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第20話

一体何年閉め切られていたのか、坑道の空気は埃っぽく澱んでいる。 時間帯も手伝って懐中電灯なしでは見通しがきかないが、スワローは猛然と先陣を切る。 「待てよ勝手に……くそっ!」 「仕方ない、続くとしよう」 出遅れたスヴェンが毒づき、キマイライーターが苦笑いを浮かべる。 背後の会話を無視して大股に歩くスワローの背には、殺気と緊張感が漲っている。 「コケッコココ!」 視界から忽然とキャサリンが消え、スワローは失速してブレーキをかける。 爪先で異常を探り、ゆっくりと慎重に歩み寄る。 前方の道が崩落し、穴ができている。元々下の階層に通路があったらしく、それを支える骨組みが老朽化していたのだ。 「穴が開いてら」 「酷ェなこりゃ。長年放置されてあちこちガタきてんな」 「随分派手にやったな」 「落ちたら痛そうだ」 スワローがヒュウと口笛を吹き、スヴェンが大袈裟に顔を顰める。 足場は大分脆くなっているようだ。穴に落ちたキャサリンは元気に走り回っている。飛べないトリはただのニワトリだが、死に物狂いで羽ばたけば少しは浮けるらしい。 鶏冠を逆立てたキャサリンに「とっとと来い」と睨まれてスワローは肩を竦める。 「おい!」 スワローの運動神経はずばぬけている。 2メートル以上の高さから膝を撓めて鮮やかに着地、靴裏に伝わる衝撃を上手く逃がす。 スヴェンが「~ええいままよ」とやけっぱちに追従し、キマイライーターが殆ど衣擦れの音を立てず静かに続く。 「ふむ」 下の階はなお暗く、岩肌が迫る狭隘な隧道に獣臭く饐えた臭気が立ち込めている。 穴の真下、うず高い土砂の小山には大量の砂利や破損した木材の一部も混ざっている。 美髯を弄いながら頭上に穿たれた穴を仰ぎ、地面の痕跡を調べるキマイライーター。 スワローはしゃがみ、人さし指で擦る。 「コヨーテの足跡だ。消えかけだけど、ピジョンの靴跡も紛れてやがる」 「ほんの数時間前で消されてないのは僥倖じゃったね」 「ということは兄貴が来たのは間違いねェと」 「獣の毛や糞も落ちてるぞい。コヨーテのねぐらじゃな」 「待てよ、もう一人いる」 スワローが鋭く言いさし、ピジョンがいたちょうど正面の位置に片膝付く。 顎をしゃくってスヴェンを促し、懐中電灯を当てさせる。 強烈な光に暴かれた地点には、子どもサイズの靴跡がくっきりと残っていた。 落ち窪んだ老人の目に狷介な光が過ぎる。ベテランの鑑識班を思わせる学究肌の観察眼と洞察力。 獣の足跡に混じる大小の靴跡を熱心に検証、指を広げて寸法を測る。 「この大きさ……クインビーか」 キマイライーターの声音は神妙な成分を含み、スワローは我知らず奥歯を噛み縛る。 ピジョンのことならなんでも知ってる、靴のサイズも身長もだ。したがってアイツの靴跡を見間違えるはずがない。 コヨーテの群れに蹂躙されて肉眼での識別は困難だが、注意深く観察すれば、めちゃくちゃに逃げ惑う掠れた靴跡がかすかに見てとれる。 コヨーテの大群に追い立てられる、情けない後ろ姿がありありと目に浮かぶ。 ざっと周囲を歩き回ったが、血痕は見当たらない。 不幸中の幸いというべきか、とりあえず深手は負ってないらしい。 少なくとも穴に落ちた段階では。 この目で無事を確かめるまで兄の安全は保証できない。 スワローは気を取り直して行く手を親指の背でさす。 「んじゃ話は簡単、この足跡を辿っていきゃあいい。けだものにゃ肉球隠す知恵もねえ」 ポケットに手を突っ込みスタスタ歩き出すも、進行方向に突如杖が伸ばされる。 