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第11話
初めてスワローに勝った。
じわじわとこみ上げる嬉しさをひとり噛み締める。
トレーラーハウスの入り口前にて、地べたに座り込んだピジョンは地味な手作業の傍ら盛大にニヤニヤする。
しまりなくにやけっぱなしの頬が元に戻らない。キリッと引き締めようとしてもすぐへにゃりと緩んでしまう。
俺だってやればできるじゃないか、スワローを見事ぎゃふんと言わせてやったぞ。
いや、実際にそう言ったわけじゃないけど心の中では言ってたかもしれない。信じる者は救われる。常に兄を馬鹿にして小突き回す生意気な弟を見返してやった痛快さは計り知れず、さんざん複雑骨折して継ぎはぎだらけの自尊心がサルベージされた。
「ラッキーは認めるけど……勝ちは勝ちだよね。うん」
自分に納得させるよう呟く。運が味方した側面は否めない。
逃走中に偶然釘だらけの板を拾って閃いた作戦だ、いちから釘を打ち込んでいたらとてもじゃないが間に合わない、第一道具もない。ピジョンがスワローを出し抜けたのはたまたまツイていたからだ、単純な実力勝負では勝てたか怪しい。
ピジョンは最後まで手を離さなかった。
生かさず殺さずスワローを締め上げ続けた。
『お疲れ様。いい勝負だったね』
模擬戦終了後に健闘を称えて握手を求める兄に殺意滾る一瞥、手の甲をひっぱたいて去っていく。
以来口を利いてない。敗北の恨みを引きずっているのか、数時間経過した現在もスワローはピジョンを無視し続けている。スワローの気持ちもわからなくはない。アイツは人一倍、いや人十倍気位が高いプライドのかたまりだ。日頃グズだのノロマだの駄バトだのと罵っている俺にまんまと一本とられ、本心ではめちゃくちゃに怒り狂ってるはずだ。
けれども当初の予想を裏切り、スワローは至って大人しい。
勝負の結果に不満を表明するでも約束を反故にして暴れるでもなく、首尾を飲み込んで殊勝に従っている。
何か思う所があるのだろうか、これはピジョンにも意外だった。内心またキレるんじゃないかビクビクしていた。
結果なんざ知ったことか、あんなの嘘っぱちのデタラメだと言い出すんじゃないか、せっかく掴んだ勝ちをなかったことにされるんじゃないか気を揉んでいた。
口約束を証立てる手形は互いへの信頼だ。ピジョンはともかくスワローにはそれがない。アイツは自分の気に入らない事全て盤面をひっくり返してなかったことにする、そしてきれいさっぱり振り出しに戻すのだ。後始末をひっ被され毎度苦労するピジョンの気持ちなど意に介さない。
どうせ今日だってそのパターンだろうと、半ば以上諦めていたのだが……
「……アイツも大人になったのかな」
手を休めてしみじみ感傷に浸る。
知らないうちにスワローも成長していた。
気に入らなければ周囲に当たり散らして手を焼かせる子どもを卒業し、分別を兼ね備えた大人への第一歩を踏み出していた。
弟の自立がめでたい反面、一抹の寂しさが断ち切れない。
ピジョンの最初の記憶。
あれは三歳かそこらの頃か。物心付いて初めて見た光景は、トレーラーハウスの壁に全力這い這いし頭突きをくれる、おしめ一枚の弟の姿だった。
何だろうこの生き物は。
ピジョンはあっけにとられた。
まだ月齢数か月の赤ん坊だったスワローは針路を切り替えるということをせず、床に手足を付いて猛然と這い進み、立ち塞がる障害物へ真っ直ぐに向かっていた。目の前に聳える壁にガンガンと額を打ち付け、まだ歯も生え揃ってない口から凶暴な唸りを発していた。
『あんぎゃああああああああ』
俺様が通るぞそこをどけと壁を威嚇していたのだ。まるきりあらぶるチビ怪獣だ。
スワローのおしめは母の着古したTシャツだったこともハッキリ覚えている。
それがスワローとのファーストコンタクトだった。
壁と正面衝突するコイツは「弟」という生き物で、俺は「兄さん」にあたるらしいと漠然と認識し、ピジョンは癇癪を起こして暴れるスワローを慌ててひっぺがした。
ひょっとしてコイツはとんでもない馬鹿なんじゃないか?
