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第5話

 部屋に入るなり、充希の羽織ったダウンコートを剥ぎ取って床に放る。健もコートとジャケットを脱ぎ捨てて強引にくちづけると、アルコール臭が鼻に抜けた。  呂律も足取りもしっかりしているが、実は充希はけっこう酔っているのかもしれない。そうでなければ無理に手を引いたとはいえ、ここまで一緒には来てくれなかった気がする。 「待っ……シャワーくらい浴びさせろって」 「後で。早くしたいです」 「……待てもできない駄犬かよ」  不機嫌にこぼしながらも、ベッドに押し倒して肌にじかに触れると、充希は体温を上げて呼吸を乱す。どうやら耳の下から首筋にかけてが弱いらしかった。 「……っは、ん……」  鎖骨を舐めながら乳首をつまみ上げると、こらえきれない風情で喉を反らす。  少し触れればわかる、男に慣れた身体。芳井と、あるいは他の男と、どれだけの夜を過ごしたかと思うだけで頭の神経が焼き切れそうだ。  シャツを開きベルトも外して、前を寛げた中に息づいているものに触れる。取り出して軽く撫でただけで、それは触られたがって雁首をもたげた。 「……っ、や……」  濃やかに扱き、指で先端の鈴口をなぞると、ぷくりと澄んだ腺液を浮かべる。その動きを何度も繰り返すと、てのひらを往復させる度にちゅくちゅくと水音が立った。 「気持ちいい?」  耳元に囁くと、ふるっと震えた充希が小さく何度も頷く。 「い、……っちゃいそ……」 「もう?」 「るせ……溜まってんだよ」 「じゃあ早く出させてあげないと」  少し力を込めてピッチを上げると、眉根を寄せた充希のかかとがシーツを掻く。 「あ、あ、あ」  ゆるく開いたくちびるから煮崩れるような喘ぎを漏らして、充希は不意に硬直した。 「……っん、ふ……っ!」  ドクンと脈打った屹立が放った白濁を、健はてのひらで受け止めた。充希の息が整うのも待たず、中途半端に脱がせていた下半身をすべて露出させて、割り入ったその間に濡れた手を忍ばせる。 「……ぅ」  異物感に充希は声を漏らすけれど、指先は抵抗なく体内へ受け入れられた。  きつく目を閉じて顔を背けていた充希が、ふと瞼を上げて睨んでくる。 「俺だけ……」  伸びてきた充希の手がネクタイに触れ、また絞められるかと一瞬たじろいだが、その指は結び目を握って引き抜いた。 「少しは脱げよ、おまえも。なんできっちり着込んでんだよ……」  睨む目元が赤らんでいる。確かにほとんど着衣に乱れのない健に対し、充希ははだけたシャツが腕に絡まっているだけで、その状態が恥ずかしいのだと理解した。 「……ん、ちょっと待ってください」  片手で充希の中を窺いながら不自由にシャツのボタンを外していると、まどろっこしそうに充希の手が手伝ってシャツを脱がせにかかる。スラックスのベルトも外し、充希の手がその中に忍び込んできた。 「あ……柳瀬さん」 「もちょっと寄って」  充希の手が届きやすい位置に伸び上がると、丁寧な手つきで両手が健を包み、ゆるゆると上下にさすり始める。意識を持っていかれそうで眉を寄せると、眼前に同じように顔をしかめた充希がいた。  指を進めて中で折り曲げて、前立腺を探るように内側を撫でる。と、ぎゅっと目を瞑った充希の手がお留守になった。 「……見つけた」 「っ……や、あぁ」  シーツに頭を擦りつけるようにしてかぶりを振って、逃げを打つ体を押さえ込んで膨れたその器官を穿つ。性感にとろける体が指三本を受け入れるまでの馴致はあっという間で、健は慣れた手つきでゴムをつけた。 「挿れますね」  その段になってひどく冷静な自分の声に、健はあれ、と思った。 「……あ、小野原……ぁ」  先端を潜り込ませると、充希は苦しげに喘いで(おとがい)を反らせる。生理的な抵抗を宥めるように小さく抽挿を繰り返しながら進み、やがて根元までが呑み込まれてきつく包まれた。  確かに気持ちいい、のだけれど。  表面的な快楽を得ながらも、地に足がつかないような感覚に、健は内心で動揺していた。  憧れ続けた人の体内に受け入れられているというのに、夢見ていたような高揚は訪れない。誰でもいい者同士、と(かた)ってはみたけれど、少なくとも健にとって充希は誰でもよくて抱く相手ではなかったはずだ。  なのに、まるで胸に熱がわかない。どうして。  こんなはずはない。充希を抱いているのに、他の名前も覚えていないような男たちを抱くのと同じテンションでいられるなんて。 