6 / 20
第6話 癖
「無意識だと思う」
起床後、ダイニングテーブルでコーヒーを飲む高見さん。
フィルターでこしたそれは、広い部屋を豊潤な香りで満たした。
ごめんね、と手を合わせて謝罪する高見さん。
「睡眠の方は?」
「熟睡だよ~!こんなに長時間深く寝れたの久し振り。
これなら睡眠サプリ要らないと思う」
まるで付き物が落ちたような、健やかな表情。
続ければ、目の下のクマも薄くなっていくのだろう。
それに、俺の睡眠の質もかなり上がっていた。
流石、アスリート御用達の高級マットレスだ。
「今後もどう、かな?」
恐る恐る、伺うような声音。
俺を抱き枕にした事を気にしている聞き方だ。
確かに他人に知られたくはないと思う。
「あの、とりあえずは継続で」
魔性のマットレスとハーブの誘惑に、俺はいとも容易く屈した。
まあ、ハグは対策を講じればいいし。
「ありがとう!」
ふわりと花のように笑う高見さん。
つられて笑顔になってしまう。
優しい人が健康になってくれたら、俺も嬉しい。
――その夜23時、寝室のベッドにて。
「なにこれ」
「一応、お試しで」
無意識ハグを考慮して、ベッドの真ん中に丸めた掛け布団でバリケードを築いてみた。
これは高見さんの名誉を守る為の策でもある。
ぽりぽり、と頭をかく高見さん。
何か言いたげだったが、諦めて布団に入る彼。
「…おやすみ」
「おやすみなさい」
俺はベッドの端で、深く目を閉じた。
――翌朝。
静かなアラーム。
イケメン投資家の腕の中で目を覚ます俺。
バリケードは何故か突破されていた。
(ですよねー)
ある意味予想を裏切らない高見さんに、俺は呆れを越え尊敬さえ覚えた。
「なんでだろう?」
ダイニングテーブルで、香り高いコーヒーを嗜む高見さん。
頭には大量の「?」を浮かべていた。
(ゴールデンレトリバーみたいな人だな)
俺は、実家で朝起きるとバリケードを突破して添い寝してくる愛犬を思い出した。
ひとつ、気になる事がある。
尻に当たる固い「ナニ」。
(毎朝あたってるんだよな)
言わずと知れた「朝勃ち」である。
(EDじゃなかったっけ?)
もしかして、いろんな不調が回復の兆しにあるのかな。
まあ、元気なのはいい事だ。
俺はそれ以上深く考えるのを止めた。
――8月初旬。引っ越して1か月。
高見さんはみるみるうちに健康的になっていた。
隈は完全に消え、血色は良くなり、より精悍な顔つきになった。
たまに一緒に外出する時は、よく女性が振り返るのを見かける。
フェロモンがオーバーヒートしてるんじゃなかろうか。
本人も体調が良くなったのを自覚してか、スキンシップが多くなり、勢い余ってハグもしてくるようになった。
その点については、俺は諦めていた。
抱き枕に慣れてしまったというのもあるが、元々この人の癖なのだろう。
留学経験か親類に海外の縁があるのか、自然に触れてくる。
別に誰も見てないし、悪意が無いのに抑圧するのはよくないよな。
「お盆に1週間帰省してもいいですか?」
洗濯物を畳みながら聞く。
まるで主婦みたいだ。
「いいよ、ゆっくりしておいで」
「バイト代抜きでいいんで」
「作り置きしてくれるんだろう?別に今まで通りでいいよ」
「はい、ありがとうございます」
何だかんだで添い寝は続行中だが、俺が居なくても睡眠障害は大丈夫なのかな。
だとしたら、あの魔性のマットレスを手放すのは些か勿体ない気はするが、帰ってきたら寝室を分ける事を打診してみていいかもしれない。
俺はボストンバックを肩から下げ、高級タワーマンションを後にした。
電車で2時間半。
俺は実家の愛犬・まめ吉の熱烈歓迎を受けつつ、親に近況を話した。
引っ越しは電話で知らせていたが、直接話すのは今回初めてだ。
「上手くやってるそうだな」
「お帰り、兄ちゃん」
眼鏡姿が絵になる俺の兄、総一郎兄ちゃんだ。
高見さんとは中学からの付き合いだそう。
会社は大阪で、よく盆正月に帰省している。
長身の兄は、高見さんと並んでも遜色なさそうだ。
「高見、凛の事べた褒めだったぞ。
あいつが他人褒めるなんて、珍しいからな」
「そうなの?いい人だよ」
「そういえば昔、凛も一度会った事あるけど覚えてるか?」
ともだちにシェアしよう!