俺がいなきゃだめなんじゃないか?
目を離したらすぐ死んでしまうんじゃないか?
スワローは当時のエピソードを全く覚えてない。赤ん坊だったのだから当たり前だ。
スワローは前にしか進めない性格だ。普通おでこをゴツンした赤ん坊は痛がって泣き出すのに、アイツは壁をぶち壊そうと体当たりを挑み続けた。見かねたピジョンが両手を吊り下げて止めねばどうなっていたことか……頭蓋骨の耐久試験でもしてたのか?固まりきってないのに自殺行為だぞ。
冷静に考えれば三歳児に鮮明な記憶が残っている時点で捏造を疑う事案だが、スワローの異常行動があまりに衝撃的だったのだろうと結論付ける。
「あの頃は可愛かったな……」
ずっとスワローの背中ばかり見てきたが、模擬戦に一勝したことで関係性が変わるんじゃないかと淡い期待を抱く。もうヘタレなんて言わせない、馬鹿になんてさせるもんか。兄として自信と誇りをもってノーならノーときっぱり態度で示す、成り行き任せで後悔するのはたくさんだ。
自然と首元に手をやる。
鎖を引っ張られた時にできた痛々しい鬱血の痕……
「スワローとおそろいだ」
まるでペアの首輪だ。
俺達は見えないリードで繋がれている。赤い糸より厄介な血の絆だ。片方があっちへ行こうとすれば引きずられ片方がこっちに来て初めて息が吸える、二人一組の完全なるペア。二人そろってようやく一人前に足る存在なのだ。
ナンセンスな連想に苦笑する。
現実にそう思っているのはピジョンだけで、スワローはピジョンの事などおまけ程度にしか思わず雑に扱っている。
外気にさらされた痣がひりひり疼く。首まわりを細く取り巻く赤黒い鬱血痕を指でなぞり、窒息の苦痛を反芻する。
もう二度と体験したくない、絞殺は願い下げだ。
手を緩めるという発想はなかった。手加減しないと最初に約束した。今手を離したら永遠に遠くへ行ってしまう気がして、おいていかれてしまう恐怖と焦りが上回った。
心と体を両方繋ぎ止めて縫い留めたくて、ただただ必死だった。
「…………」
スワローの素肌に咲く痣が極限の切迫に拍車をかけた。大胆に弛んだ襟ぐりから露出した鎖骨の上、首の根元に見せ付けるよう刻印された、夜遊びの名残りのキスマーク。
服で隠された部分にあといくつ散らばっているのか……
刹那、頭に血が上った。
華奢な鎖をキツく引っ張って、おもいきり首を絞めて、鬱血の痣でキスマークを上書きした。
嫉妬に駆られ殺意が芽生えたとまではいわないが鎖を握る手に邪念が混ざったのは否定できない、もう少しで力加減を誤り絞め殺してしまうところだった。その余裕のなさが勝因に繋がるのだから世の中わからない。
あのキスにしたってそうだ。
スワローを助けたい一念で空気を口移した。
後ろ暗さなど微塵もないシンプルな救命措置、結果として息を吹き返したのなら胸を張っていいはずだ。アレはただの人工呼吸、下心はおろか疚しい意味なんてこれっぽっちも……
「舌、突っ込んじゃった……」
べ、と突き出した舌を摘まんで引っ張る。
人工呼吸はキスに[[rb:勘定 > カウント]]しない。じゃなければだれが男に、それも実の弟に進んでキスするもんか。
だけど舌まで入れる必要があったか疑問だ。
だって閉じようとするから、アイツが拒むから仕方なく不可抗力で……
人さし指を唇に移し、鬱屈した眼差しを地面に落とす。
