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第18話

「俺たちゃトレーラーハウスを転がして旅してんだ。で、採石場にとまってるわけ」 「家族構成は君と二歳上の兄上、若くて美しい母上じゃったかな。わざわざ不便な立地を選んだのには訳があるのかの」 「深い意味ねーよ、街の連中と悶着起こすの避けたんだろ?自警団のアホどもときたら子持ちの売春婦と舐めてかかってすぐ手ェ出す。ンなくりかえしに懲りたのさ、きっと」 「なるほど。君はずっと母上のボディガードを務めてきたと……見かけによらず孝行者じゃね」 キマイライーターが顎髭をなでて感心する。どうやら癖らしい。 実際はスワローの推測の域を出ないが、まあそう遠くないはずだ。昨今の自警団はどこも堕落しきっている、街に入りたければ賄賂をよこせ抱かせろと人の弱みに付け込んでくるのだ。 「見えてきたぞ」 スヴェンが懐中電灯を打ち振る。 ボンヤリとした明かりに丸く区切られたフェンスが浮かび上がる。 夜道を歩き通し、一行は採石場に到着した。 仕切り戸を開けて中に入り、見回す。古びたトレーラーハウスの方で物音が聞こえる。まさか……手遅れだったのか? 「母さん!」 弾かれたように駆け出す。コヨーテの姿は見えないが、今の悲鳴は母だ。スヴェンとキマイライーターが顔を見合わせスワローに追従する。スタジャンの裾をはためかせ全速力で急ぐ、夜風を切って入口に到達、ドアに飛び付く。 「無事か!?」 「スワロー!!」 感極まった叫びと共に首が締まり、大胆に弾む肉鞠が顔面を圧迫。 あわや窒息しかけてもがくスワローの背後で、スヴェンとキマイライーターが唖然と立ち尽くす。豊満な乳房を息子に押し付け、力強く抱擁する母。涙でメイクが溶け流れて酷い顔だ。 「スワロー!?ああホントにスワローなのね生きてたのねよく帰ってきたわ、ママとっても嬉しい!とびだしてったきりもう会えないかと思った、あんまり心配かけないでちょうだい!」 「痛ッ、首絞まってるキツいって離せよ母さん、やめろってキスすんなって見てんだろ人が!」 「ごめんねごめんね、ママが悪かったわ!すぐフォローすればよかったのにビックリしちゃって声がでなくて……アナタのこといっぱい傷付けた、パンケーキも落としちゃった、本当にごめんね」 暑苦しいハグに次ぎ、顔中キスの嵐が降り注ぐ。チュッチュッと音をたて、息子のこめかみに瞼に鼻に口に、至る所にべったり口紅をなすり付ける。 「ごめんね!ごめんね!スワローはお兄ちゃんを守ろうとしたんだって、ちゃんと言ってあげればよかった!」 スワローは激しく身もがき、必死に母をひっぺがそうとするも、柔いぬくもりに包まれ次第に力が抜けていく。 母さんはいい匂いがする。シャンプーと化粧の匂いだ。 化粧がグチャグチャに溶け崩れた顔は惨めたらしく滑稽で、お世辞にも美人とはいえない。 この人も老けたな。 俺達はでかくなった。 時間は確実に流れている。 スワローは観念し、ぎこちなく母の乱れ髪をなでつける。 縺れた髪に手を通し、不器用にかきまぜて、こみ上げる激情を噛み締める。 みっともない、恥ずかしい母さん。 オツムと股がユルユルで、年中頭がお花畑で、この人の事を疎んじていた。 今だってそうだ。心底面倒くさい女だと思っているし、人目も憚らず息子に縋り付き、泣きじゃくる様子にはあきれ果てる。なのに悲鳴を聞いた瞬間、反射で足が動いた。母さんに何かあったらと想像したら…… 「さてお嬢さん。親子水入らず、感動の再会の場面に恐縮だが、少しお話をうかがっていいかね」 「お嬢さん?私のこと?」 母がガバリと顔を上げ、ふたりを見比べて瞬きする。 「お客さん……?やだわ私ってば、全然気付かなくって。スワローがお友達連れてくるなんて初めてよね、町で知り合ったの?随分と年が離れてるけど、お仕事の関係者さん?ママちゃーんと知ってるのよ、スワローが用心棒でお金を稼いでるって!結構貯まったんでしょ?」 「今それはいいから」 「大変、ごちそうなんにも用意してない!どうしよう今からじゃ間に合わない、さすがにシリアルをお出しするわけにいかないし、このへんに兎はいないし……」 「母さん!」 スワローに叱られ、母が正気に戻る。慌ててネグリジェの前を整え、乱れ髪に手櫛を通す。母が落ち着くのを待ち、キマイライーターが口火を切る。 「ワシはジョヴァンニ・キマイライーター、賞金稼ぎじゃよ。こちらは情報屋兼道案内のスヴェン氏。唐突じゃが、この近辺に潜伏している可能性のある逃亡犯をさがしておる。麗しいお嬢さんにも協力をお願いしたいのじゃが……」 「キマイラ……賞金稼ぎ……あの有名な!?