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第6話
昨日の晩、大和は蒼が来るのをベッドの中でずっと待っていた。ドキドキとバカみたいに胸を鳴らせながら。でも、いくら待っても大和の部屋のドアが開くことはなかった。流石におかしいと思いラインを送ってみたが、既読にもならず、もちろん返信もなかった。
何かあったのかもしれないと、大和の心は不安と寂しさで埋め尽くされたが、大和はただベッドの中でスマホを見つめるだけで、何の行動も起こせなかった。しばらく蒼から返事が来るのを待ったが、結局睡魔に勝てず寝てしまった。
大和は朝目覚めた瞬間から、蒼のことばかり考えてしまう自分に愕然とした。そのせいで、自分が物凄く蒼が来るのを心待ちにしていたことを痛感し、とても絶望的な気持ちになった。確かに、大和はあの屋上で自ら蒼にキスを求めてしまった。それは、自分の心の奥の方から勝手に手が伸び、蒼を必死に掴もうとするようなイメージに近い。
(これは、本当に俺の意思なんだろうか?)
ただ確かなことは、大和はあの時はっきりと蒼とキスがしたいと感じたという信じ難い事実だけだ。それはもう否が応でも認めざるを得なくなっていて、そんな自分の状況から目を反らすことは既に許されない段階にあることを、大和は強く思い知らされている。
(どうすればいい……。)
大和が次に起こすべき行動を考える。もう自分の心と向き合うことから逃げてはいけない。
今日蒼と会ったら、大和はすぐにゆうべどうして来られなかったのか蒼に問い詰めてしまうだろう。来られなかった原因が何なのか。それがもし蒼の心変わりを意味しているのだとしたら、大和はそれに安堵し、もうすべて無かったことにすればいいと割り切れるだろうか。
(くっそ、遅い、もう遅いんだよ!)
大和はベッドの上で頭を掻き毟る。この湧き上がる切ない感情に胸が熱くて、苦しくて堪らない。
(早く会いたい。蒼の顔が見たい……。)
大和は自分でもどうすることもできない恋情に捕らわれてしまい、しばらくベッドに座りながら頭を抱えた。
はっきり言葉で聞いたわけではないから違うかもしれない。でも、もうそれ以外の何があるというのだろう。
(蒼は俺を好きなんだ……そして俺も……。)
目の前の事実に抗えるほど自分は強くない。今はただ蒼が恋しいという思いに胸が焦がれる一心で、大和は何とかベッドから立ち上がった。
宿舎のリビングに向かうと、蒼の「カモフラージュ」という言葉を大和はふと思い出した。「メンバーの前では自然でいてね」と、以前、蒼は大和にいけしゃあしゃあと言ったのだ。大和はその言葉を頭で意識すると、いつも通りの自分を装いながら、それでも目は必死で蒼を探した。
「おはよう」
背後から肩を掴まれ、驚いて振り返ると、瑞樹が、大和の頬を指でつっかえ棒のようにして刺して、そのまま楽しそうに抓った。
「この感触が堪らないな~」
瑞樹はそう言うと、大和の反応を待つようにじっと見つめて来る。
朝っぱらのこの冗談に大和の顔は正直引きつってしまう。でもいつも通りの自分を演じるにはここで瑞樹に同じようにやり返し、軽くじゃれ合うのがベストなはずだ。大和は躊躇わずそう行動に出たが、それがひどくぎこちなくて、思わず虚しさで軽く溜息を洩らした。
「どうしたの? 調子悪いの?」
心配性の瑞樹は、大和をじっと見つめ早速そう尋ねた。
「腹……減ったんだよ。エネルギー不足なだけ」
大和はそう言うと、本当は空腹などではないが、言った手前引っ込みがつかなくて、冷蔵庫を開けると意味もなく中身を物色した。でも、適当な食べ物を見つけられなくて、今度はキッチンの棚から菓子パンを見つけると、それを掴みリビングのダイニングテーブルの椅子に腰かけた。
そんな大和に倣うように瑞樹もキッチンの棚から菓子パンを持ってくると、大和に「コーヒー飲む?」と声をかけた。
「あ、ありがと。貰うよ」
大和はそう言うと、菓子パンを一口頬張った。
「はい」と言い、瑞樹が大和の前にコーヒーを置いてくれた。大和は礼を言うと、淹れたての香りの良いコーヒーを一口飲んだ。
「あ、あのさ、蒼と徹は? まだ、寝てるのか?」
大和は蒼のことだけを知りたかったが、それでは変に目立ってしまうような気がして、わざわざ徹を付けて瑞樹に尋ねた。
「え? あ~、何かまだ二人して部屋にいるよ。何してんだろうね」
