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第4話

浴室の扉は折戸で 手前に引く様にして開けると何かが引き攣るようなキィという音を奏でた。 シャンプーやら石鹸やらの香りと湯気で満たされていた一畳半 解放された扉から勢いよくそれらは放たれ空間に溶けた。 洗面台の鏡は曇り、髪の先から滴る滴を当たり前の様に置かれた お日様の匂いが染み込む柔らかなタオルで拭っていく。 替えの下着も、部屋着だって用意されている。 まだ水気が拭いきれない体で、早々にタオルは首にかけ、いつも俺が買う安い洋服屋のボクサーパンツではなく どこで買ってくるのか無駄に肌触りが良く絶妙に柄がダサい煌己が用意した下着だけを身につけて脱衣所を後にした。 鼻をくすぐる腹の虫を誘惑する匂いにつられて ペタペタと廊下に足跡を残し裸足のままキッチンへ 見慣れた背中にそろりと近づいて肩口に額を擦り付ける。 罪悪感のような感情はまだ腹の中をのたうちまわれど 人間であるこの体の本能には抗えなかった。 つまり、俺は今、腹が空いているのであった。 「コウキ」 「ヨウ、遅かっ、」 俺が背後をとっていたことには全く驚きもしなかった煌己は 振り返って俺の姿を見ると固まった。 「腹へった。」 「うん、もうできるから……じゃない!」 俺の言葉にハッとして普段通りなんら変わらない様子で答えたと思うと、いきなりそう叫ぶ。 耳元でうるさい。 「またちゃんと拭きもせずに、風邪ひくよ」 「いや、ご飯…」 「髪の毛乾かしてから!」 問答無用で居間まで連れていかれ二人がけソファーの上、ではなく床に座らせられる。 アリアが自分の寝床からまたか、って顔をして俺らをその瞳に写していた。 ドライヤーを片手に俺を跨いでソファーに座った煌己は全ての音をかき消すような 風音を奏でる熱風で俺の髪を乾かし始める。 ブォォォォと、風音に紛れて時々煌己の声が耳を掠める。 「熱いとかない?」 「暑い…」 「そりゃ風呂上がりだからね」 止める気がないのに聞くな。 煌己が聞きたいことがそう言うことではないとわかっているが 食欲が満たされなかった俺はさっきまでの自分の行為も頭の片隅よりもっと奥深くに追いやって 不機嫌を露わにした。 しばらくして、 カチッという音の後、風が止んでいることに気づく。 髪を梳く指先が心地よくて俺はうたた寝してしまっていたらしい。 「ヨウ、終わったよ。眠い?」 「…ん。」 「寝る?」 クスリ、と吐息が混じった笑みが鼓膜を叩く 煌己の片膝に寄りかかりながらその熱を感じた。 「飯、食う。」 「明日でもいいのに」 「コウキがせっかく作った、から」 隠れきれないことはわかっていたけれど なんとか乾いた前髪と煌己の膝に顔を埋めるようにしながら吐き出す。 言い終わる前に頭は安全に覚醒してしまい、突如と羞恥心が襲ってきた。 「ヨウ、顔あげて。」 「あとで」 「ご飯食べるんでしょ。どいてくれなきゃ準備できない」 「…、」 そう言われてしまうと動かざるを得ない。 食事を催促したのは元はと言えば俺で 寝てもいいという煌己の優しさを押しのけたのも俺で 渋々、顔は煌己に決して見えないよう重い腰を上げる。 と、 「っ」 上げた腰は引かれた腕から伝わる重力に従うよう下がっていき 硬い床、ではなくぽすんっと柔らかめのソファーの上に沈んでいた。 俺の腕を掴んでいた腕は離れ、代わりに頬を指先が撫でる 「やっぱり、すっごく可愛い顔してる。」 「は、」 コツンと額が触れた、と瞬きをする。 気づいたらソファーの上に俺は転がされたいた。 「なに、して」 「ンー、ヨウが無防備な格好で誘ってくるから」 「は、ぁ?これは、暑いだけで」 「俺の前でって、わかってる?そんな格好」 「っ、さっき風呂場で全部見ただろっ!それに、いつも見てる!」 俺も何を口走っているんだ。 煌己もきょとんっと一瞬気の抜けた表情を見せた。 しかし、すぐに口元には弧が描かれ瞳が細められる。 「でもほら、隠されていると」 「ンっ…な、!!」 煌己の人差し指が下着の縁に引っ掛けられ 掠めた指先に思わず浴室での熱を思い出し声が漏れた。 口を抑えようと手のひらで口を覆えば煌己を制する力が弱まる。 それをよしとした煌己は下着を少し下げるよう指に力を込め 覗く肌に笑みを深めた。 「暴きたくなるのが男の性っていうか」 わざと指の腹でなぞられる様に触れられ、 緊張と隠したくなるほどの期待ん気持ちで肩が跳ねた。 ヨウ、と甘い響きは浴室で反芻したあの声と変わらない。 愛しいと、甘やかしたいと、身体中溶けてしまうんじゃないかってくらい俺を焦がす声。 「俺、あんな不意打ちのお礼じゃ満足しないよ。」 前触れもなく引き抜かれた指のせいで パチンっと伸ばされた下着のゴムが下腹部を刺激する。 「あんな可愛らしいキス、もっと欲しくなっちゃう」 大きい手のひらが頬を包み込む。 ゆっくり、ゆっくり煌己の端正な顔が近づいて 薄い唇が額に触れた。 あ、これ 次は、口にキスされる。 頭の中に浮かんだそれはまるで予言だとでも言うように 煌己は、俺の唇にそれを重ねた。

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