軽くジャンプ、完全にシカトして跨ぎ越す。また出る。キマイライーターが無言で杖をさしのべスワローの行く手を妨害、スワローは引っ込んではまた出るくり返しの杖をその都度軽快に跳び越える。目にもとまらぬ反復横跳びだ。 「ホッ、ホッ、ホッ!反射神経とリズム感は良好じゃな!」 「ジジィ、こりゃ、何の真似だ?スニーカーで、タップダンスを踏むシュミ、ねーよ」 スワローはポケットから手を抜きもしない。目を瞑っていてもできる芸当だ。 キマイライーターはこの上なく楽しげに生き生きと杖を出しては引っ込めスワローと反射神経を競っていたが、外套から出したシルクのハンカチで汗を拭って呟く。 「いい汗かいたぞい」 「主旨変わってんぞ爺さん、もっと気合入れて足止めしろよ!」 「あァん゛??」 全力でツッコむスヴェン。 スワローは杖を蹴飛ばし、憤然と彼に詰め寄る。 「仕切んなよスワロー、テメエ何様だ?ってゆーか同伴のご指名を受けたのは俺だ俺、凄腕情報屋のスヴェン様だ。テメェは採石場までガイドしたらお役御免、しれっとまざってんじゃねーよ。あぶねーことは大人に任せてお袋と一緒に待ってな」 「その大人が頼りねーから出張ってんじゃねーか」 「ワシもスヴェン氏に同意見じゃ、君は帰りたまえ。望むべくは夜道を引き返し母君と合流か、さもなくば入口で待機か……」 「万一俺らが戻ってこなかったら町にひとっ走り知らせてくれ」 「立ちんぼはごめんだね」 スワローは即座に断り、スヴェンの厚い胸に人差し指を突き付ける。 「要するに保険だろ保険、ドジってヤベーことになったらいっちょパシらせようって魂胆だ。ガイドだなんだその為にうめーこと言って連れてきた、違うか?」 スワローは最初から戦力として数えられてなかった。 もちろん初っ端の手合わせで実力を見込まれたんでもない、殴り合いを経て友情が芽生えるのはご都合主義がまかり通るフィクションの中だけだ。 キマイライーターがいかに伝説的な賞金稼ぎとはいえ、賞金首を単独で深追いし、未知の坑道に踏み入るのは蛮勇の部類に入る無謀だ。 どうしても地理に明るく、体力のある案内役が必要となる。 そしてスヴェンが抜擢された。 ……が、まだ足りない。坑道に潜入したあと、入口に待機させ監視を担わせる要員がほしい。異常の発生時に外へ伝える係が。 スワローはただの数合わせだ。口車にまんまと丸めこまれ、連絡係として連れてこられた。 「入口にボーッと突っ立って見張るだけならガキにもできるだろうって?」 「馬鹿野郎、遊びじゃねーんだ!爺さんの話聞いたろ、敵はもう何人も殺してる最悪の賞金首、邪悪なる女王蜂っていや俺でも知ってるとびきりアブねーヤツだ!いくら喧嘩が強くても素人がかなう相手じゃねえ、自分が無事帰れっかもわかんねーのにケツの青いガキのお守りはごめんだよ」 「俺のケツが青いかどうかテメェがその目で見ただろーが。てゆーかテメェの毛深いケツよかマシだね」 「毛深くねェ!ちゃんと剃ってるっての!ベビーパウダーぺんぺんしてやろうか!?」 スヴェンが顔真っ赤でむきになり、重い溜息と共に呟く。 「本音を言やァ俺だって逃げ帰りたいけどよ……地元の一大事にそうも言ってらんねェ。ヒースタウンの二の舞はごめんだね」 キディもいるしな、と首の後ろを掻く。 万事いい加減なろくでなしに見えて、意外と責任感が強い。五年交際を続けて同棲に至り、内縁の妻ともいえるキディへの愛情も本物だ。スワローは皮肉っぽく口角を吊り上げる。 「浮気は別腹?」 「~ッ、倦怠期のマンネリ解消だよ。たまにゃ刺激が必要だ、合意済みだからいいだろ別に」 へどもど弁解するスヴェンに、一歩踏み出たキマイライーターが加勢する。 