瑞樹は不思議そうな顔で大和にそう言うと、おいしそうに菓子パンに齧り付く。
「ふーん。時間大丈夫か? 後一時間で宿舎出ないと。バラエティー番組の収録に遅れたらやばいぞ」
「そうだよ。二人とも何してんだろう? 俺たちは今日はのんびりできるけどね。でも、俺は朝から振り付け考えたいんだよね。時間もったいないし。あ、大和さんも手伝ってくれる?」
瑞樹は意地悪そうに微笑みながらそう言うと、猫舌なのかひどく熱そうにコーヒーを飲んだ。
「いいよ。喜んで」
大和がそう言いかけた時、ドタバタと階段の方で音がした。音のする方へ目をやると、徹と蒼が階段の降口で揉めているように見える。でも、二人は大和たちに気付くと、急に顔色を変え、一緒にこっちに近づいて来た。
大和は蒼の姿を見た瞬間、鼓動が早くなり、頭に霞がかかったようにぼんやりとしてしまう。思考が上手く働かなくて、大和はそれを逃がすようにコーヒーカップを両手でぎゅっと握った。
(聞きたい。早く。昨日の晩何があったのか……。)
大和は心の中の思いが蒼に伝わるよう、蒼をそっと見つめた。
「おはよう! 大和さん! 瑞樹さん!」
徹は大和たちに近づくと、やけに元気よくそう言った。でもそれが逆に不自然で、大和と瑞樹は自然と顔を見つめ合った。
「おはよう。徹。早く準備しろよ。時間ないぞ」
大和は少しリーダーっぽく上から言うと、徹はあからさまに大きなため息を吐きながら大和をじっと見つめた。
「……分かってる」
徹はそれだけを言うと、朝飯を物色するのかキッチンの方へ行ってしまった。
「おはよう。大和さん……瑞樹」
蒼は大和の前に腰かけると、徹とは真逆の少し元気のない声でそう言った。
大和は蒼の様子にいつもと違う変化を感じ、瑞樹を意識しながらも、つい自分の不安を目で訴えるように蒼を見つめてしまう。蒼は大和の視線を受けると、ただ無言で真直ぐ大和を見つめ返すが、その目はどことなく悲しげに見え、大和の不安は益々膨れ上がった。
「蒼さーん! コーヒーいる?」
キッチンから徹が叫んでいる。蒼はイライラしたように立ち上がると、「いらない」と叫び返した。
「蒼……時間ないぞ、早く準備しろ」
大和は自然を装いそう言ったが、声が変に震えてしまう。
「……分かってる。あ、大和さん……」
蒼は大和に何かを言いかけたが、徹が近づいて来るのに気づくと、それをやめて徹を避けるように席を立った。大和は蒼が何を言いたかったのか気になり声を掛けようとしたが、蒼は徹を横目で睨むと、静かに席を離れた。
「あ、大和さん。そのパン俺が食べようと思ってたのに! またかよ! すぐ人の物横取りする!」
徹は慌ただしく椅子に座ると、持ってきたシリアルを豪快に食べ始めた。
「うるさい。お前は少し食べ過ぎなんだよ。俺が代わりに食べて丁度いいんだよ」
大和はそう言い返すと、蒼の行方が気になりコーヒーを一気に飲み干すと、慌てて席を立とうとした。気が付くと瑞樹は既に隣にいなかった。流石プロ意識が高い奴は違う。
「あ、待って、大和さん……今日、夜暇? 俺話したいことがあるんだけど」
徹はシリアルを頬張りながら大和にいきなりそう言った。
「え? 何だよいきなり。大事な話なのか? 悩みとか?」
「そうなんだ。悩みかな。とにかく、とっても大事な話があるんだよ」
徹は神妙な顔を作るとそうはっきりと言った。
「分かったよ。いいよ」
本心としては、仕事が終わった蒼と今日中に話がしたかった。でも徹の大事だという話を無下にもできず、大和は渋々それを受け入れた。
「良かった。 二十一時にこの間のメキシカンレストランでいい? 多分その頃には流石に収録終わってると思うから」
「あそこか……まあ、いいよ」
大和はこの間のテキーラに負けた一件で、今やもうあの店にはあまり良い印象がない。
「俺とお前だけだろう?」
大和は念のためそう確認した。
「そうだよ。二人だけだよ」
徹は意味深に大和をじっと見つめながらそう言った。大和はそんな徹の態度を少し不思議に思ったが、大和の頭は既に蒼に捕らわれてしまっていて、そう感じた気持ちをすぐに忘れてしまった。
