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第9話

「お前が犯人だったのかよ!」 「今頃気付くなんざ奇跡的にめでてーオツムだな。まさか今の今まで寝てるだけで勝手にイッたと思ってたのか?てめぇくらいド淫乱ならそれもアリかもしんねーけど」 「アリじゃないよ、もう少し申し訳なさそうにしろよ!なんて奴だなんて奴だ、まったく油断も隙もあったもんじゃない、一体どこの世界に無防備に寝てる兄に悪戯する弟がいるんだ」 「目の前にいんだろ、目ん玉かっぽじってよく見ろ」 「目ん玉かっぽじったら何も見えない」 「もっかい押し込め。俺の隣で腹丸出しにして寝てるのが悪ィ、テーブルにのった駄バトの丸焼き、さあ召し上がれって言ってるようなもんだ」 「レイプされるのは夜に薄着で一人歩きしてるのが悪いみたいな理屈だな、強姦魔が悪いに決まってるだろ」 ピジョンは正論を突き返す。 ピジョンだってスワローを一度も疑わなかったわけじゃない、なにせコイツには塵も積もってバベルとなる前科がある。けれどさすがにそれはないだろうといくらコイツでもそこまではしないだろうと、弟を信じきれないなんて酷い兄だと良心で言い包めて頑なに否定した。 結果、そこまでしていた。 スワローはもう何度目かピジョンを裏切った、兄を等身大のオナホとしか思ってない証拠だ。 スワローはピジョンの信頼に背いて恩を仇で返した、ピジョンが夢精の罪悪感に悩み苦しむ姿を腹の中で嗤って見ていたのだ。許せない。許せるはずがない。 「もう絶対一緒に寝ない、床と友達になったほうがマシだ!」 「あーあーそうかよ、どうせなら表で寝てコヨーテに食い散らかされちまえ、テメェの骨でスープの出汁とるさ!」 激怒して吠え猛るピジョンにスワローも荒っぽく怒鳴り返す、売り言葉に買い言葉で収拾が付かなくなる。悪いのは全面的にスワローだが謝る気は毛頭ない、ピジョンに頭を下げる位なら死んだほうがマシだ。ピジョンの内面はぐちゃぐちゃだ、恥辱と憤激と悲哀で混乱しきってめちゃくちゃに手を振り回す。恥ずかしくて情けなくて頭がどうかなりそうだ、いやもうとっくにどうかしてる、朝起きて生乾きの下着に気付いた羞恥も死にたくなるような自己嫌悪も全部コイツが元凶なんだ。 「なんで!そういうこと!するんだよ!」 「したかったからだよ、それの何が悪いんだ!」 「俺が寝てるあいだに勝手に……ッ、やっぱりそうだ俺の気持ちなんかどうだっていいんだ、自分さえ気持ちよけりゃ他はどうだっていいんだ、そーゆーとことん自分勝手なヤツなんだ!」 「ぎゃんぎゃんうるせーな、最後までしなかったんだからギリセーフだ逆に感謝してほしいくらいだ!」 スワローの主張は空回る。 寝ている間に貞操を奪われかけたピジョンからすればスワローは強姦未遂の前科持ちの極悪人だ。 「俺が寝てても起きてても気持ちよくても悪くてもどのみち好き勝手するくせに、じゃあ俺の意志なんかどうだっていいじゃないか、最初から全部お前のしたいようにすればいい、家を出る話だってそうだ、俺や母さんがどう思おうが関係ない勝手に賞金稼ぎでもなんでもなればいい!お前はなんだってできるんだから、口笛吹いて余裕でこなすんだから、顔がよくて喧嘩も強くてナイフも凄腕で俺にないものみんな持ってるんだからどんな大それた夢もあっさり叶えられる、足手まといの俺なんかほっときゃいいじゃないか、気まぐれに振り回されるのはウンザリなんだよ!」 スワローが構ってくるのがうざい、気にかける価値のない俺を引っ張り回すのがとてもうざい。もう放っておいてほしい、何をやっても無駄なんだから、何もかも諦めるしかないのだから、お前がしゃにむに掴みたがっているのはこの手には過ぎた夢なのだから。 