「……なんでいやがるんだよ?俺のこと待ってたんじゃないのかよ。あんなにキスさせろってうるさかったくせに……してやったんじゃ不満なのか。わけわかんないよ」
ピジョンにはスワローの事がさっぱりわからない。アイツが考えてる事がちっとも当たらない。
三年前はあんなに熱烈に唇を狙ってきたのに、俺からされたんじゃ不満なのか?自分はナニしてもよくて俺はだめって理不尽すぎる。挙句シカトして、口も利かずに……もうちょっと見直したっていいはずだ。もうちょっと優しくしてくれたっていいはずだ。
スワローのキスはほろ苦い煙草の味がした。
ニコチンで少し、寿命が縮んだ。
露骨な顰め面でいがらっぽい唾を吐き捨てようとし、喉元にこみ上げたそれをゴクリと飲み込む。
「~~なんで飲んじゃうんだよばか……!」
口の中がいがいがして。
胸がむかむかして。
気分はいらいらして最悪なのに、体の中に取り込んだアイツの残滓を吐きだすのがいやで、殆ど反射的に喉の奥へ送り返してしまった。吐きだしたらアイツに悪い気がして、また怒られる気がして……ぺっぺっと後から唾を吐き散らすが遅きに失し、がくりと項垂れる。
大人しいスワローはちょっとだけ可愛かったなんて、思ってしまう自分もどうかしている。
弟の首を絞めて興奮したりはしない。
スワローはどうだか知らないが、ピジョンの性癖は極めてまともだ。
浮き沈み激しく落ち込むピジョンのもとへ良い匂いが流れてくる。台所の方からだ。スワローが珍しく台所に立って料理をしている。きびきび立ち働く後ろ姿はいっぱしの主夫だ。
ラジオの音楽に合わせ軽快にタップするスワロー。
ピジョンもリズムに合わせて爪先で拍子を刻む。ただしバレないよう慎重にやる。
スワローは音感がいい、鼻歌もちゃんと音程を拾っている。
「ふんふんふーんふふん」
スワローに合わせて小さく鼻歌を辿る。手を器用に動かして鎖を接ぐ。
「よし、できた」
ちぎれた鎖をちまちま繋ぎ直し、出来栄えを確認して満足する。不格好な瘤ができたが大目に見てほしい。
「ココココココケコーッ」
「邪魔だ出てけオーブンにぶちこんで丸焼きにするぞ!」
「キャサリンにひどいことするなよ!」
ちょっと目を離すとすぐ動物虐待する。心を病んでる証拠だ。
「コケコーッ!!」
「わっ」
スワローに蹴飛ばされ逃げてきたキャサリンをコートの懐に抱きこみ、すんすんと小鼻を膨らます。
「……パンケーキ?」
「ああ」
やった!心の中でガッツポーズをする。スワローのパンケーキはピジョンと母の大好物だ。スワローは面倒くさがって滅多に料理をしないが、弟の作るパンケーキはとてもおいしい。それはもうほっぺたもはだしで逃げ出す感動的なおいしさなのだ。
口中に湧きだす生唾を嚥下、段差にのりだして期待も露わに畳みかける。
「俺の分は?」
「ねえよ」
ピジョンはこの世の終わりのような顔をする。
「料理中に煙草を喫うなって言ったのに……衛生面で感心できない」
「ニコチンは隠し味」
「寿命が縮む。俺のご飯は?」
額に衝撃が爆ぜる。スワローがシリアルの箱を投擲したのだ。頭に跳ね返った箱の痛みに、危うく段差から転げ落ちそうになる。
「それでも食ってな」
「せめて牛乳付けろよ!」
「頭からぶっかけてやろうか?」
「ひどい手抜きだ……」
スワローは意地悪だ。俺がパンケーキ大好物なの知っててお預けをくらわす。仕方ないのでシリアルをぱりぽりやって小腹を満たす。これはこれでおいしいのでよしとする。フライパンの底や皿にちょびっとカスがこびりついてるかもしれないし……