「クインビーの能力を考えると殺し合いに巻き込む人数は少しでも減らしたい。スヴェン氏一人なら操られてもどうとでもなるがの」 「それはそれでフクザツだな……」 「爺さん、アンタ露払いがどうとか言ってなかったか?アレも俺をのせるための方便か」 「相手がコヨーテだけならね。じゃが靴跡という物証がでた以上、近くに彼奴が潜んでおるのはほぼ間違いない。コヨーテを手懐けておるとなれば危険も倍じゃ。催眠にかかって暗い中ナイフを振り回されては少々面倒じゃ」 「なあホントにコヨーテだけ?グリズリーはいねえよな?襲われたらさすがに死ぬぞ」 宿屋の話し合いの時点ではクインビーの所在は不明だったが、いずれにせよ採石場から姿を消したコヨーテれが坑道を隠れ家にしている確率は高い。 外の過酷な環境と比較すれば坑道内はまだしも暖かく外敵が少ない。人間が残していった賞味期限切れの缶詰が転がっていることもある。 廃棄された坑道に獣が住み着き、トラブルに発展するケースは実際多いのだ。 スワローのナイフ捌きはコヨーテを撃退する程度の用なら足りると判断された。 裏を返せば、賞金首を狩れるほどの腕前とは見なされていない。所詮は子供と侮られているのだ。 「俺はツナギか」 捜索隊からハブられて、パシリとしていいように使われて。 こうなるのがわかっていたから追い返される前にとっとと走り込んだ。先手必勝がスワローの信条だ。 あそこでチンタラやってたら待ち惚けを食わされるのは目に見えている。 何かトラウマでもあるのか「グリズリーはいやだ、グリズリーはいやだ」とデカい図体で怯えるスヴェンを「その時は……まあ、命運尽きたと思って諦めるんじゃな。不行跡を悔やむ時間位はあるじゃろうて」と慰めるキマイライーター。何もフォローになってないのは天然のなせるわざか。 大人ふたりがかりで帰されかけ、スワローは仏頂面をする。 「ぶっちゃけふたりだって危険なんだ。女王蜂を別にしたって坑道ン中は落盤や崩落が付き物で危険だらけ、大勢でぞろぞろ行くのは混乱の元だ。いい子はおんもで待ってろ」 「君はワシらの生命線じゃ」 「宿屋の親父に頼んで自警団には話を通してある」 「明け方まで待ってワシらが帰ってこなければ急ぎ知らせてほしい」 「兄貴のことは任せとけ、心配なのはわかるがきっと無事さ。こっちにゃキメラ殺しの専門家もいる、絶対連れ帰っから……」 スヴェンが気安く肩を叩こうとする。 考える前に体が動く。 肩に翳されたスヴェンの手をあっさり捻り、力一杯締め上げる。 「いででででででででっ!?オイ離せよスワっスワロー手がもげる!?」 「二度とマスかけねえ体にしてやる」 苛立たしげに吐き捨て、捻り上げる手にさらに握力をこめる。 「心配?わかる?ほざくなカスが。テメェにアイツの、俺達の何がわかんだ」 怒気迸る声音が軋み、眼光が尖りきる。 くだらない茶番を繰り広げているまさに今、ピジョンは生死の淵をさまよっているかもしれない。 女王蜂の餌食になっているかもしれない。コヨーテに蹂躙されているかもしれない。俺以外のだれかやなにかがアイツに触れる……考えただけで頭がおかしくなりそうだ。 アイツは俺を追っかけて坑道に迷い込んだ、腹に蹴りくれて飛び出した俺のケツを追っかけてまたぞろトラブルに巻きこまれやがったのだ。 「あの底抜けにグズでノロマのお人よしがどんだけアホか、会ったことねェテメェにわかんのかよ。アイツの行動パターンは?コヨーテに襲われたアイツがどうするかは?俺ならわかる、全部わかる、ガキの頃から一緒にいた俺にっきゃわかんねーことが山ほどある。