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第4話
(うわ! 俺、何してる?)
大和ははっと我に返ると、蒼の腕を掴み、力を込めて自分から引き剥がした。
「だ、駄目だ、蒼! やめよう! こんなこと……俺たちホントどうかしてる」
大和は、必死で冷静を装いながら絞り出すようにそう言うと、蒼と一緒に体を起こした。
蒼は大和の話を聞いているのかいないのか、全く分からないようなあの妖艶な瞳で大和を見つめ続ける。大和はそれに抗うように目を反らすと、ベッドから静かに降りた。
「で、出てってくれ」
「え?」
「いいから、今すぐ出てってくれ!……頼むよ、蒼……」
大和は蒼を見ずに、声を荒げそう言った。
「大和さん……」
蒼は大和の名を呼ぶだけで、その先の言葉を何も言わない。大和はそれが無性に怖い。蒼が何を考えているかがさっぱり分からないからだ。その先に続く言葉は何なのか。「ごめん」なのか「冗談だよ」なのか、それとも、「もっと違う何か」なのか。大和は蒼の心に潜む欲望が見えてしまうのが怖くて、今はただ、蒼に早くこの場から消えて欲しいという気持ちしか見つからない。
「分かったよ。ごめんね。大和さん。また明日……ああでも、出て行く前にお願いがあるんだ」
「……な、何だ」
大和は固唾を飲んでその先の言葉を待った。
「メンバーの前では自然体でいてね。多分、これから俺を変に意識しちゃうと思うけど……つーかそれはもう前からか。俺たちのこと誰にもばれないようにカモフラージュしないといけないから」
「ちょ、と待て、蒼。誰にもバレないって何言ってる? もうこんなことはこれ切りだろう? 明日からまた今まで通りの俺たちに戻ればいいだけじゃないか! お前、何言ってんだよ!」
大和は混乱してしまい、頭を掻き毟りながらそう言った。
「戻れると思うの? 大和さんは……元の俺たちに」
「え?」
「……まっ、いいか。取り敢えず出て行くね。じゃあまた」
蒼はそう言いながら、するりと大和の手に軽く触れると、部屋を出ていった。
大和はさっきまでしていた蒼とのキスのせいで、自分の身体の血が沸騰するような感覚を覚えた。それは無理やり、自分の五感を覚醒されたような変な感覚で、大和はそれに耐えきれず、ベッドに勢いを付け倒れ込んだ。
「うっ、なんだ、これ……どうしよう」
困惑と焦りが心の中で蠢いているのに、この真逆のような快い感覚は何だろう? 自分が欲望のまま蒼にキスを求めた結果がこれなのか? どうしてこれなのだ。どうして今自分は、こんなにも胸が切なく張り裂けそうなのだろう……。
俯せのまま、大和は自分の唇にそっと指で触れてみる。まだはっきりと思いだせる蒼とのキスの感触。
(あいつ、結構キスうまいな……ったく、どこで覚えたんだよ。)
ぬるりと大和の口腔に入り込む蒼の舌を思いだすと、体がぞくりと粟立った。それと同時に下半身に熱が集中してしまいそうで、大和は今度こそ本気で困惑してしまう。
「あーー!!」
大和は、雄叫びに近い声を発すると、ベッドの上でぐるぐるとのたうち回った。
(どうしよう。何で蒼は俺にあんなこと……。)
あの時、個室でした大和の質問を蒼は確かに否定したのに、まさかと思い確認したのに、あれは嘘だったのか。
(俺を好きだなんて……ないよな? あれは莉子を騙すための茶番だろう?)
聞かなければ。聞いてちゃんと確認しなければ。でも、切り出す勇気がない。もしそれが事実だったらと思うと、大和は怖くて前に進めない。でも、取り返しがつかなくなる前に、逃げ出さずに動かなければ。自分はリーダーだ。リーダーの自分が蒼ひとりに手古摺ってどうする。
でも、もし最悪好きだと言われたら、自分はその気持ちにどう応えたらいいのだろう。蒼からのキスを拒めなかった自分が強く蒼の気持ちを拒絶するのは、あまりにも理不尽だろうか?