スワローがドン引きしてるが知ったことか。食べ物を粗末にしたらばちが当たる。
焼きたてほかほかのパンケーキを皿によそって通過する弟の背中に、低い声を投げ付ける。
「約束は守れよ」
「テメェと一緒にすんな。ビシッとキメてくっから見てろ」
スワローが弾き捨てた吸い殻が降ってきて、コートの裾にぱっと灰が散る。
「あっち!?おいバカ火傷するだろ、コートに燃え移ったらどうするんだ!!あ~あまた焦げ目が増えた……」
反射的に手で払って事なきを得る。大袈裟に嘆くピジョンに背中を向け、カーテンの向こうへ消えていくスワロー。
「母さん、ちょっといい?」とおもねるような猫なで声が聞こえてくる。
頼もしい背中を見送ってすごすごと首を引っ込める。
「……あっちへいこうね、キャサリン」
口の前に人さし指を立て、キャサリンをのぞきこむ。キャサリンは「コケ?」と瞬きして首を傾げる。
盗み聞きはよくない。
俺だって勝手に聞かれるのはいやだ。それにきっとスワローは母さんの機嫌をとる現場を見られたくないはずだ。
自分がされていやなことは人にしない。ピジョンは家族のプライバシーを尊重する。他人の耳目がない方がスワローも集中できるし……
「ホントは俺がやるべきだったのに、アイツに任せちゃったんだ」
ピジョンには負い目がある。
キャサリンを抱っこして入口からそっと離れ、車の後部に回る。ここなら視界に入らず会話も届かない。うまくいくかな。いいやスワローならきっとうまくやる、母さんを説得してくれるはず。
アイツは度胸があって口が上手い、俺と違って要領がいい。母さんだってスワローの言うことならちゃんと聞くはずだ、アイツはお気に入りだから……
祈り念じるしかない時間が過ぎていく。早数分が経過、なにやら深刻に話し込んでいる雰囲気で時折ヒステリックな怒号が響く。
腰を浮かせ様子を窺うも、ここからじゃわからない。わざわざ移動したのを悔やんでも後の祭りだ。スワローが激しい剣幕で喚き散らしている。母の声は殆ど聞きとれない。車内で繰り広げられる口論はエスカレートしていく。
「どうなってるんだ……」
膨れ上がる好奇心と上乗せされる心配に理性が屈する。
ピジョンは意を決し、腰を落としたまま側壁沿いに引き返す。抜き足差し足忍び足、開けっ放しの入口から中を覗きこんで―……
「母さん?すわろ……」
絶句。
風圧に捲れたカーテンの向こう側、衝撃的な光景を目撃する。
大量に舞う羽毛、切り裂かれたシーツ、マットレスを深々と穿ったナイフ。スワローが愛用のナイフを掴み、母が寝るベッドの足元に突き立てている。
「なにしてるんだ!!」
悲鳴じみた怒号が迸り、弾かれたように駆け出す。スニーカーで地面を蹴ってたちどころに段差を飛び越え、呆然と立ち尽くすスワローを力一杯突き飛ばす。スワローがカーテンレールを引き倒して転倒する。
「お前母さんに何したんだ!!」
「違うのピジョン、これはね」
「刺したのか!?どうかしてるんじゃないか!!」
頭に血がのぼり視界が真っ赤に脈動、上体を起こした母を庇い弟をなじり倒す。
着衣の乱れもなく無傷な母の様子に安堵するも束の間、こえてはいけない一線を遂にこえてしまった弟への怒りが瞬く間に沸点を突破する。
