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第7話

 バラエティー番組の収録は嫌いだ。収録時間は長いし、不愛想な自分には、常に愛嬌を振りまいたり、無茶ぶりに応えたりといったことがひどくストレスになる。それに、自分たちのような、やっと人気が定着してきたアイドルは、人気MCのスケジュールの都合に振り回されることが多い。スケジュールが目一杯詰まっているこの大物MCは、今日中に何としてでもこの仕事を終わらせなければならないらしく、このまま行くと、この収録が終わるのは、日付が変わる頃になるかもしれない。  蒼はもう我慢の限界に達していたが、それを何とか冷静に心の奥に押し込め、収録が終わるのを今か今かと待った。 (早く、大和さんに会いたい……。)  蒼は収録中ずっとそればかりを考えていて、収録のほとんどは上の空だった。ゆうべの徹とのやり取りが蒼の心を疲弊させ、苦しませるからだ。  起床後も、徹は蒼に何度も念を押してきた。目が合う度に、蒼を脅すように「メンバーに言うよ」と言ってくる。蒼は正直発狂しそうだったが、それこそ、ここで理性のない行動を取ったら、蒼がここまで積み上げてきた大和への思いと、大和が詰めてくれた蒼との距離がすべてパアになってしまう。それだけは嫌だ。絶対に。  今朝、大和が蒼を見つめる目で蒼は確信した。あの切なげな目は、自分の手の中に大和が居ることを表していると。もちろん蒼への気持ちを本人から聞いたわけではないのだから、蒼の勘違いだと言われておかしくない。でも、違う。あの目は自分を求めている目だ。蒼の大好きな大和の大きく澄んだ瞳を思い出すと、蒼の胸は震え、それこそ収録中に蒼は何度我慢できず叫びそうになったか知れない。  思ったよりも早く収録が終わり、腕時計を見ると時刻は二十三時を回っていた。蒼は控室で着替えを終わらせると、マネージャーと一緒に宿舎行きの事務所の車に乗った。蒼は宿舎についたら直ぐに大和に連絡を取りたかったが、ルームメイトの徹に見張られてしまいそうで、それを思うと徹が堪らなく憎らしくてしょうがなかった。 (どうしよう。どうやって連絡取ろう。)  蒼はモヤモヤする思いを抱えながら車窓を流れる景色を睨んだ。  その時、蒼のスマホのバイブが揺れた。慌ててポケットからスマホを取り出すと、電話の相手は徹だった。物凄く嫌な予感に包まれたが、蒼は素早くタップして電話に出た。  電話の内容を徹から聞かされている間、蒼はずっと拳を握りしめていた。早く会いたいというその思いだけで蒼は自分の爪で自分の皮膚を傷つけてしまうのではないかとさえ思った。  徹は決して悪くはない。至極当たり前のことをしているだけだ。徹なりに大和をとても好きだし、大切に思っていることは蒼だってもちろん分かっている。でも、蒼と大和の間に割って入ることだけは絶対に許さない。そこだけは絶対に侵されたくない聖域だということを、徹に強く分からせるにはどうしたらいいだろう。蒼はそれを考えたいのに、目先の思いにばかり捕らわれてしまい、頭が上手く働かない。この先どんな風に徹以外のメンバーやスタッフにバレないよう、自分たちの聖域をもっと確固たるものにすることができるか。その方法を見つけたいのに、蒼の頭の中は今、大和に早く会いたいという思いしかない。流石の蒼も、そんな自分の危険な行動に、純粋な大和を巻き込んでしまった罪悪感が芽生えてくる。 (ごめん。大和さん……でも俺たち間違ってないよね?)  蒼は縋るように心の中で問いかけた。きっと大和も今蒼と同じ気持ちに違いないと、蒼はそう念じるようにもう一度強く拳を握った。  宿舎に車が着いてすぐ、蒼はリビングにいた遥人に、行き先も告げずただ「出掛けて来る」とだけ伝え、大和の待つメキシカンレストランに向かおうとした。  メキシカンレストランまでは車で三・四分ぐらいの場所にある。蒼はタクシーを掴まえようと思ったが、週末と時間帯のせいかひどく混んでいて中々捕まらない。蒼はもう我慢できず、三キロ弱ある距離を走ろうと決めた。  秋の冷たい夜風が頬に刺さるが、走っているせいで体は熱くなり、冷たさはさほど気にならない。ただ、早く大和に会いたいというもどかしさが蒼の呼吸を邪魔し、蒼はまるで過呼吸を患ったかのように、小刻みな呼吸を繰り返した。 「はあ、はあ、苦しいな、くっそ!」  蒼はそれでも休まず走り切ると、メキシカンレストランの派手な看板が目の端に現れた。