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第2話パニック
オミにはいくつものトラウマがある。
六年前、彼は郊外にあるショッピングモールで起きた爆弾テロで両親を失い、その時弟を庇ったためにガラス片を浴び生死をさまよった。
そのため、爆弾テロのニュースを見かけるとパニックを起こす。
そして、中学時代には誘拐されレイプされた。
犯人たちは、オミをオメガだと勘違いしたらしい。
そこで性的な事に対するトラウマができ、オメガの匂いがわからない、と言うようになった。
およそアルファらしからぬ身長と、容姿。
髪を切るだけでもだいぶ雰囲気が変わるだろう。
そして身長が伸びたら、どんなふうに変わるんだろうか。
そもそも双子の弟のアルが百七十五センチくらいあるのだから、それくらいにはなるかもしれない。
午後一時。
美容室で髪を切ったオミは、まるで別人だった。
そこにいるのは、儚げな美少年。
美容師の女性にはしつこいくらいに綺麗だと言われていて、オミは恥ずかしそうに笑っていた。
耳が見えるほど短く切るのはかなり久しぶりじゃないだろうか。落ち着かないのか、オミらやたらと首に触れて、
「髪……ない……」
と、呟いている。
「似合ってるよ」
そう声をかけると彼は恥ずかしげに顔を伏せ、うん、とだけ頷いた。
どこかに寄っていくか尋ねたけど、早く帰りたいと言い、車に乗るなり後部座席で横になってしまった。
オミはよく寝る。
すぐに寝息をたて始め、俺はマンションへと急いだ。
美容室からマンションまで五分ほど。
すぐに駐車場につき、俺は、後部座席で眠る彼に声をかけた。
「オミ、着いたよ」
そう声をかけると、オミはむくっと起き上がり、小さく呟いた。
「アルが……」
その言葉に続いたのはうめき声だった。
見れば、オミは口を抑え真っ青になって俯いている。
「う、あ……」
「オミ?」
オミにはアルが何してるのか分かるときがあるらしい。
酷いときはその感覚も繋がってしまう、と言っていた。
「あ……ン……」
その声が喘ぎ声だと気が付き、今アルがどんな状況にあるのか嫌でも思い知る。
きっと、彼氏とセックスしてるのだろう。
最悪なことに、その感覚が繋がってしまった、ということだろうか。
そんなことになったら、オミはパニックを起こすに決まってる。
「う、あ……」
涙を流し呻く彼を車からおろし、抱きかかえて部屋に連れて行く。
どういうタイミングでふたりの感覚が繋がるのか、オミにもわからないらしい。
オミは俺にしがみ付き、青ざめて、
「吐きそう……」
と呻く。
エレベーターを待つ時間ももどかしい。
こういう時に転移が出来たら楽なのにと思ってしまう。
玄関に着くまで、きっと数分しか経っていないだろうけれど、かなりの時間を要した気がする。
オミは部屋に入るなりトイレに走っていってしまった。ドアの開く音に続き、嗚咽が聞こえてくる。
厄介な体質だ。
弟のアルにはそんな力はないらしい。
いつもオミばかりが傷つき、オミばかりが苦しむ。
アルが苦しんでこなかったと言えばそう言うことはないけれど。
彼は彼でずっと、兄への恋慕に苦しみ続け、いつ来るかもわからない発情期を恐れ不眠症になっていた。
けれどオミの苦しみの度合いは大きすぎる。
同じ双子であるのに、オミは心も身体も深く傷つき今も苦しんでいる。
だから俺がそばにいたい、と願った。
――俺がいなくなったら彼を誰が支える?
俺は、トイレに向かいオミの様子をうかがう。彼は洗面所で荒い息を繰り返しうずくまっていた。きっと、口を漱いでいたのだろう。
水がわずかに水道から流れている。
とあるきっかけがあると、オミはパニックを起こすことがあるけれど、今回のはかなりひどい。
「う、あ……」
オミの、色めいた声が俺の本能を刺激する。
こんなの初めてだ。
アルが彼と番になったのはクリスマスの頃の話だ。
そして今、三月の末。
それまでに何度も彼のもとに行き抱かれているだろうに、オミはそんなことを口走ったのは一度だけだ。
その時は、こんな声出しもしなかったのに。
今日、卒業するまで待つ、と約束したばかりなのにすでにその約束を反故にしてしまいそうだ。
これではまずい、と思い、俺はコートのポケットからピルケースを取り出す。
オミの安定剤はいつも持ち歩くようにしている。
「オミ、薬」
そう声をかけても、オミは動かない。
仕方なく俺は薬と、水を口に含み床にしゃがみ込むとオミの顎をとり、無理やり口づけて薬を流し込んだ。
「んン……」
薬を飲みこんだのを確認した後、俺は口を離し、彼の顔を見た。
頬を上気させ、うっとりとした目が俺を捉えている。
これはまずい。
「り、ん……」
苦しげに、オミは俺の名を呼ぶ。
「アルが……」
と呟き、オミは黙ってしまう。
感覚は切れたのか、それともまだ繋がったままなのか。
それはわからないけれど、かなり精神的にダメージを喰らったのはたしかだろう。
「何も言わなくていいから、横になろう」
これ以上、彼と一緒にいたら自分の理性がもたなくなってしまう。
俺はオミを守りたいのに、傷つけては元の子もないだろう。
俺は彼の身体を抱き上げ、部屋へと運ぶ。
オミはかなり軽い為、抱き上げるのは容易だった。
「ご、めん……」
謝る声に、心のなかでぴきり、と音が響く。
弱る彼に欲情している自分に、嫌悪感を抱くのは何度目だろうか。
本人の部屋に運びたいけれど、オミはベッドではなく布団派だ。きっと布団は畳まれているだろうから、簡単に横になれる場所と言うと、ソファーしかなかった。
彼をリビングのソファーに寝転がせ、俺はその場をいったん離れ自室に向かった。
こんなことがまた起きたら……俺は理性を保てないだろう。
俺はスマホを取り出し、友だちの研修医を呼び出すことにした。
第三者がいれはこの感情は抑えられる。
研修医の紫音はさんざん文句を言ってきたが、すぐ行く、と返事を寄越してきた。
できればオミのそばにいたいけれど、今の状態では俺は何をするかわからない。
俺は、紫音が来るまでの間、煙草を吸い時が経つのをひたすら待った。
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