「お前を信じて任せた俺がばかだった、母さんに手を上げるなんて終わってる、最低だ!俺にナイフを向けるのはいいよお前はそういうヤツだから、でも母さんはナシだろやっちゃだめだろ、いくら気に入らなくてもナイフを抜くなんて!さわったら切れるんだぞ、刺したら死ぬんだぞ、洒落や冗談じゃすまないんだぞ!」
「誤解よピジョン、スワローは悪くないの」
「母さんは黙ってて、今コイツと話してるんだ!」
「で、でも」
おろおろと制す母を一喝、再び肩にかかる手を薙ぎ払ったはずみにサイドテーブルが倒れ皿がひっくり返り、食べかけのパンケーキが落下して潰れる。続いて落ちた皿が割れ砕け、一面に破片が飛び散る。
一連の騒音に刺激されたキャサリンが甲高く啼いて駆け回り、もはや収拾の付かない惨状を呈す。
「ちがう俺は」
「言い訳は聞きたくない」
何事か口走りかけたスワローを断固切り捨て、諦念に染まる悲哀の眼差しを注ぐ。
「どうせまたヤケ起こしたんだろ、口で言っても聞いてくれないからキレて暴れて……どうしてそうなんだ、何年経ってもちっとも大人になりゃしない。せっかくうまくいきそうだったのに台無しにして……短気をなおさなきゃ二人でやってくなんてとてもむりだ。いや、今までどおり三人でやってくのだって厳しい」
期待しては裏切られて、信用しては裏切られて、幻滅するくりかえしに疲れてしまった。
それでも今回だけは、母にナイフを抜いた事実だけは見過ごせない。どんな理由があろうと許せはしない。
スワローが顔真っ赤にじれて手ぶりで弁明する。
「おい聞けよだから誤解だって」
「そうよピジョン、勘違いなの」
「殺されかけたのにコイツを庇うの!?」
「頭から決めてかかんじゃねーよ」
「さわるな!」
スワローが腰を浮かせ詰め寄ろうとするのを立ち塞がって阻み、母を求めるよう虚空へ伸ばした指先を撥ね付ける。
常になく妥協を許さぬ態度にスワローがビクリと竦み、信じられないものでも見るかのように兄の豹変を見詰める。
薄っぺらい肩を浅く荒く上下させ、鼓膜の内側に直に響く鼓動に負けじと固い声を張り上げる。
「母さんには指一本さわらせないぞ」
最大級の敵愾心を剥きだして。皮膚が帯電したような警戒心を漲らせて。
全身に凄まじい怒りを滾らせ、敢然と両手を広げスワローと対峙。
一際鮮やかに燃える赤錆の瞳が取り込んだ弟の顔には、理解不能の呆けた色が浮かんでいる。
裏切られた絶望とも解釈できる、瞬きすら忘れ愕然とした表情。
何故叱責を受けてるのかすらわからない、そんな処置なしの態度にさらに逆上してひどく冷え込んだ声音で続ける。
「母さんを傷付けたら承知しない。お前なんかもう弟じゃない」
「!―ッ、」
血を分けた弟を全身で拒絶する。
面と向かって絶縁を宣告され、スワローの顔が歪む。
憤怒、憎悪、悲哀、悔恨……様々な感情が混沌と渦巻き、最終的に絶望と失望に凍り付く形相。
スワローが絶叫する。
「俺は悪くねえ!!」
だしぬけに跳ね起き、大股に去っていく。
かと思えばベッドの下のドでかいリュックを取り出し、手あたり次第に私物を詰め込んでいく。天井に貼ったオールヌードの美女のポスターを乱暴に剥がして丸め、筒状にしてリュックに入れる。
最後の仕上げにスタジャンを羽織り、ポケットにコンドームのシートを突っこむ。
「ちょっ待っ、どこ行くんだよ!?」
「やってられっか。でてく」
「えっ……」
「こんな家いられっか。今日からテメェらたァ赤の他人だ、一人でやってく」