蒼は店の入り口で両手を膝に当て呼吸を整えると、額にかいた汗を拭いながら、店の中に入った。  徹は帰ると言った。「後はふたりでちゃんと話しして」と、そう言った。その頼みに、徹自身がどれ程蒼たちに期待しているかは分からないが、多分徹のことだ。蒼たちがそう一筋縄ではいかないことぐらい予想しているだろう。徹は賢い子だ。そして蒼と大和の関係を良く知っている。もっと深く徹と話し合える場を作らなければ。蒼は徹に対する申し訳なさを抱えながら、大和がいる個室を探そうと店員に声をかけた。店員は蒼のただならぬ様子に一瞬引いたが、丁寧に案内をしてくれた。  蒼は、店員に案内された個室のドアノブを震える手で掴むと、勢い良くドアを開けた。 「大和さん!」  興奮しながら室内を見渡すと、テーブルの上に突っ伏している大和が目に入った。蒼はその姿に泣きたいような衝動が溢れ、ふらふらしながら近づいた。 「や、大和さん……寝てるの?」  蒼は大和の脇に腰かけると、そっと肩を揺さぶった。大和は丁度蒼に顔を向けるようにして、苦しそうに目を瞑っている。多分またテキーラを飲んだのだろう。徹に何を言われたか容易に想像がつくが、そのせいでまたあの夜と同じように悪酔いしてしまったのだろう。 (バカだな……でも、こういう所が俺は堪らなく好きなんだよ……。) 「うっ、んっ、蒼……」  大和は蒼の存在にまだ気づいていない。でも、蒼の名を呼んでいる。蒼はそれが嬉しくて、今度は本当に涙がジワリと滲んできた。 「いるよ。ここに。迎えに来たよ……」  蒼は大和への愛おしさに体に力が入らず、自分もテーブルに突っ伏したいような気持ちになる。 「疲れたよ。俺、走るの大嫌いなのに、ここまで頑張って走ってきたんだぜ。凄いだろう?」  蒼は大和の耳元に自慢げにそう囁く。 「……んっ、あ、あ、れ?……誰?」  大和は蒼の声で目を覚ますと、ゆっくりとその大きな瞳を開けた。蒼は大和の瞳を見た瞬間吸い込まれそうになり焦った。この人の、どこまでも純粋で穢れのない瞳に蒼の心はいつだって奪われ、その度に幸せな気持ちに包まれる。 「ここで何してんだよ。またテキーラに負けたの?」  蒼は大和と同じようにテーブルに伏せると、少しからかうようにそう言った。大和は蒼と目が合うと、驚きと悲しさを滲ませたような、いまいち、感情の読み取れない不思議な目をした。 「ああ、蒼だ、蒼がいる……良かった、会いたかった」  大和はそう言うと、辛そうに眉間に皺を寄せながら、頭をゆっくりと起こした。 「バカだな。何でまたテキーラなんか飲むんだよ。この間で懲りただろう?」  蒼はまだ酔いのせいで、トロンとした表情を作る大和にドキドキしながら、頭を支えるように優しく撫でた。 「何でだろう……つい徹の前で意地張っちゃったんだよ……俺の悪い癖かな」  大和は自虐的にそう言うと、蒼の肩にさり気なく自分の頭を乗せた。いつもやるお得意のスキンシップ。大和は誰かの肌に触れていないと死んでしまうみたいな儚さをたまに見せる。蒼は自分だって強い人間ではないが、こんな大和を目の前にすると、もっと強くなりたいと思えるし、守ってあげたいという感情が自然と湧いてくる。蒼はそれがいつもとても嬉しい。  大和といると、蒼は自分にも誰かを大切にしたいという感情があることを実感できる。だから蒼は大和とずっと死ぬまで一緒にいたいと思う。このアイドルという過酷な人生を共に歩む同志としてでもそうだが、それ以上に、もっと深いところで大和と繋がりたい。 「なあ、蒼……俺、凄く不安だったんだ。もう蒼は……その」  大和は躊躇うように、その先の言葉に詰まった。 「何? 気になるよ」  蒼はそう言うと、自分も頭を斜めに倒し、大和の頭にそっとくっ付けた。 「だから……徹に説得されて、蒼はすべて俺とのことを無かったことにするのかと思ったら、俺、凄く……ああ、何て言ったらいいんだっ」  大和は、自分の頭を蒼の肩に強く擦り付けながら、そうもどかしそうに言った。 「痛いよ……でも、言いたいことは何となく分かるよ」 「分かる? 本当に?」  大和は、蒼の頭を持ち上げるようにして頭を起こすと、蒼をじっと探るように見つめた。 「分かるよ。俺も同じだから。大和さんも徹に説得されて、今頃俺に全部無かったことにしようって言うだろうって。もし、そう言ってきたら、俺は大和さんを苦しませないためにも、そうしなきゃって……思ったから」 「蒼……」  大和はまた、上手く感情を読み取れない不思議な表情を作る。 「何?」 