(じゃあ? 俺も蒼が好きなのか?……否……待て、待て、待て、何で蒼が俺を好きっていう前提で考えてるんだよ、俺!)
心の中でひとり自問自答をしていると、どっと疲れが押し寄せて来る。
とにかく、自分は明日から今まで通りの普通を貫く。自分にできることはそれしかない。もし、また蒼からおかしなモーションをかけられたら、自分は今度こそ流されずに、ちゃんと蒼の気持ちを問い詰めよう。だってこんなこと絶対にだめだ。絶対に。
大和はそう気持ちを切り替えようと、未だぼうっとする頭に喝を入れた。でも、うっかり気を抜くと、大和にキスをしようとした時の蒼の目を思い出してしまう。
あの目に見つめられと、大和は蛇に睨まれたウサギのように動けなくなる。あの切れ長な目の奥に潜む色気には、人の心を惑わす力が溢れていて、大和はそんな蒼にひどく惹かれてしまって……。
(うあ! 堂々巡りじゃないか!)
大和は頭を抱えると、ベッドから素早く飛び降り、ただ無心になりたいがために、腕立て伏せを我慢の限界が来るまでし続けた。
朝八時に目を覚ますと、昨日ここで起きたことが夢であればいいと願いながら起きたが、目覚めた瞬間から生々しい記憶が蘇り、大和の願いは無残にも打ち砕かれた。大和はその記憶を振り払うように頭を左右に大きく振ると、洗面台に向かい冷たい水で顔を洗った。やっと秋が来たと思ったら、今朝はもう肌寒く、短い秋の予感を滲ませている空気に寂しくなる。もっと秋の雰囲気を味わいたいのに。そんな余裕も時間もないツアー準備時期を、大和は密かに呪う。
今日のスケジュールは、ツアーに合わせて発売されるアルバム収録曲のレコーディングと、夕方からダンスの練習。運悪くメンバーとがっちり朝から晩まで一緒に仕事をするというスケジュールに、大和は深い溜息を洩らした。
(蒼……あいつ、マジ……ああ、どうしよう……。)
朝起きてからずっと大和の心を占領するのは蒼のことばかりで、これじゃあ、高校生の恋煩いみたいだと呆れる。その時、恋煩いという言葉を思いついてしまう自分に驚き、もの凄く嫌な気持ちになった。
大和は無意識に、自分のこの感情を恋だと思っているのだとしたら、相当頭がイカれている。これはもっともっと冷静になるべきだと、大和は鏡に映る自分を見つめながら、自分にそう言い聞かせた。
(大丈夫。すべてなかったことにして、今日から元通りの俺と蒼になる!)
(戻れると思うの? 元の俺たちに。)
強く自分に言い聞かせた次の瞬間、大和は昨日の蒼の言葉を思い出し、一瞬で動悸が早くなった。
(なれる。絶対。もしなれなかったら、それは、俺たちの関係の終わりを意味するんだよ。)
それだけは絶対に嫌だ。蒼と長年培ってきた深い友情を、こんな形で壊したくない。
大和はクローゼットに向かい服を選び素早く着替えると、キャップを目深に被り、部屋を後にした。
レコーディングスタジオに入ると、大和は割と早い方だった。一番先にスタジオ入りしたのは野村遥人(のむらはると)で、流石に楽曲の提供者だけあって、レコーディングに対するやる気と責任で溢れている。大和はそんな遥人を密かに尊敬する。
「おはよう大和さん。よく眠れた?」
「え? な、何で? 眠れたよ」
何故遥人は、そんなタイムリーな質問を自分に投げ付けて来るのかと困惑し、大和はおどおどと答えた。多分、全く意味はないのだろうが、正直眠れないくらい衝撃的なことがあったことを見透かされているみたいで、大和はひとり動揺した。
「いや、最近大和さん、昼夜逆転気味な気がしたから心配でさ。やっぱレコーディングには万全な体調で臨んで欲しいじゃん」
「そ、そうだよな。万全だよ。めちゃくちゃ調子いいよ」
大和は自分の声のキーを上げながらそう嘘をついた。万全どころか最悪だ。超絶不調だ。
「良かった。期待してるよ。大和さん」
遥人の言葉尻は優しいが、目は厳しく大和を見つめる。大和は、遥人のプロフェッショナルな目に胸を刺され、心が熱くなった。