すごい、ホントにヤギなのね!ファンです、サインください!」 キマイライーターの両手を力一杯握り締め、自らの胸に押しあてる母。 スヴェンが「おお」と鼻の下をのばし、スワローが脛を蹴飛ばす。 「署名位かまわぬぞい」 「じゃあこのナプキンに……ハートマークも入れてちょうだい、トレーラーハウスの一番いい場所に飾るから。永久指定家宝にするわ」 申し出に快く応じ、母が持ってきたナプキンに万年筆でサインを書き付ける。意外とファンサービスが行き届いてる。ナプキンの署名をうっとりと見詰める母。完全に生娘の顔だ。 なんだこの茶番。スワローはウンザリし、入り口横の外壁に凭れる。 「で、さっきの悲鳴はなに。皿でも落とした?ゴキブリ?」 「そうだ、大変なのよスワロー、ピジョンがいなくなっちゃったの!!」 「は?」 外壁から背中を離す。改めて母を見る。冗談を言ってる気配はない。母はオロオロと取り乱し、手振り身振りを交えて説明する。 「だーかーらーぁ、あなたをさがしにいったきりピジョンが帰ってこないの!すぐ戻るって飛び出してそれっきり……もう日も暮れて……外は危ないのに。ママもこれから捜しにいこうと思って、床下の収納ケースからショットガン出したんだけど。ああ、でも街に行ってる可能性もあるのかしら?スワロー、会わなかった?」 縋るように潤んだ眼差しに心臓の鼓動が速まる。すれ違い?行き違い?ピジョンはどこへ消えた? 白い縮れ毛に覆われた手が肩を掴む。見上げれば山羊の顔がある。スワローの肩を優しく掴んで下がらせ、キマイラーターが対応する。 「ご子息のことはワシたちに任せたまえ。お嬢さんに至急頼みたいことがある」 「え……何かしら?」 「さっき言ったじゃろう、近辺に凶悪犯が潜んでおると。お嬢さんは今すぐトレーラーハウスを移動させたまえ。そうじゃな、街へ行きたまえ。そこでスヴェン氏と懇意の娼婦……」 「キディだ」 「キディ女史と合流して、可及的速やかに付近の住民へ警戒と避難を呼びかけてほしい」 「アイツにゃ出る前に事情を話してある、店の親爺にも伝言を頼んだ、俺の見知りはもう心構えがすんでる」 手回しが早い。スヴェンは意外と有能だ。「でも」と母は渋り、じれて呟く。 「……そんな危ない場所に、なおさら子供をおいていけないわ」 ふと見ると入口の内側、すぐ横の壁に装填済みのショットガンが立てかけてある。 スヴェンとキマイライーターが目配せを交わし、母が毅然と顎を引く。 「やっぱり私も行く、一緒に連れてって頂戴。大丈夫よ、自分の身は自分で守れるから―」 「引っ込んでろクソアマ。目障りだ」 押し問答で浪費する時間が惜しい。 スワローは不遜に顎をしゃくり、有無を言わせぬ眼光で母を貫く。 「アンタの駄々にかかずりあってる暇はねえ。ピジョンは俺が連れ戻す、それでいいだろ」 「でも」 「信じろよ」 まだ何か言いたげな母を強引に押し切り、大股に去っていく。スヴェンが小走りに追いついて囁く。 「アレはちっと言い過ぎじゃねェか?」 「手ぬるい位だ」 背後から風に運ばれて声が追ってくる。母とキマイライーターが熱心に話し込んでる。 落ちこむ母を老紳士が宥め、真摯な態度で説き伏せる。一行に加えてほしいと母が切実に訴え、老紳士が固辞し、とうとう母が折れて首をたれる。キマイライーターが腰を屈め、母の手の甲にスマートに接吻する。 「何しくさってんだあのスケベジジィ」 あっけにとられるスワローをよそに、母はとぼとぼした足取りでトレーラーハウスにのりこむ。 しばらくして車のエンジンがかかり、ゆっくりと砂煙を上げて動きだす。母が運転する車が街へと出発するのを見送り、こちらへやってきたキマイライーターへどうでもよさそうに尋ねる。 「どうやってオトした?」 「ご子息がまだここにいるかわからん、ひょっとしたら街へ行ったかもしれん。ならば二手に分かれて捜すのがベストと伝えたまでじゃ、現地に協力者がおることじゃしな」 「なるほどね」 確かに、ピジョンが蜂の巣に囚われてるというのは憶測でしかない。物的な証拠はなにもない。 スワローを追って街へ行ったものの、トラブルに巻き込まれたか迷ったかで、帰りが遅れていると見る方が余程合理的だ。 「―で、キスは何?」 「子を想い泣く淑女への礼儀じゃよ」 「愛妻家じゃねーのか」 「フェミニストなんじゃよ」 このエロヤギが。 トレーラーハウスが夜道を走り去るのを一瞥、二人に顔を戻したキマイライーターが口を開く。 「彼女には気の毒じゃが、こうするのが最善じゃ。クインビーの異能は精神操作、術中にはまれば仲間内で殺し合いになりかねん。