいマリリンからのメッセージなのだった。  プラチナは緩慢な動きで立ち上がり、ベビーキャリアごとキトゥンを手放すと、ラドラムの隣に寝かせる。サイドテーブルの食事を真空パックから取り出して、大声で泣くキトゥンの目の前に持っていった。 「キトゥン。ご飯です」 「ア……ウア……」  すぐにキトゥンは泣き止んだ。  ラドラムはキトゥンを抱き上げ座らせて、プラチナからオクラを受け取ってその口に運ぶ。  両手でしっかり掴み、キトゥンは美味しそうにかぶり付いた。 「美味いか? キトゥン」 「ウ……ウマッ」 「そうか」  思わずラドラムとプラチナは、顔を見合わせて相好を崩す。  野菜にも肉にも、ドクターであるマリリンのオーダーか、殆ど味はついていなかった。自分も腹が空いているのを思い起こしたラドラムが、肉を一切れ口に入れてみて、気付いた事だった。プラチナがたしなめる。 「ラドラム。子供の食事を取らないでください」 「味見だ、味見」  プラチナの手を得て、ラドラムに渡される食事を、キトゥンは上手に食べる。  だがよほど腹が減っていたのか、大量の唾液を出しながらモグモグと咀嚼する口元を、プラチナがマザーズリュックから出したウェットティッシュで拭った。  食事も終わりに差し掛かり、最後に残ったカボチャを食べさせようとすると、キトゥンは匂いを嗅いでからそっぽを向いた。一度匂いを嗅いだという事は、もう要らないという事ではないのだろう。  ラドラムからカボチャを受け取って、プラチナが優しく言い聞かせた。 「キトゥン。好き嫌いしては、罰が当たります」 「ダ!」  キトゥンは口元に当てられるカボチャから顔を逸らし、べーっと小さな舌を覗かせる。 「お前、本当に母親みたいだな」  母親を知らぬラドラムは、その光景に心温まって、しげしげと眺めては笑う。 「マ……ママ」 「キトゥンもそう思っているようですね。駄目ですよ、キトゥン。食べてください」 「ンム……」  しばらく細やかな攻防を繰り広げていた二人だが、プラチナのしつこさに負けて、渋々といったていでキトゥンは口を開けた。自分では持たずに、プラチナに促されてモソモソと咀嚼する。  やがて全て口に入ったのを確認すると、プラチナはマザーズリュックからレトルトの林檎ジュースを取り出した。パウチを開け、ストロー付きのコップに入れて、サイドテーブルに置く。  突然だった。フラついたプラチナが、ベッドの上に黒髪を散らして倒れてきたのは。  ラドラムは咄嗟に、抱いていたキトゥンを庇って背を向ける。 「プラチナ? 大丈夫か、プラチナ!」  幸いラドラムにもキトゥンにも当たらずにベッドの余白に倒れ込んだプラチナは、瞼を閉ざし、呼びかけにも応えなかった。  慌てたラドラムは、思わず唇の前に手をかざして息を確かめて、それが馬鹿げた行為だと思い知る。  キトゥンを反対側に寝かせ、肩を揺すると、薄っすらと目が開いた。  まるで喘息患者のように、プラチナがヒューヒューと掠れた声音を出す。 「すみません、ラドラム……。おそらく……砂の影響かと……」  そうだった。あまりにも自然過ぎて気付いてやれなかったが、プラチナは『機械』だった。  『機械なんかは、いっぺんにおかしくなる』  宇宙港で出迎えてくれた男は、そう言っていなかったか。  焦燥に混乱するラドラムの上に、プラチナが覆い被さってきた。 「プラチナ!?」 「壊れて……しまうのなら……私は、私が『生きていた』証を残したい。ラドラム……愛して、います……」 「ンッ!?」  余りにも性急なプラチナの行動に、抗う事さえ出来なかった。  ラドラムの淡く色付いた唇が塞がれる。プラチナの、薄い唇で。 「ん……やめ……」  リップノイズを立てて、プラチナは情熱的に角度を変えてラドラムを幾度も愛おしむ。驚きから立ち返って顔を逸らすと、両耳を塞ぐようにして、顔を固定された。  聴覚を奪われたせいで、頭の中に粘着質な音が響いて、背筋を弱い電流が流れるように余計に感じてしまう。  そう、男とは握手もしない筈のラドラムは、混乱しながらも確かにこのキスに感じていた。  相手が、愛する『プラチナ』だからこそ。そうとしか考えられなかった。 「は……」  瞼を固く瞑ってキスの嵐に耐えていると、歯列を割って熱い舌が入ってくる。  意外だった。先入観から、冷たいのだろうと思っていたが、人工皮膚の粘膜はラドラムと同じくしっとりと潤って、唾液を注ぎ込んできた。  子供の頃からプラチナだけを愛してきたラドラムは、知識こそあるものの、キスすらも経験がない。  咄嗟に鼻で息をつぐ事が出来ずに、夢中でプラチナの唾液を飲み下した。 「ラド……ラム……愛し、て……います」  唇が顎から首筋へと、下りていく。  片手首同士を連邦錠で繋がれている為、不自由な求愛は、何だか倒錯的な快感を生み出した。 「あ、やっ、めろ、プラ、チナ……!」  言葉は拒んでいたが、その声はまるで煽るように、ハスキーに枯れている。  タンクトップが捲り上げられ、胸の尖りを舌で嬲られると、プラチナの肩を押し返そうとしていた掌が反発する力を失って、ただキツく掴んで快感に耐えた。  強く吸われて敏感に勃ち上がったそこへ、更に歯を立てられては、ラドラムはただ喘ぐしかなくなった。 「ぁんっ、プラチ、ナっ、駄目だ……っ」 「身体は、駄目とは……言ってませんよ」 「キトゥン、が、見てるっ」 「大丈夫、です。お腹が……いっぱいになって、眠っています……」 「ひゃ・やっ」  下肢にプラチナの手が下りて、布越しに柔々と形を確かめられ、ラドラムは羞恥にどうにかなってしまいそうだった。  そこは、意志とは裏腹に、硬く芯を持ち始めていた。 「ラドラム……愛して……います。貴方は……?」 「馬鹿、あっんぁっ……」  ジーンズのジッパーを下ろす音が、やけに大きく響き渡った。  ラドラムは為す術もなく、初めての行為を恐れてじわりと涙を滲ませる。 「ん……っ」  だが恐れていた行為は、始まらなかった。 「……ん?」  ラドラムのジッパーを下ろし、胸に唇を当てたまま、プラチナは機能を停止していた。  弛緩した大柄な成人男性の全体重が身体にかかり、ラドラムは今度は重さに喘ぐ。何とかその黒ずくめの胸板の下から這い出すと、ラドラムはジッパーを上げた。 「プラチナ……?」  愛する悦こびを理解しかけていた頭が、愛する人を永遠に失ったかもしれない絶望に、塗り替えられていく。  ラドラムは、捲り上げられたタンクトップを元に戻し、助けを求めてウェアラブル端末に呼びかけた。

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