ひきこもりの女王蜂なんざどうでもい、殺すも犯すも捕まえるも好きにしな、ああいいさくれてやるさ、賞金なんざどうでもいい!」 話してるうちに急激に頭に血が上り、「けどな」と喉の奥で唸る。 「アイツは俺のもんだ、それを譲る気はさらっさらねえ」 ちょっと目ェ離した隙に、勝手に死なれちゃ困るんだよ。 他のヤツが俺のモノに手ェ出すのは許せねえんだ。 こんな暗くて臭くて汚い坑道で、あの馬鹿が誰にも知られることなくこっそりくたばり果てるなんて、想像しただけで頭がどうにかなりそうだ。 じゃあどうする? 決まってる、取り返しにいく。 連中がまだゴタゴタ抜かすなら力ずくで黙らせる、何度叩き伏せられようが立ち上がって走り出す。 ピジョンは俺を待ってる、直感でそれがわかる。 びびりすぎて腰が抜けて立てずじまい、小便ちびった水たまりにへたりこんで、気も狂わんばかりに助けを呼んでる。 母さんじゃだめだ、俺じゃなきゃだめだ、この俺が行かなくてどうするよ? 「テメェらがごねようが知るもんか、一人でも行くからな。いやなら後腐れなく殺していけよ」 「正気かよ」 「腕の一本二本へし折れた位じゃ止まんねーぜ。足が折れたら這いずっていく。肩が抜けたら自分で嵌める。俺はな、アイツと血が繋がってんだ。根っこの部分でわかるんだよまるごと。街が滅びようが知ったことか、そりゃテメェらの問題だ」 「~この野郎、泊めてやったのに……キディにゃ世話んなったろ恩知らず!」 スヴェンがキレてスワローに殴りかかる。その頬げたを殴り飛ばす。 スヴェンが血走った目を剥いて殴り返す。 スワローはよろけるも踏みこたえ、綺麗な弧を描いて飛び蹴りをくれる。 「街のオンナともよろしくやってたのに心が痛まねーのか!」 「イイ暇潰しになったぜ!」 「賞金稼ぎでもねーただのクソガキが粋がんな、爺さんの邪魔して兄貴が死んだら意味ねーだろ!ちったァ頭冷やしてテメェの分際ってヤツをわきまえろ!」 「そのガキのケツに咥えこまれてヒンヒンよがってた早漏野郎はだれだ!?」 「上出来な倅とかぬかしてたろーが!?」 「リップサービスだよ二重の意味で、家主の顔と下半身を立ててやったんだ!」 「俺ぁテクで売ってんだよ膨張率はここ一番の自慢の倅だ!!」 「テメェそっくりの愚息だな、入ってんのわかんなくて寝ちまいそうだった!」 「人の膝の上でアンアン跳ねまわってたろビッチが!」 「上等、俺の身体にゃド淫乱の濃い血が流れてんだよ。今賞金稼ぎじゃねーからどうしたってんだ、どうせ数年後にゃそうなってんだ初仕事の前倒しさ!ボケた寝言はひっこめて俺を連れてけ爺さん、ぜってーアンタの得になる」 後半は殴り合いを傍観しているキマイライーターに向けた挑発……否、取引だ。 スワローは自分が戦力になる確信がある。 キマイライーター達の足を引っ張らない程度には動けるはずだ。 賞金稼ぎになると目標を立て、来る日も来る日も訓練を行ってきた。 夢を叶える為に血の滲む努力を重ねてきたのはピジョン一人じゃない。 行く先々で積極的に用心棒を請け負って喧嘩の腕を磨き、ナイフ捌きを研ぎ澄ませた。 模擬戦では追跡と近接格闘のイロハを徹底的に叩きこんだ。 その成果が、想いの強さが、今こそ試される。 殴られて殴り返す、蹴飛ばされて蹴り返す、互いの胸ぐらを掴み合い無我夢中で拳を振り抜く。 口腔に広がる鉄錆びた味。 赤い唾を吐き、手の甲で無造作に顎を拭い、肩で息するスヴェンと沈黙を守るキマイライーターを荒みきった眼光で牽制する。 「お望みならフェラもイマラもなんだってヤッてやらァ。探検ごっこ御一行様に入れてもらえんなら安いもんだ」 プライドなんざかなぐり捨てろ。 