180 / 192

血 2

 玄上の気持ちを慮るならば、勧めるべきはそちらだろう。 「うん、でもなんか好きだから」  相も変わらずるりの言葉は簡潔で、明快だった。   「気を遣わなくてもいいんだからな?」 「ちがうよ」 「そうか……まぁこれしかやっては駄目と言う決まりがあるわけじゃなし。自由にやってみるといい」  そう言って亜麻色の髪を撫でると嬉しげに擦り寄ってくるので、苦笑しつつも力を込めて抱き締めた。 「んっ 苦しいよ」  俺の腕の中で潰されたるりに謝りながら、以前に馨子が言っていたことを思い出して尋ねる。 「るり、並木夫人を覚えているか?」  俺の問いに、るりは何やら神妙に顔をしかめて頷く。 「うん」 「はい、だろ?」 「はい。あのおばさんがどうしたの?」  おばさんと言うにはあまりにも若い彼女の姿を思い出して苦笑する。  結婚してすぐに夫を亡くした彼女は、子供もいないせいか夫人と呼ぶには抵抗がある若さだったが、それもるりから見ればただの年上の女性と言うわけだ。 「お前の援助を申し出てくれている」  喜ぶかと思った考えは、しかし傾げられた首に霧散する。 「だから、るりに絵の勉強をさせて、世話をしたいって言ってくれてるんだ」 「  でも」 「いい話だろう?」  そう言うも晴れた顔はせず、やや濃い亜麻色の睫毛を伏せて曖昧に頷くだけだった。 「どうした?」 「……うぅん」  ぽつりと返す様子はとてもじゃないが普通には見えない。 「嬉しくないのか?」 「……卯太朗も、行く?」  は? となって慌てて首を振る。 「いや、俺はこちらで厄介になっている身だから」 「なら行かない」 「おいっ」  顔を曇らせてるりはそっぽを向いてしまった。 「並木夫人なら伝手も多い、お前の師になってくれる人も見つけてくれるだろう。玄上が世話になっていたところだから画家の扱いにも慣れいている。それに何より、もう橋田に怯えることもなくなるんだぞ?」  そう言うも、るりは俯いて唇を引き結んだままだ。  白い手を取り、鉛筆で黒く汚れた部分を宥めるように撫でた。 「な? 受けたらどうだ?」 「いやだ! 卯太朗と離れるなら、あいつに乗っかられる方がいい!」 「るりっ」  咎めるように言うが、るりはこちらを見もしない。 「いやだっ!」  眉間に皺を寄せ、睨みつける蒼い瞳に水の膜が張る。  水底から空を見上げたような錯覚に陥る美しさにはっと息を飲んだ。

ともだちにシェアしよう!