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闇夜の皓 9
「──そうだ」
何気に思い立って翠也に告げる。
「出かけるが、一緒にくるかい?」
突然の俺の言葉に、彼はきょとんとしながらも嬉しそうに微笑んで頷いた。
中天にかかる太陽の熱さはまだまだ健在で、少しでも日が傾いてから出ればよかったと悪態を吐きそうになる。
「どちらに向かっているのですか?」
外出のために珍しく洋装の翠也が尋ねてきた。
いつもと違う装いと雰囲気の中で、無垢な目でこちらを見上げる翠也にこくりと喉が鳴る。
帽子とこめかみの隙間から流れた汗を舐めたくなったが、往来と言うことを思い出して手を止めなくてはならなかった。
それを口惜しいと思ってしまうあたり、だいぶ参っているらしい。
「あぁ、玄上の工房だよ」
「げ、ん……?」
「君が妬いた相手だ」
「──っ!」
ぱっと朱を散らした顔に笑いながら、坂を下った先にある石垣を右手に曲がる。
そこを進んだ先にあるのが玄上の住んでいる屋敷だ。
未亡人に残された豪華な洋館は、見る度に驚嘆の溜息が出るほど素晴らしいものだ。
この屋敷の一角に工房を持たせてもらっているのだから、さすが才能を遺憾なく発揮している玄上だと言う他ない。
「いつ見ても玄上のとこは凄いな」
「玄上ってもしや、……田城玄上ですか?」
翠也の口からその名前が出たことが意外で……
「知ってるのかい?」
翠也は素直にこくりと頷く。
「作品を見たことがあります」
「そうか、あいつはいろいろ描いているし、個展も開いているからな」
「あの緻密の極みのような細密画は素晴らしかったです」
「…………」
洋画と日本画で畑が違うのだから、翠也がそう褒めたことに対抗心を持ってもしかたがないのだが、面白くないと思うのは別の話だ。
「君の好みは、ああ言うのかい?」
「え?」
おど……と、俺の刺々しさを感じたのか瞳が揺れる。
「す……素晴らしい技巧だと、思います」
怯えながらも、彼の感想は変わらない。
「技術をすごいと、そう思うのはいけませんか?」
窺う彼に申し訳なさが募って……
翠也は俺が言葉に含ませた意味を、表面しか受け取っていないようだった。
ああ言う、がっしりとした体つきの男の方がいいのか……なんて、女々しい言葉を彼に気づかれなくてほっと息を吐く。
「いや……」
悋気を覆い隠せるような言葉を探すが見つけられず、代わりに指を伸ばして熱気に温まった肌の上の雫を掬って口に含む。
「あっ! ぁ……こんなところで、いけませんっ」
俺の突然の行動に慌てて身を引くが、壁に背をぶつけてびくりと身を縮める。
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