毎日の訓練でピジョンはいやというほど身の程を叩きこまれた、単純な腕力でも機転の速さでもスワローにはかなわない、仮に賞金稼ぎになったところで弟の足を引っ張りまくって窮地に落としこむ未来が目に見えている。だったら今の段階ですっぱり未練を断ち切った方が幾分マシだ、傷が浅くてすむ。 ピジョンは狂ったように思いの丈をぶちまける。 「無能で!無様で!不器用で!見た目もぱっとしなくて!模擬戦でもベッドの中でもヤりたい放題されるがままのいいとこなしで!」 吐血するように卑下し、涙がこみ上げ霞む目をこちらを覗きこむ弟の顔の中心に凝らす。 「こんなんじゃ、お前の相棒にはなれないよ……」 こんなはずじゃなかった。 もっとちゃんとできると思い込んでいた。 爪がささくれ割れるまで努力しても天性のセンスの持ち主にはかなわない。劣等感が際限なく膨れ上がって体の中から窒息しそうだ。 弟と胸を張って並びたい、コイツの相棒を自認したい。その願い自体がうぬぼれだったのか、おこがましかったのか? 小刻みに震える手をさしのべて、スワローの胸ぐらを掴む。あたかも慈悲を乞い縋り付くような動作。 熱い息吐く口元をスワローの胸に埋め、情けなく震える声を搾りだす。 「オナホじゃない、ダッチワイフでもない、パシリでも穴でもない、ましてやストレス解消のサンドバックなんかであるもんか」 一つ一つ譲れぬ力強さで区切って並べ立て、敢然とスワローを睨みつける。 ピジョンにだって底意地がある、プライドがある。 コイツにだけは絶対負けたくない。もう何度も負けているが関係ない、心はまだ折れていない。殴られても蹴られても歯を食いしばって耐え続けた、あちこちいじくり倒されイかされても耐え忍んだ、必ず見返してやると燃え盛る復讐心をバネに自らを孤独に鍛え抜いた。 しかし自己欺瞞にも限界がきている、スワローは相変わらずとことん自分勝手でピジョンをおもちゃにする、兄に一個の人格があるなんて思ってないのだ。俺を束縛するのも俺に執着するのも物を欲しがる子どもと一緒だ、まるで利かん気の駄々っ子だ、手に入らないからむきになってるだけだ。 ピジョンのプライドに火が付く。 赤錆の瞳を剥いて怒号し、燃え滾る眼光でスワローを牽制する。 「もう指一本さわらせない、ただ寝転がってヤられるのを待ってるなんてごめんだ!」 勢いよく唾とばし宣戦布告、同時に腕を振り抜いて弟を殴り飛ばす。 横っ面に一撃喰らい、口の中が切れたスワローが血の混ざった唾を吐く。 「じゃあ力ずくで押しのけてみろ!」 「言われなくてもそうするさ、見てろ!」 互いに組み付いて押し合い圧し合い転げまわる、視界が上下逆転し青空と地面がめまぐるしく入れ替わる、スワローの膂力は強くピジョンを易々と組み敷いて磔にする。 ピジョンは歯を食い縛り顔を真っ赤にして奮闘する、持てる限りの全力を振り絞って抵抗する、奥歯も砕けよと力を込めて腕を突っ張り何とかピジョンを引っぺがそうとする。 違和感にピジョンの口端が歪む。徐徐にだが押し返されている……力が拮抗してきている? まさか。このへなちょこに押し返されてるのか? 「なめる、なよ。俺だって、毎日、腕立て伏せ、してた」 特訓は無駄じゃなかった。無為でも無意味でもなかった。ほぼ一年近く、スワローに付き合って走り込んだり自主トレを重ねるうちにピジョンも鍛え抜かれていたのだ。 元々筋肉が付きにくい体質故に見た目に劇的な変化はないが、腕の筋肉は密に束ねられ腹筋もストイックに引き締まった。 「死にそうになりながら、がんばった」 「知ってるよ。見てたんだから」 ずっとずっと、お前だけを見てたんだから。 ピジョンが毎日必死の思いで死ぬほど頑張ってたことをスワローは知ってる、スワローが一番よく知ってる。 だから何だ?それがコイツに伝わるか。伝わったからどうだってんだ、それで何か変わるのか? すれ違い行き違い空回る、それが兄弟の宿命だ。