結局、蒼とは徹との待ち合わせ時間まで話すことが叶わなかった。ラインにも送ってみたが、収録中で忙しいのか既読も返信もなかった。もし、蒼が既に大和とのことをすべて無かったことにしようと考えているのだとしたら、その理由が必要になるはずだと思った。でも、理由なら山ほどある。こんな関係は間違っているし、グループを容易くバラバラにしてしまうほどの衝撃がある。だのに今、大和は、蒼が心変わりをしてしまうことが怖くて堪らない。あれは全部嘘で、冗談で終わらされてしまったら、大和の心の中に芽生えている感情の行き場がなくなってしまう。大和だけがこの苦しい感情を抱えたままひとり取り残されるのだけは絶対に嫌だ。そんなことをされたら、自分は本当に苦しくて堪らない。
(蒼……お前ひどいよ。)
大和はそう呟くと、自分が情けないほど蒼に惹かれている事実を思い知らされ、本当に泣きたいような気持になった。
「待ったか?」
先に来て、店の個室を予約しておいてくれた徹に大和はそう言った。徹は少し妙な間を置くと、「大丈夫だよ」と大和を見据えそう静かに言った。
「お酒飲む? ああ、タコスはもう頼んでおいた」
気の利く徹はちょっと偉そうにそう言うと、アルコールのメニュー表を大和に差し出した。
「ああ。この間負けて悔しかったから、またテキーラにするわ」
大和は虚勢を張るようにそう言うと、メニュー表をテーブルの端に戻した。
今日もこの店は例外なく混んでいた。店内の明るい色調はいつも通りだが、大和と徹が座るテーブルのクロスは、今日は白と緑のギンガムチェックだった。
「テキーラなんか飲んで大丈夫?」
徹は不思議そうに大和を見つめてそう言った。
「何で? 悪いか?」
「ううん。別に」
徹は諦めたように投げやりにそう言う。
「……なあ、話って何だ?」
さっきから含みのある徹の言い方が癪に障り、大和は少しイラつきながらそう尋ねた。
「タコスとお酒が来るまで待ってくれる? 人に聞かれたくない話だから」
「はあ? 何だそれ」
大和は益々癪に障り、少し荒っぽくそう言い返した。
そうこうしている内に店員が料理と酒を運んで来た。大和たちはそれを食べ始めると、徹がいきなり口火を切った。
「大和さん……単刀直入に聞いていい?」
「ん? 何だ?」
「蒼さんとのことだよ」
ハッとして大和は、タコスを口に入れる手を止めた。徹はそんな大和の様子をじっと見つめてくる。
「な、何で蒼が出て来る?」
徹から話があると言われた時、何故大和は気づかなかったのだろう。大和は今自分の勘の悪さを心から呪う。あの夜蒼が大和の部屋に来られなかった原因は徹なのだ。
「何でだろうね……でも、何となく分かるよね?」
徹は口いっぱいにタコスを頬張りながら、大和を煽るような言い方をした。
「悪い。全く分からない」
大和は動揺を隠そうと、テキーラに手を伸ばした。
「あ、飲まない方がいいよ。飲んじゃったら、この間よりもひどい酔い方するよ」
「はあ? 何で徹にそんなこと言われなきゃなんないんだよ。俺の勝手だろう」
大和はグラスを手に取ると、構わずテキーラを一気に飲み干した。
「あ~、もうほんと子どもみたいだ。大和さんは」
徹は呆れたようにそう言うと、自分もグラスビールを一気に飲み干した。
「俺も正直飲まないとやってらんないんだよね。はあ~、あのね大和さん。こんなこと本当は言いたくないよ。でもちゃんと聞いてほしい」
徹は畏まったように姿勢を正すと、大和を真正面から見据えた。
「蒼さんとのこと、俺知ってるよ」
「は? な、何がだよ、何を知ってるんだよ」
大和は声が裏返りそうになるのを堪えながら、そう言い返した。
「隠しても無駄だよ。昨日の夜の、二人のライン、俺見ちゃったからね」
(ああ、やっぱり……原因はそれか。)
さっき意地を張って飲み干してしまったテキーラが、追い打ちをかけるように大和の心臓にバクバクと負担をかけてくる。
「……それが、何だ」
大和は知らない振りを貫くなど無意味だと分かっていても、それをしない術が見つからないくらい動揺し、落ち着きなく顎に手を当てた。
「はあ? 冗談でしょ? じゃあ、言うよ。キスって何? これどういうこと?」
徹の口から出たキスという言葉に、大和は弾かれたように俯いていた顔を上げた。
「そ、それは……何かの見間違いで……」
「はあ~、あのね大和さん。蒼さんは認めたよ。大和さんとキスをする仲だってこと。だから、俺はそれを止めさせるために蒼さんに言ったんだよ。これ以上こんな関係を続けるなら、メンバーに二人のこと話すよって」
徹は空っぽになってしまったグラスを、飲み足りないのか意味もなく掴んだり離したりしている。