(頑張らないと。自分のベストを尽くさないと。)
大和がそう心に決めていると、勢い良くスタジオのドアが開き、わらわらと数人のメンバーが一気に入って来た。その中に蒼の姿を見つけると、大和の体は、一瞬でブリキ人形のようにぎこちなくなった。
「おはよう、おはよう」
スタッフとそう挨拶を交わしながら、メンバーがスタジオ内を右往左往する。一気に騒がしくなり、密度が増し、熱気を感じるのは普段と変わらない。ただひとつ違うのは、大和と蒼の関係だけだ。
大和はなるべく自然体で行こうと気合を入れて、わざと蒼に近づくと「おはよう」と声を掛けた。
「あ、おはよう」
蒼はあっさりそう一言だけ言うと、隣に座っている、いつも蒼とくだらない話で盛り上がっている、一番年下の百瀬淳(ももせじゅん)と、楽しそうに小競り合いをしている。大和と目を合わせるわけでもなく、まるで、大和がそこにいないような蒼の振る舞いに、大和は安堵というよりも不思議な寂しさを感じてしまい、モヤモヤした気持ちのままその場を離れた。
(そうだよ。これでいいんだよ……。)
大和はそう思おうとするのに、何故か無性に納得がいかない。何故そんなよそよそしい態度を取るのだろう。自然体でいようと言ったのは蒼の方ではないか。でも、よく考えると自然体のスタンスがお互い違っている。大和は今まで通りの蒼との関係を望み、でも、蒼は大和とキスをするような関係をカモフラージュしようとしているのなら、何をどうすべきなのか頭が混乱して訳が分からなくなる。とにかく共通しているのは「今まで通り」の二人だ。それをお互いに意識しているはずなのに、今のそっけない態度は何だ。それが蒼の今まで通りなのだろうか。
大和はつい蒼が気になってしまいチラチラと伺ってしまう。蒼は大和のことなど眼中にないみたいに変わらず淳や瑞樹と談笑している。大和はそれから目を反らすと、レコーディングが始まるまでの時間を、持ってきた楽譜に目を通しながら、自分のパートに意識を集中させた。その間も蒼は大和にそっけなく、大和に近づこうともしなかった。
「さあ、今日は誰から始めようか? ユニット組からやる?」
スタジオに入り、小一時間が経った頃、遥人とプロデューサーが声を上げてそう言った。
(ユニット組……)
そうだった。大和は今回のアルバムで、蒼と、メンバーの中で一番歌唱力がある、大和と唯一同い年の片桐瑛太(かたぎりえいた)とユニットを組んでいる。何度か三人で歌合わせをしたが、まさかこんな状態で本番に臨むなんて思いもしなかった。
大和は心から重たい溜息を吐くと、スタジオのソファーの背もたれに仰け反り、押し付けるように頭を載せた。
「どうしたの? また今日も元気ないね」
大和の変化に一早く気づくのはいつもこの弟だ。本当に周りを見てなさそうで見ている不思議な奴。
徹は大和の隣に腰かけると、そう呆れたように言った。
「は? 気のせいだよ。挨拶代わりに言うな、それ。もう聞き飽きたわ」
大和はわざとぶっきらぼうにそう言うと、平静を装いながら楽譜に目を通す。
「確かに。俺もうこの台詞、大和さんに言うの定着しちゃってるなー」
徹は目を丸くしながら納得したようにそう言うと、自分のバックからスマホを取り出し、パスワードを高速で入れた。
「あ、そうだ。この間の話付いたんでしょう? 莉子さんとの件」
「は? 何で徹がそれ知ってんだ?」
大和は驚いてそう聞き返した。あの時の記憶を思い返そうと思っても、何かに邪魔をされたように上手くいかない。
「ああ、大和さん珍しくテキーラに酔っぱらっちゃってたから、覚えてないんだ。俺に二人で話してたじゃん。中々別れてくれない莉子さんに、二人で付き合ってる振りして騙して、なんとか別れて貰ったって。酷いことしたから、莉子さんの誤解を解くのを蒼さんに頼んだんでしょ? 大和さんより適役だって俺も思ったしね。まあ、俺が莉子さんの友達とアポ取ったんだけど。どう? ちゃんと許して貰えた?」