「……俺に言いたいことがあるだろう?」 「え?」 「いつになったら言うんだ?」 「……それは」 「俺はそれを、まだ待たなきゃいけないのか?」 「大和さん……」 「俺は好きだよ。お前が」 「え? そ、それって」 「大切な親友として、一緒に戦う戦友としてって……ことだよ」  大和は悲しげに目を伏せると、もう一度蒼の肩に頭を乗せた。蒼はその大和の言葉に、血が逆流するほど体が熱くなる。蒼の思いはもう叶わない。そう思ったら、自分の感情が堰を切ったように溢れ出た。 「違う! 俺は違うよ!」   蒼は大和の頭から肩を外すと、力の抜けた大和の両肩を掴み強く揺すぶった。 「好きだよ! 蒼は大和さんが好きだ!…… 親友とか、戦友とか、そんなんじゃない!……もっと、もっと深く繋がりたいんだ……意味、分かるよね?」  正面から見る大和の顔が歪むのが分かる。辛いのだろうか? 苦しいのだろうか? 自分はもうこんなことは止めるべきなのだろうか? 「バーカ……やっと言ったな……お前って結構ドSなのな」 「え?」 「ホント遅いよ……でも、嬉しい。俺も蒼が好きだ。お前と同じ気持ちで……好きだよ」 「大和さん……」 「苦しいよ、蒼、お前がここに来る間、俺死にそうだったんだ……どうにかしてくれよ」  大和は、蒼の首の後ろに手を回すと、強く引き寄せ蒼の耳元に囁いた。 「好きだ……俺は蒼が好きだ……だから、早く……」 (ああ、どうしよう。俺、このまま突き進んでいいんだよね? 大和さんは後悔しないんだよね?)  強烈な嬉しさと不安が同時に蒼を襲う。でも、もう何があってもこれだけは変わらない。蒼は大和を好きな気持ちを絶対に手放さない。だから、だから大和もそうであって欲しい。例え狡いと罵られても、蒼たちは周りを欺きカモフラージュしながらもこの関係を続けていく。それは決して悪いことじゃない。 「待って……」  蒼はそう言い、大和と正面から向き合うと、その膨らみの豊かな唇を見つめた。半開きの口元から覗く舌がセクシーで、蒼はそれに興奮し、後はもう我を忘れる。 「好きだ、大和さん……」  蒼は豊満なその唇とは対照的な自分の唇を強くぶつけるように押し付けた。触れ合った瞬間、その気持ち良さに蒼の頭は一瞬で蕩けた。 「ふっ、んっ、蒼、蒼……」  自ら口を開けて舌を突き出すと、蒼の舌を、まるでそれがないと息ができないみたいに必死絡ませようとする大和に、蒼は泣きたい程切なくなる。 「んっ、や、大和さん……」  自分たちは、ここがレストランの個室だということも忘れ、無我夢中でお互いをむさぼるように求め合った。 「はあ、蒼……どうしよう……もっと」  大和は瞳を潤ませながら蒼に懇願する。これ以上どんなキスを浴びせたら、もっと満足してくれるのだろうか。 (俺のこのキスじゃ足りない?)   蒼は大和の頬を両手でホールドすると、自分の顔の角度を変えて、大和の口腔内の隅々までを舌で刺激する。その刺激に、大和は体を震わせながら興奮を示した。  その可愛い大和の反応に、蒼の情動は更に付き動かされ、蒼は大和の頬を持ち上げるようにして立たせると、自分たちは立ったまま、お互いの体を愛おしむようになぞりながらキスを交わした。 (どうしよう。止まらない……。)  蒼は自分の際限のない欲望に眩暈を覚えると、キスをしながら大和を部屋の壁まで追い詰め、そこに強く大和を押し付けた。両手を掴み、壁に貼り付け自由を奪うと、蒼は、仄かに赤く染まる大和の白い首筋を、舌でいやらしく愛撫する。 「うっ、はっ、んん……」  大和は、蒼に両手を奪われながら苦しそうに仰け反ると、蒼は、更に剥き出しになった首筋から耳へのラインを舌でなぞった。 「はあっ、うっ、蒼……だ、ダメだっ」 「何がダメなの?」 「あっ、ん、お、俺……」  大和は力を込めて蒼の手を解いた。 「やめてくれ……もう、ここじゃ、だ、め」  蒼は大和が最後まで言う前に、吐息交じりに大和の耳元へと囁いた。 「……変えよう、場所……今度こそ、大和さんの部屋に行っていいよね?」  この期に及んでまだ躊躇いを滲ますように、大和は熱く濡れた瞳を泳がせた。 「駄目だって、もう言わせないから……」  蒼はもう一度わざと吐息を吹きかけるように大和の耳元にそう囁いた。 「ああ、蒼……」  大和は観念したように蒼に抱きつくと、蒼の肩に顔を埋めながら、気付かれないぐらい僅かに頷いた……。

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