「そ、それで蒼は……納得したのか?」
「え? したよ。つーか俺がさせた。お願いだからもうこれ以上、大和さんとそういうことはしないでくれって必死に頼んだよ。だって、二人がこうなっちゃったのってさ、莉子さんの前で付き合ってる演技してからだよね? 多分あの時、莉子さんを信じさせるために本当にキスしたんだって、俺はそうピンと来たんだけど、違う?」
(ああ、違わない。すべてはあそこから始まったんだよ。)
大和は心の中で絶望的な気持ちで呟くと、じわりじわりと重たくなってくる頭を、頬杖を付いて支えた。
「蒼は、本当に納得したのか? 徹の頼みを聞き入れたのか?」
大和はそれがとても気になり徹に尋ねた。その納得とは簡単に受け入れたものなのか、蒼にとって自分への思いなど、結局その程度のことなのか。大和はそれが早く知りたくて、狂おしいほどもどかしくなる。
「え? そうだと思うよ……今朝、少し揉めたけど、多分ちゃんと受け入れてくれたと思う。だから大和さんも……だってまさか本気じゃないよね? これって少し度が過ぎた茶番劇の延長線みたいなもんでしょ?」
徹は大和を見つめながら、不安気にそう問いかけた。
「……蒼を、ここに呼んでくれ……本当にそうなのか、今すぐ確かめたい」
「はあ? 何で?」
徹は目を丸くしながら驚くと、大和の肩を揺すぶりそう言った。
自分はやっぱりバカだ。また同じことを繰り返している。どうしてテキーラを一気飲んでしまったのだろう。徹の言った通りだった。本当に止めておけば良かった。
「ねえ、大和さん大丈夫? だから言ったじゃん! 飲むなって。いっつも俺の心配無視してさ! ひどいよ……俺のことバカにしてるの?」
「ち、違う……そうじゃない……徹、本当にすまない。た、頼むから、蒼を、今すぐここに呼んでくれっ」
頭が重いし、胸は苦しいし、切なくて、悲しくて、大和は頬杖しているのもやっとの状態で、何とか徹の目を見つめると、そう必死に懇願した。
「嫌だよ。自分で呼べばいいじゃん。それに蒼さんたちはまだ収録終わってないと思うよ……ねえ、俺はいつだって大和さんのことをちゃんと考えてるよ! だから大和さんを苦しめるなって蒼さんに言ったのに。何で? 何で大和さんは蒼さんにここに来て欲しいの? もうこれでいいでしょ? 何も無かったことにするのが一番ベストじゃん! なのにさ、何がしたいんだよ! 大和さんもやっぱり蒼さんが好きなの?」
徹は興奮しながら声を荒げると、大和が一番答えたくない質問を残酷にもぶつけてくる。
「……きだ」
「え?」
「好きだ! だから、早くっ」
自分とテキーラは本当に相性が悪いらしい。自分の押し込めてきた感情を露にしてしまうのだから。しかも、徹の前で。
「……ややこしい。凄く。どうしてこうなったんだろう」
徹は声を震わせながらそう言うと、大和の隣に座り大和の肩を強く抱いた。
「分かったよ。呼んであげる。後は二人でちゃんと話して。でも、これだけは忘れないでね。俺の納得いく答えが出せなければ、俺はいつでもメンバーに話すからね」
大和の耳元に囁かれる徹の声に、大和は背筋が震えるのを感じた。
(分かってる。分かってるよ。徹。)
大和は重たい頭で必死に頷く。
「はあ、電話するよ、今」
徹はポケットからスマホを取り出すと、蒼に電話をかけようと画面をタップする。大和は重たい頭を気合で持ち上げると、徹の様子を伺った。
「あ、蒼さん……収録終わった? 今俺大和さんといつものレストランにいる。そう、そこ。ちょっと来てくれないかな。大和さんまたひどく酔っぱらっちゃって、俺には手に負えないから……大丈夫、蒼さんが来る前に俺帰るから、安心して……じゃあ」
徹は早口でそう言うと、電話を切った。
「めっちゃ動揺してる。蒼さん。多分すっ飛んで来るよ」
徹は悲しげにそう言うと、大和を見つめながら席を立った。
「帰るね。大和さん。俺の言ったこと絶対に忘れないでね」
もう一度強く念を押すように徹はそう言うと、大和の傍から静かに離れた。
(ああ、蒼、早く、早く来てくれ……。)
大和は蒼が来るのを、まるで充電の切れたロボットのように待った。でも、やっぱり体に力が入らなくて、大和は脱力するようにデーブルに突っ伏してしまった……。
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