暗闇でショットガンを乱射され全滅は避けたいからの」 「女連れで足場の悪い坑道を行くのはホネだ、世話見きれねーよ」 スワローも概ね同意する、明るいお天道様の下で雑魚にショットガンをぶっぱなすのとはわけがちがうのだ。今この場において母は邪魔者でしかない。 「されど母親にクソアマは酷い。かわいいおばかさんかオツムがハニートーストちゃんあたりにしておいてはどうかね」 「かえって馬鹿にしてる感がものすげーな」 暴言を暴言で窘められ、スワローは微妙な顔をする。 キマイライーターは余裕ある足取りで車のタイヤ痕を遡り、地面に点在する穴をのぞきこみ、ドラム缶の間を抜けて岩場へと回り込む。 「全てが嘘ではない。君のお兄さんが街で迷子になってる可能性も捨てきれん」 「気休めかよ?」 「クインビーが坑道に巣食っているのもワシらの推測の域をでんのじゃ」 「だから証拠固めが大事ってワケさ」 スヴェンが相槌を打ち、キマイライーターとは反対方向へ消えていく。 「これは……」 大きな岩の向こうで驚きの声が上がる。スワローとスヴェンが顔を見合わせて駆け付ける。 キマイライーターの眼前、岩場に張られたロープに地味な色柄のボクサーパンツが干されている。 「取り込み忘れた洗濯物かの?夜中にパンツが一丁揺れているのはなんともシュールな眺めじゃて」 「ピジョンのだ」 アイツ、こんなとこにこっそり干してやがったのか。 「兄貴はボクサーパンツ派か」 「ピッチリ感に安心するんだと」 ニヤケた軽口を叩いてから唐突に真顔になる。 「おかしい。兄貴がお気にのパンツを一晩放置プレイとか絶対ありえねェ」 ロープに吊られたパンツを乱暴にひったくり、乾いているのを確かめ懐に突っ込む。 「え、回収すんの?マジで?」 この時間までボクサーパンツが放置プレイされているということは、スワローを追って飛び出してから、一度も戻ってきてないということだ。 スワローはピジョンが岩場に内緒で下着を干した理由を知っている。 ピジョンの性格上、恥ずかしい証拠を残して失踪するなどありえない。どんなに急いでいても最低限パンツは回収していくはずだ。 「こちらへきたまえ」 キマイライーターに先導され岩場を出る。スヴェンが地図を開き、現地の光景と見比べる。 スワローとピジョンが模擬戦を繰り広げたフィールドを囲む崖の片隅に、板を打ち付けた矩形の空洞がある。スヴェンが中腰の姿勢で板の隙間を覗き、連れを振り返る。 「さっき言った坑道の入口だ」 「誰かが出入りした形跡があるな」 板が不自然に剥がされ、ちょうど人ひとりくぐり抜けが可能な隙間ができている。スワローはささくれた板に触れ、目を閉じ、模擬戦の要領でピジョンの行動をトレースする。 俺がアイツならどうする?考えるんだ。 弟が出ていった。俺のせいだ。謝らなきゃ、むかえにいかなきゃ。畜生俺の足じゃ間に合わない、近道するしか―…… 模擬戦スタート前、二手に分かれてざっと下見をした。その時入口を発見してもおかしくない。コンテナに掛けた板はこっからかっぱらったのか? 「アイツ……」 馬鹿正直にしか生きられねえくせに、ズルすんなよ。 背後でスヴェンとキマイライーターが神妙な声音で相談している。 「やっぱ……中?」 「ここから入ったと考えるのが妥当じゃね。破壊の痕跡を見る限り、そう時間はたっとらん」 「けどよ、女王蜂とバッティングしてるかわかんねーだろ。坑道をうろうろしてるだけかもしれねえ。どのみち自力で脱出はむずかしそうだが……自警団に救援請うか」 「彼女が中にいるかまでは何とも言えん。別の入口も調べたいところじゃが、今から崖の反対側に回り込むのは時間がかかる。夜目も利かんし、明日出直すべきか……」 朽ちた板に手をかけ、一息にへし折る。 「スワロー!?ばかおま勝手に!?」 入り口を塞ぐ板を蹴破り、濛々と舞う埃の中、一片の躊躇なく真っ暗な坑道にとびこんでいく。 スワローは片膝付いてリュックをおろし、チャックを開ける。 「ほらいけバカドリ、拾ってやった恩を返す時だ。ご主人サマのとこに飛んでいけ」 「コケ―ッ!!」 「どわあっ!?」 リュックの中から飛び出したキャサリンが派手に羽ばたき、鉤字に曲げた前脚でスヴェンに顔面キック。 そのまま遁走して、一際おぞましい地獄に繋がる坑道の奥深くへ消えていく。 「アイツにピジョンの匂いを辿らせる」 「ニワトリはトリ目だろ?夜目利かねーだろ!」 「帰巣本能を信じろ」 顔面にくっきり爪痕を付けたスヴェンの渾身のツッコミを流し、キャサリンを追って地面を踏み締める。 「俺は行く。アンタらはどうする?」

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