目の前の現実だけ見ろ。 俺は使えるヤツだとコイツらに認めさせろ。 ピジョンとやってきたことは無駄じゃねえと、ここにいねえアイツの分まで思い知らせてやるんだ。 深呼吸で息を整え、傷だらけの顔に凶暴性を秘めた不敵な笑みを形作る。 「俺様をスカウトしな」 束の間の黙考を経て、キマイライーターが降参する。 「……よかろう」 「マジかよ!?」 「断っても付いてくるなら随行した方が賢明じゃ」 スワローの性格上、置き去りにされても勝手に付いていく。 短い付き合いでそれを見抜いたキマイライーターは静かに重ねる。 「君の存在がワシの得となるか否か……見極めさせてもらうとするか」 「それはそれとして」と咳払いで杖を一閃、スヴェンとスワローのかわるがわる叩く。 「「いでっ!?」」 「坑道で暴れるなどもってのほか。死にたいなら止めんがね」 杖の先端を返して天井をさす。スワローとスヴェンが激しく取っ組み合ったせいで、先程から天井や壁が微弱に震動し、ぱらぱらと細かい砂礫が降ってくる。 「心中したければよそでどうぞ。ワシには愛する妻に無事を報告し、得意料理のパプリカとズッキーニのサラダを食べる義務があるのじゃ」 こぶが膨らむ頭を庇い、どちらからともなくバツ悪げに目を逸らすスヴェンとスワロー。 両者痛み分けの采配だ。 改めてスワローとキャサリンを仲間に加え、決死行が再開される。 縦一列に並んだ捜索隊はスヴェンが広げた地図を頼りに地下へと潜っていく。坑道は複雑に入り組んで、要所ごとに枝道が分かれている。 最後尾のスワローは前方の老紳士を不躾に眺めやる。 喰えないジジィだ。その第一印象は薄まるどころかどんどん強まっている。 物思いを打ち破ったのは、スヴェンの不審げな濁声だ。 「さっきからなにしてんだ」 「何って」 「ガツガツガツガツうるせーよ、いやがらせか」 辟易と指摘され、そこで初めてナイフをもてあそんでいた自覚に至る。 完全に無意識だった。考え事をしている時の癖だ。利き手に持ったナイフで側面の壁に線を刻み付けていたスワローは、どうでもよさそうにはぐらかす。 「目印だよ」 「ヘンゼルとグレーテルかよ」 「そのデケぇケツ蹴飛ばして竈にぶちこんでやろうか」 「こんがりミディアムで頼む」 「ドジな中年がすっ転んで灯をなくさねーともかぎんねーし。帰り道がわかるよう手ェ打ってんだ」 「用心深いに越したことはないぞい。道しるべは闇を照らす」 手持無沙汰は落ち着かない。ナイフをいじくってないと、悪い想像ばかりが先行して正気を保てない。 岩肌を削って気を紛らわせるスワローの内心を察したか、スヴェンが殊更に陽気に話を変える。 「なあスワロー、お前の兄貴の……ピジョンだっけか?どんなヤツだ」 「しょうもねえヤツ」 にべもない返答に、質問を吹っかけたスヴェンががっくりとうなだれる。 「顔は?似てんの?人相くらい教えてくれ」 「俺のが万倍イケてる」 「背は……」 「俺のが高い」 「~他に特徴は?」 「モッズコート。スニーカー。ガスマスク。べそっかき。傷だらけ。童貞」 「罵倒並べてるだけだろ。お前らホント仲いいの?」 「寝ててもシコられりゃ勝手に股開く処女ビッチ」 「野郎だろ?」 「……ウンザリするくれェやさしい」 昔からそうだった。自分が痛め付けられるより、俺がぶたれるほうが哀しそうなカオしたっけ。 俯くスワローの横顔に、キマイライーターが内心を推し量るような視線を注ぐ。 後を付いてくる野良猫でも見るような目が癇に障る。 「あのさ」 「なんじゃね」 「クインビーは洗脳を使うんだろ?とうぜん対策は立ててんだろーな。それとも何?