お前のことをずっと見てたなんて死んでも言うか、母さんにならいざ知らず日頃嫌ってる俺に褒められてコイツが喜ぶはずもない、有難迷惑だ。感謝なんざくそくらえだ、気色ワリィ。 「!ッぐ……」 スワローの指の股にがっちり指を噛ませる。 手の甲にギギと爪がめりこみ激痛が走る。 甲の柔肉を抉られる鋭利な痛みに脂汗を伝わせ、懸命に抗う腕をねじ伏せにかかる。 ピジョンの足が跳ね鳩尾に蹴りをもらいスワローが「ぐふっ」とえずく。 「いい加減降参しろ!」 「いやだ!!」 「指一本さわらせねーって言ったくせにコレはいいのかよ、矛盾してるぜ!」 「俺からさわるならいいんだよ、そういうルールだから!」 ピジョンは強くなった。本気を出して取っ組み合って初めて実感する。 スワローにはまだ全然及ばず対人戦に手慣れてるとはお世辞にも言えないが、一年間たっぷりしごきぬかれた結果基礎を吸収し形になってきている。 「俺、何も教えなかったぞ……ナイフをぶん回してさんざっぱら追っかけ回しただけだ」 「習うより慣れろ、だっけ。見て覚えた。戦い方と逃げ方を教わった」 スワローに狩り立てられ追い回されて、ピジョンは多くの教訓を体得した。 弟に負けたくない一心で死に物狂いに食い下がり、弟を見返したい一念で実践的に頭を働かせ、一日一日と足場を踏み固めて戦闘スタイルを確立していった。 顔を真っ赤にして踏ん張る兄をあっけにとられて見下ろし、スワローは呆れた苦笑いを浮かべる。 「……努力も才能のうちなら、てめぇの伸びしろは無限大だ」 眩げに目を細めて呟く、その顔が泣くのを我慢してる子どもみたいで、ピジョンは一瞬言葉をなくす。 「ううん、ちがうよ」 小さく首を振り、辛い訓練を一つ一つ回想する。 そして。 弟の瞳を挑むようまっすぐ見詰め、きっぱりとこう返す。 「諦めないのが俺の才能だよ」 スワローに拳を打ち込む。一発、二発。あっさりと見切られる。スワローの動体視力はずばぬけている、ピジョンが振り抜く拳を全て軽く首を傾けるだけで躱し今度は自分が腕を振り上げる。 怒ってるみたいな、泣きそうな、何でそんな顔をするんだ?泣きたいのは俺の方なのに…… この顔は見覚えある。蹲って蟻地獄をほじくってた時と一緒だ。 どうしても欲しいものが手に入らず、違うもので埋め合わせるのが業腹でめちゃくちゃに暴れている顔。 すぐそこにあるのに届かない、届いたとしても掴めない、性懲りなくすり抜けていってしまう何かに狂おしく執着する形相。 「諦めたいのかよ、諦めたくねえのかよ、どっちだよ!?」 スワローが絶叫、衝撃が爆ぜる。顔面に拳を叩きこまれ鼻血が溢れる。 これでおあいこだ。 「諦めねーのがテメェの唯一の取り柄なんだろ、ならなんで俺との約束すっぽかすんだ、俺との夢はすぐ捨てたがるんだ、テメェにとっちゃその程度のポイ捨てできるもんなのかよ!?」 激情の咆哮が心を引き裂く。 「諦めたいけど諦めたくないんだ、簡単に忘れられたら苦労しない、でも俺だってやなんだよズルはしたくないから……っ」 うそつきになりたくないんだ。どうしてわかってくれないんだよ。 「お前の一番は母さんだろ、俺は二番なんだろ、二番目に大事な家族が一番目を捨てろってせっついたって聞くはずねえよな!?お前の考えなんかとっくにお見通しだ、母さんのご機嫌ビクビク窺って……いつもいつも母さんを哀しませたくねえそればっか、じゃあ俺はどうなってもいいのかよ、ちょっとでも考えてみたことあんのかよ俺が毎日どんな思いしてるか、毎晩お預け喰わされてどんなキモチか、ほったらかしの後回しがどんだけ惨めか!!」 「お前こそ俺の気持ちなんて考えたことないくせに、お前のせいで中も外もぐちゃぐちゃだ責任とれよ!!」 「俺を嫌ってるヤツの気持ちにいちいちかまってられっか、ヤらせるつもりなんかこれっぽっちもねえくせに!」 「決めつけるなよ!!」 