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霍公鳥と川蝉 6
「……切るものを」
疲れているのか、一度足を引っ張られたぐらいでは起きなかったるりを起こさないように、腰紐を切れそうなものはないかと探す。
けれど、探している途中で思い出した。
自傷を止めるためにるりが家の刃物と言う刃物をどこかにやってしまっていたんだ と。
傷だらけの手で苦労して腰紐を解き、首を括るには長さの足りないそれを放り出した。
わずかの理性でるりにかいまきをかけてから庭へと出る。
記憶にある庭はもう少し地面や葉が見えていたように思ったが、目の前のそこは雪に埋もれて真っ白だった。
ちかちかと刺されるような苦痛を感じて目を細め、そのまま裸足で庭へと降りる。
冷たいと感じたのは一瞬で……
その後は熱いような不思議な感覚だった。
「寒い、のにな……」
冬が苦手だと言っていた。
いつも酷い風邪を引くからと。
「寒かったろう……温めると約束していたのに、独り逝かせてしまった」
一歩一歩噛み締めるようにして前へと進み、雪の積もった池の前に立つ。
そこまで大きいと言うわけではなかったが、人ひとりが入るには十分だった。
「 すまない」
そんな安易な言葉で許されるはずはなかったのに、今の俺にはそれ以外の言葉が浮かばない。
そろりと足を踏み出すと足の裏に氷の固い感触がしたが、体重をかけるとあっと言う間に割れてしまった。
薄い透明な向こうは冷たい水のはずなのに、漬けた足はどうしてだか灼けるように熱い。
なぜだろうとぼんやりと考えながら、もう片方の足も水に沈める。
割れる氷の音と水音が混じって騒がしかったが、それもきっと雪が吸収してくれるだろう。
もっと深い方へと向かうために一歩踏み出す。
こんな熱いもので凍え死ぬことができるのだろうか?
それならば家に戻って、窓でも割って首を掻き切った方が確実ではなかったかと思い直した。
「これがうまくいかなかったら、そうしよう」
ぼんやりと見上げた空は雪が降っていたとは思えないほど青い、けれどどこまでも空虚でこの世の虚しさを語り掛けるようだ。
膝を突くと割れた氷ががしゃがしゃと鳴って……
「 ────」
そのうるささの中に翠也の声を聞いた気がした。
頭が馬鹿になったのか、それともこんな俺でも迎えに来てくれたのかと池の氷を掬う。
硝子に似て非なるそれは皮膚を破ることはできなくて、掌の熱で緩く溶ける。
「 ────卯太朗さん」
幾度も繰り返された柔らかな呼びかけを、今際の際にもう一度耳にできたことに笑みが浮かぶ。
もう少し深いところへ……と身を乗り出した瞬間、襟を掴まれて体が仰け反った。
「卯太朗さんっ!」
鋭い声と共に覆い被さるように俺の視界に入ったのは青い空に良く映える烏の濡羽色だ。
見間違えるはずもない、黒曜石をはめ込んだ理知的な瞳を。
「 翠也」
俺の声は氷が騒ぐ音にかき消されそうなほど小さかった。
水に浸かっていたのは俺の方だと言うのに、血の気のない顔で俺の手を握っている翠也の方が真っ青だった。
冷え切った体は手を握ったところで温かくはなってくれず、お互いの体温が高まることもない。
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