「ひっ……あ、あ、んぅ……」  開始された律動に内側を抉られ、荒い呼吸を引きずりながら縋りついてくる手に、指輪が白く光る。  ――ばぁか。  頭の奥で誰かが言った。  ――こんなことしたって、一生片想いだよ。  目の前が真っ赤になる。 「……わかってる……っ!」  軋むほど歯噛みして、腕の中の体を突き上げた瞬間に充希が痙攣した。高く喘いで腹に精液を吹きこぼして、がくがくと震える体をうつ伏せに裏返す。 「やっ、あ、待っ……!」  懇願も聞き入れず、腰を持ち上げて後ろから突き入れると、悲鳴を上げて充希の体が突っ張った。今のは痛かったかもしれない。それでも止まれなかった。 「む、無理、も……無理だからっ……」 「嘘ばっかり」  冷たい声が出るのに、自分で驚く。充希も肩越しに丸い目を寄越した。 「足りないんでしょう? 中、きゅうきゅうしてますよ」  頬に朱を刷はいて、充希は自身の腕に顔を埋めてしまう。言葉で責める趣味はないのに、嗜虐的な衝動が止められない。  自分の言葉で、充希に傷ついてほしかった。でもたぶん、彼の中に何の痕跡も残せはしない。  そのまま後ろから犯して、やがて二度目の遂情を迎えたその中で健も放って、充希はぐったりとベッドへ沈む。その上に四つん這いで覆い被さって、健は息の上がった愛しい人を見下ろした。  白い背中。離れた肌が冷めていく。 「小野原……やっばいなおまえ。おとなしい眼鏡キャラかと思いきや肉食系だし、無駄に巧いし、――」  荒い呼吸でからかおうとした充希が、急に言葉を止めた。頬に雫が降ってきたからだ。 「――小野原?」  驚いた顔で見上げられて、その雫の出所が自分だということに健は気づく。 「え? ……あれ? なんだこれ」  眼鏡を外して目元に触ると、指は触れたそばからそぼ濡れて、混乱して健は腕で両目を擦った。その姿を、充希は呆れたような半眼で見上げている。 「……後腐れ満載の地雷原じゃねえか」  やっぱやめときゃよかった、と充希がこぼす。健の涙は止まらない。 「いや、すみません、わけわかんない。泣くようなタイミングじゃないですよね」  はは、と笑ってなんとか涙を止めようとする。白けた充希の眼差しのお陰で、間もなく頭が冷静になった。  大丈夫。自分の正気を疑いたくなるような、あの胸の冷たさはない。  でも、冷たさも熱さも蓄えられないほど、空っぽだ。  体を繋げても、何の意味もない。充希の中に好きの気持ちの欠片もない。自分も渡していない。渡す意味もない。その証拠にほら、もう充希は背中を向けている。 「シャワー浴びてくる」 「……はい」  情けなく前髪を掴みながら、興醒めさせてしまっただろうな、と健は思った。  俺はバカだ。平気なふりができないなら、手なんか出すべきじゃなかった。  簡単に後始末をして、スーツを着込む。やがてバスルームから、濡れ髪を拭きながら充希が出てきた。 「あの、柳瀬さん」  呼び掛けるのに、勇気が要った。 「んー?」 「連絡先って、大学の頃から変わってませんか? その頃のなら知ってるんですけど」  髪を拭く手を止めて、充希がタオルの奥からじっと健を睨め据える。 「変わってなかったら何なの? おまえが俺に連絡する用がどこにあんの?」  視線があまりに冷たくて、心は折れる寸前だ。それでも、と健は拳を握る。 「俺と、また会ってもらえませんか」 「は?」 「俺でよかったらいつでもつき合います。寂しいからって、もう行きずりみたいなことをするのはやめませんか」  めげずに提案すると、充希の目がわずかに見開かれた。 「……おまえが俺の恋人になるって?」  訊かれて、健は滅相もないと首を振る。 「そんな、俺なんかが芳井さんの代わりになれるわけないです」 「じゃあ何だよ。さっきの説教の続きか?」 「説教って……」  好きだから、自暴自棄なことはしてほしくない。好きだから、幸せでいてほしい。好きだから、自分が彼を好きになった頃のままでいてほしい。  好きだけど、言えない。理由のすべてが利己的すぎて。 「……出よう」  すいと、視線を外して充希は言った。ボーナスステージはこれでおしまい、の合図に聞こえた。  別れの言葉もなく、充希はホテルから出ると一人でタクシーに乗り込んでいく。去っていくタクシーのテールランプを見送りながら、すかすかの胸に健はてのひらを当てた。  ――抱いた、よな。俺。柳瀬さんを。  実感できるものが何も残っていなくて、一人の夜道は気温以上に寒くて、健は指を握りこんだ。

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