その能力ってなァ条件付き?何ヤードまで有効とか、それ以上離れると無効化されるとか……じゃねーと無敵すぎる」 小石を蹴飛ばして尋ねる。 無策で蜂の巣駆除は危険すぎる。 キマイライーターの言を信用するなら、女王蜂の権能は洗脳。 それは不特定多数に有効な、恐ろしい異能だ。 「ところで君……スワローと言ったか。『邪悪なる女王蜂』の異名の由来を知っておるかの」 「女王蜂のよーにふんぞり返って、働きバチのよーにアホどもをこき使うからだろ」 「それもある……だがそれだけではない。それが彼女の能力の真におそろしいところじゃ」 「謎かけかよ」 スワローが生意気に鼻を鳴らして茶化す。前を行くキマイライーターが人さし指を立てる。 「話は少し逸れるが……君はフェロモンの知識があるかね」 「フェロモンのかたまりって言われたことはある」 「フェロモンとは動物の体内で作られ体外に放出される分泌物……同種の個体に一定の行動や発育の変化を促す生理活性物質じゃ。語源はギリシャ語の『運ぶ』と『刺激する』の組み合わせ―即ち『刺激を運ぶもの』じゃ。昆虫など、本能で動く生き物は特にこのフェロモンの影響が強い。なかでも女王蜂は女王物質と呼ばれる特殊なフェロモンを持っておる。コレには他の雌の卵巣の発育を抑え、働きバチとしての使役を促す効果がある」 突然の講義に面食らうスワローをおいてけぼりに、キマイライーターは饒舌に続ける。 「もちろん人間とて例外なく、すべての動物はフェロモンの影響下にあると断じても過言ではない。さて……クインビーの異能は精神操作系ESPとされておるが、それは少々認識不足じゃな。彼女には蜂の遺伝子配列が組み込まれておる。政府の研究機関が行った実験の産物……現時点で生存している、その唯一の成功例が彼女じゃ」 「ハチとヒトのキメラか。ぞっとしねえな」 「女王物質を人為的に再現する試み……じゃったか。今となっては真偽もわからん、資料は闇に葬られた。彼女はハチを媒介にし、周囲にフェロモンを伝達する。遺伝子操作によって強化されたフェロモンは大脳に直接作用し、その者を忠実な奴隷と足らしめる。クインビーの命令に従うのが至上の快楽となるのじゃ」 「脳内麻薬でドーピングか。おったまげたね」 カツン、カツン。 杖が地面を探る音が硬質に響き、靴音と同期する。 「人間には種の保存本能がある、催眠術で自殺を強制するのは不可能じゃ。じゃがフェロモンなら?言うなれば蜂の行動原理じゃ。働き蜂の使命は女王の護衛、次代に子孫を繋ぐこと。女王を生かす為とあらば喜んで死ぬ」 クインビーを感染源とするフェロモンは、対象に隷属と服従を強いる。 女王の命令は絶対だ。 「体が大きく理性が発達した対象ほど利きにくいがね」 「オナニーしすぎで死ぬ猿と一緒だな。気持ちイイのが止まらねーんだ」 「そうか、ヒースタウンに飛んでた妙な蜂ってのは……」 「おそらくクインビーの眷属じゃ。彼女は体内で蜂を飼っておる」 「体ン中でか!?一体どこで」 スヴェンが驚愕し、懐中電灯を持ったままわざわざ振り向く。 スワローは思い出す。 クインビーのヴィクテムは子宮と卵子。 彼の顔色を読んだのか、キマイライーターが事務的に注釈を加える。 「女王蜂の腹の中には精子を貯えておける特殊な袋があり、一度交尾すると長期間産卵し続けることが可能じゃ。……が、老化や怪我で繁殖できなくなった女王蜂は、それまで顎で使ってきた働き蜂によって巣の外に捨てられる。幼虫のときから餌を与えられてきた女王蜂に餌を獲得する能力などあるはずもなく、哀れ飢死する運命が待っておる……」 ハッキリとは明言せず示唆にとどめたのは、内容のグロテスクさを鑑みたのか。 