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雪のような人 3
「ありがとう。お金は来週一括でお支払いするわ」
「私の仕事ぶりを見てからではなくて良いのですか?」
「少額で申し訳ないから、せめて前払いにさせて。私の仕事はシフト制だから、日によって家にいたりいなかったりするけど、気にしないでね」
「かしこまりました」
「それと、最後の『連絡は叔母を通じて』っていうのは、何かあった時は、私が美奈子さんに連絡して、そこから健人くんに連絡がいくってこと?」
母さんが首を傾げる。
「そうです。逆に私から連絡がある場合は、叔母にことづけます」
「どうしてそんな面倒なことを? 悠里と直接やりとりすればいいじゃない」
「叔母が『生徒と連絡先を交換しない方がいい』と言うもので。情報流出など、何が起こるか分からない世の中だから、とのことでした。もちろん叔母は私を信用してくれていますし、私も息子さんの連絡先を悪用するつもりなどございませんが、念には念を入れて、大人を通じて連絡させていただけた方が良いかと思います。お母様にお手数をおかけすることになってしまいますが、その方が安心していただけると判断してのご提案です」
「そこまで考えてくれてたの。……そうね、何かが起こってからでは遅いものね。分かったわ。この条件でお願い」
母さんに「かしこまりました」と頷いた彼は、その流れで俺に視線を向けてきた。
「悠里さんは何か質問はありますか?」
ゆうりさん。彼の口になじんでいない俺の名前を聞いて、むずむずと背中がかゆくなった。
「ないよ」
「では、精一杯、息子さんの家庭教師を勤めさせていただきます。三月までよろしくお願いします」
彼が頭を下げると、髪の毛がさらりとテーブルをなでた。
「こちらこそよろしくお願いします」
母さんがお辞儀するのを見て、俺も慌てて会釈した。
俺よりもあとに顔を上げた母さんが、眉を八の字にしながら言う。
「うちの息子、馬鹿だから大変だと思いますけど、よろしくお願いしますね」
俺はこのタイミングで、テーブルの真ん中に輪っかになった水滴があることに気がついてしまった。母さんがお茶をいれた時にこぼしたのだろう。台拭きを持ってきた方がいいだろうか。水滴を見つめていると、じりじりという視線を感じた。顔を上げる。彼と目が合った。と思ったら、すぐにそらされた。
――なんだよ。言いたいことがあるなら言えばいいじゃないか。
「とりあえず、息子さんの今の学力を把握させていただきたいので、テストを見せていただけますか?」
にらみつけてみたが、彼は母さんにばかり話しかける。
「俺の部屋にあるよ」
面白くない。ぶっきらぼうな言い方になってしまう。
「じゃあ、部屋でやったらいいんじゃない? わざわざ持ってくるのも面倒でしょうし。私、ここで待ってるから。終わったら声かけてちょうだい」
母さんに促され、彼が立ち上がった。
面白くない。俺はわざと大きな音を立てて、彼を先導するように歩いた。
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