「お、お前、それ他の誰かに言ったりした?」
「言う訳ないじゃん、つーか言えるわけないじゃん」
徹は困ったように眉根を寄せながらそう言うと、スマホをクルクルとスクロールさせる。
「た、確かに、そうだよな」
大和はホッとすると、また楽譜に目を落とす。
「あのさ。俺、あの時話聞きながら疑問に思ったんだけど、どうして莉子さんは大和さんと蒼さんが付き合ってること信じたの? 決定的な何かがあったのかな? こう、二人が付き合ってることを一発で信じるみたいな何かがさ。口で言っただけじゃあ普通信じないでしょ?」
大和は徹の言葉にびくっと肩を震わすと、それと同時にドキドキと心臓が早鐘を打ち始めた。大和は動揺を気づかれないように、必死で楽譜に書かれた歌詞を目で追った。
「大和さん? ねえ、聞いてる?」
大和は楽譜に集中している体を装いながら、徹の言葉に聞こえない振りをする。
「徹……」
その時、大和の背後から声がした。大和はその聞き覚えのある低い声に弾かれたように顔を上げた。
「次、俺たちユニットがレコーディングだから。邪魔すんな。あっち行け」
「えー、何だよ。誰が順番決めたの?」
徹はそう言うと、大きな体をソファーから持ち上げて、伸びをしながら立ち上がった。
「じゃんけんで決めたんだよ。悪いな」
蒼はそう言うと、さり気なく大和の両肩に手を置き、肩を揉むように力を入れた。大和は蒼のその態度に、自分の心が安堵と喜びで満たされていることに気づき、とても複雑な気持ちになる。自分の単純さにこんなにも呆れる日が来るなんて思いもしなかった。大和は項垂れるように頭を下げると、マーカーペンで強調された楽譜の文字をぼんやりと見つめた。
「徹に何て言われたの?」
「え?」
蒼は背後から大和にそう耳打ちした。大和は慌てて頭を上げると後ろを振り返った。
「べ、別に何も。たいしたことじゃないよ」
「そう? ならいいけど。なんか、慌ててるように見えたからさ」
「気のせいだよ……そ、それよりレコーディング上手くやろうぜ。やっと念願のユニットが組めたんだからな」
「ああ、そうだよ。今回、瑛太さんが一緒だから、それで更にカッコよくなるの、俺が保証する」
蒼はそう言うと、もう一度大和の肩に力を込めた。
(何だろう。この気持ち……。)
蒼とユニットを組み、今こうやって蒼が大和の後ろで大和を見守るように傍にいてくれると、自分はこんなに心が満たされる。
「そうだな。最高の形にしようぜ」
大和はそう言うと、肩に置かれた蒼の手に自分の手をそっと重ねた。これは感謝の気持ちだ。いつも自分の傍で自分を支えてくれてありがとうの意味だ。大和は何故かそれを必死に自分に言い聞かせる。
「だね……ああ、大和さん。今日夜、暇?」
「え? 暇だけど、何で?」
「ダンスレッスン終わった後、宿舎の屋上に来てくれるかな?」
「え? 屋上?」
「そう。昔みたいにラップの練習しない? 今回のユニットをライブでやる時のためにさ」
「おう、いいよ。分かった。じゃあ、飯食ったら、屋上に、二十一時でいいか?」
「オッケー。じゃあ、今日のレコーディングよろしく」
蒼はそう言うと、どこかへ用事でもあるのかスタジオを出て行った。多分、いつものルーティーンで、自販機に毎日飲む、飲み物を買いに行ったのだろう。
大和は軽く約束を交わしてしまったが、屋上で蒼とラップの練習をすることを少し危惧している。でもその誘いが嬉しくない訳などないのだ。多分、蒼も大和と同じように、今まで通りの俺たちの関係を続けていくことにしたのだろうと、大和はそう思いたいから。
(そうであってほしいよ……でも、もし違ったら?)
大和はそれを想像すると、何故かまた自分の血が沸騰するような感覚を覚えてしまい、密かに悶えた。大和はその感覚を早く手放したくて、ぎゅっと両手を強く握りしめた……。
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