「さらに雌の中には産卵管を毒針に変異させる種もいるが、コレは余談じゃな」 クインビーはヒトとハチのキメラだ。 身体の造りや臓器も女王蜂の仕組みに倣っているなら、毒針を仕込んだ畸形の子宮を持っていてもおかしくない。 彼女が世界を憎む理由が、少しわかった気がする。 「……気分悪ィぜ」 黙って聞いていたスヴェンが渋面を作る。 対して、ありのままの事実を語ったキマイライーターに一切の同情はない。そこには現実の問題として目の前の敵に対処していく厳格さのみがあった。 一行のあいだに重苦しい空気が降りる。 キマイライーターは粛と背筋を伸ばし、杖を前に出す。 「宿屋で聞いたね、賞金稼ぎは楽しいかと」 「ああ」 「楽しいか楽しくないか問われれば、楽しくはないよ」 キマイライーターが眸を細め、過去を遡る眼差しに感傷の光が瞬く。 その間も規則正しい歩みはたゆまず、堅固な意志を持って前に進み続ける。 そうすることがまるで自らに課した義務であるかのように、達観の境地に至った横顔で宣する。 「ワシにはそれができて、しなければいけないと思ったからそうしたまでじゃ」 老紳士の足元に孤高をかたどった影が落ちる。頭部に巨大な巻き角を生やした、蠢く異形の影だ。 キマイライーターの語源はギリシャ神話の怪物だ。 ライオンの頭と山羊の胴体、毒蛇の尻尾が融合した強靭な肉体を持ち、口から吐いた火炎でもって数多の山を燃え上がらせたキマイラは、 複数の遺伝情報をもつ細胞からなる個体―|嵌合体《キメラ》の語源ともされる。 そしてキメラとはミュータントの蔑称……差別用語だ。 キマイライーター、即ち同族を狩るもの……ミュータント狩りのプロフェッショナルである、賞金稼ぎの最高峰に贈られる称号。もとより|幻想種《モンスター》のコードネームを冠す賞金稼ぎは凄腕ぞろいだが、キマイライーターに至っては別次元の存在。なにせ屠ってきた数が桁違いだ。 反面、ミュータントの活躍を快く思わない連中に「共食いのプロ」「同族殺し」と陰口を叩かれている。彼を裏切者と見なし、激しく憎むミュータントも多いと聞く。 「…………あ、そ」 スワローは珍しく口ごもる。 キマイライーターが気まぐれな質問を覚えていた事も意外だったが、その答えにどう返せばいいか、咄嗟に言葉が詰まる。 「されどコレだけは確かじゃ」 キマイライーターが悪戯っぽく、はにかみがちな表情でそっと告白する。 「きょう一日を生き延びてわが家へ帰り、愛する妻に接吻する喜びは格別じゃよ」 「わかるわーそれ。生きるか死ぬかギリギリの瀬戸際ほど一発カマすのが気持ちいいんだ、この手のスリルは命を賭けた仕事じゃなきゃ味わえねーよ」 スヴェンがわざわざ振り向いて便乗、正面に向き直って顔を引き締める。 「俺、帰ったらキディと結婚するんだ」 「何フラグ立ててんの?死ぬの?」 「るっせェ、お互いイイ年だし頃合いだろ」 仲良く小突き合うスヴェンとスワローを、キマイライーターは好々爺然とした笑顔で見守っている。 ヌルく弛緩した空気が流れる中、地面にしるされた足跡が明確に形をとりだし、目的地が近付いてきたのを実感する。 スワローが立ち止まる。 「どうした?」 嗚咽だ。 ピジョンが泣いてる。 空耳?いや、確かに聞こえた。真っ暗闇を溜めた坑道の奥、この道を真っ直ぐ行けばピジョンがいる。 一瞬にして理性が消し飛んだ。懐のナイフを抜いて全力で疾駆、背後でスヴェンが何かを叫んでいるが知ったこっちゃない― コヨーテが襲いかかった。

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