「そんな急に……」
「もっと早くこうすりゃよかった。テメェに付き合って貴重な時間をぐだぐだ潰して損した」
足早に戻ってきて、ベッドに刺しっぱなしのナイフを抜いて刃を収納する。
「勝手に賞金稼ぎになるさ」
一方的に言い捨て、出ていこうとするスワローの腕を掴んで引き止める。
「待ってスワロー!」
母が叫んで追い縋るも、シーツが纏わり縺れ床へずり落ちる。
「でてくって、どうやって食べてくんだよ!」
「変態に後ろ使わせりゃすぐ貯まるさ」
本気か悪い冗談か、わざとピジョンの神経を逆なでする答え方にギリリと片腕を締め上げる。
「一緒に賞金稼ぎになるって約束は!?俺達をおいてくのか!?」
「どうでもいい」
もうどうでも。
往生際悪く食い下がる兄をそっけなくあしらい、肘を突き放してとびおりる。ピジョンは周章狼狽し、覚束ない足取りで弟を追って段差を滑りおり、蹴躓いてコケそうになるも辛うじて持ちこたえる。
「一体何があったんだ、何で怒ってるんだよ?母さんにナイフを抜くなんてお前らしくない、今まで喧嘩しても手は出さなかったろ。俺に対してはホント酷いけど、母さんや女のひとを無闇やたらと刃物で脅す卑怯者じゃない。お前はホントはいい奴で……」
「うるせえ!!」
無防備な鳩尾に衝撃が爆ぜ、たやすく吹っ飛ぶ。
振り返りざま思いきり蹴り飛ばされたのだ。
「ああそうだよテメェがぐずぐず煮え切らねーから頭きて刺し殺そうとしたのさ、これで満足かよええっ、あの女さえ消えりゃ全部うまくいく、おいてったらどうなるとか誰が世話するとか悩む材料もなくなってせいせいすらあ!女々しく煮えきらねーテメェの未練をあのアマごと断ち切ってやろうとしたのさ、感謝しろ!」
「でたらめだ、嘘っぱちだ!」
「もうウンザリだ売女の尻拭いは、テメェだってホントはそう思ってんだろ、あんな糞ビッチが産みの親でとんでもねぇェハズレくじで、挙句俺みてーな爆弾が弟で嘆いてんだろ!!」
鳩尾を庇って蹲り、激痛に声なく悶絶するピジョンへと怒鳴りまくるスワローの目は真っ赤だ。
ピジョンは混乱する。何で?どうして?ほんの数時間前までうまくいってたじゃないか、どこで間違えたんだ……
腹を抱えて咳き込み、もう片方の手で地面を掻き毟る。蹴り飛ばされた拍子にコートのポケットから鎖がはみだす。
ピジョンが手ずから修繕し返すタイミングを見計らっていた、スワローのドッグタグ。
鎖に締め付けられ苦しそうに喘ぐ弟の姿がフラッシュバック……ピジョンは弱弱しく首を振り、目の潤みを瞬きで追い出し、苦痛に掠れた声音で反駁する。
「お、思ってない……母さんは、母さんだから」
お前はお前だから。
掠れた呼吸のはざまから搾り出した言葉はしかし、咳に紛れてかき消える。
スタジャンの袖で目元を拭い、深呼吸で涙を引っ込めてから、恩人の報復に自分の脚を突付きまくるキャサリンの片足を掴んでぶらさげる。
「コイツは非常食にもらってく」
「キャサリンを返せ!」
「コケ―ッ!!」
「あばよ。ママと乳繰り合ってろ」
懲りずに縋り付くピジョンを足蹴にし、翼を膨らませて抗議するキャサリンを手荒くぶん回し走り去るスワロー。
あとにはただ、力ずくの誘拐の痕跡を物語る羽毛だけが一面に残された。
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