「じゃあ抱かれてもいいのかよ!?」 「兄弟でヤるヤらないとかおかしいだろ、好き嫌いにすりかえるなよ!!」 スワローが殴る、ピジョンが殴り返す、互いに鼻血まみれの顔でやられたらやり返す、横っ面に衝撃が爆ぜて唇が切れ鉄錆びた味が広がる、手を出し足を出し殴る蹴る頭突く泥仕合を繰り広げる。 殴っても殴り足りない、殴ったそばから殴りたい理由が無限に出てくる。 スワローの手が鎖にかかり、力ずくでひきちぎろうとする。ピジョンも鎖を引っ掴み、スワローのタグを毟りにかかる。 首が締まる。苦しい。酸欠で顔が充血、気管を圧迫され悶絶する。力任せに鎖を引っ張り互いの喉を締め付ける、もうどうしようもなくこじれてしまった、ここまできたら後戻りできない。首が締まって苦しい、それでも両者手放さず早くちぎれろもしくは降参しろと念を込め続ける、どこまでも自由な空の青さが目にしみて生理的な涙が滲む、スワローの口角が不規則に微痙攣、白濁した唾液の泡が吹き溜まる。 なにをしてるんだ俺は。 たった一人の弟を殺す気か。 息の通り道を塞がれて思考が纏まらない、酸欠で視界が赤く明滅する。 赤から青へ変わりゆく苦悶の形相が目の前に迫り、ピジョンは鎖にぐいと力をこめ、さらにスワローを引き寄せる。 冷静に考えれば手を離せば済む話だ。それだけは絶対嫌だ、プライドを捨て敗北を認めることだ。 支離滅裂散漫になる思考のはて、もはや最後の意地で鎖を掴みながら、おもむろに首を伸ばし…… スワローの唇を奪う。 「んぅっ!?」 驚愕の気配が直に伝わる。 スワローの唇を無理矢理こじ開け、ぬるんだ舌を入れ拡張して息を吹き込む。 自分も首を絞められてるのだから気休めにしかならない。 いや、人工呼吸は建前で本能的に弟の口腔内から空気を奪おうとしたのか。 ピジョンはキスの仕方など知らない。 異性とキスした経験なんて一度か二度しかない。従って技巧は話にもならないお粗末なものだ。 ただただ無我夢中でスワローの唇に自分のそれを押しあてて、上下の歯が分かれた隙間からくりかえしか細い息を送りだす。 キスと表現するには色気がなさすぎ、前戯と称すには余裕がなさすぎる。 肺を収縮させ、喉の窄まりを経た吐息を口を介して分け与える。 自分に僅か残された空気まで余さず捧げて片割れを生かそうとする、惜しみない献身。 「んっんぐぅ、ふぐ」 不器用に上体をずりあげ、仰け反るスワローにぴったりと顔を被せる。 ピジョンは純粋に助けたい一念の無意識だが、拒み背けようとするのを許さず唇で口を封じ、肺から搾り上げた空気を弟の中へ一生懸命注入する行為は、辛うじて気道を確保した上で苦痛をはてしなく長引かす二律背反だ。 一方でぐいぐいと締め上げて、一方でじわじわと息を吹き込み、生かさず殺さず飴と鞭を使い分ける。 「ぐ………」 穴の開いたサンドバッグを殴り続けるような、底の抜けたコップで水を汲み続けるような、膨大な矛盾を孕んだひたすらに虚しく無意味な行為。 この場に第三者がいたら無理心中の道連れを求めているように見えたかもしれない。 死んでも離さない。 でも殺したくない。 「……ふぅっ……」 唾液が流れ込んで軽く噎せる。熱く潤んだ粘膜に包まれ互いの境界線が曖昧に溶け混ざる、細胞一個一個が沸騰するような感覚。官能とすら言い換えていいかもしれない。 未熟で切羽詰まったキス……スワローが息を吹き返し、目の焦点が次第に定まっていくのに途方もない安堵を覚える。 スワローの握力が一瞬緩む。 今だ。 おもいきり鎖を引っ張り、タグを奪い取る。 「俺の勝ち……だ」 息も絶え絶えに弱弱しい笑みを浮かべるピジョン。体力を使い果たして今にも消え入りそうにか細い声音とは裏腹に、勝利を宣する口調は誇らしげだった。

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