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犬と猫 3

 作ったというからには、パソコンを使って先生が打ち込んだものなのだろう。数字や英単語の文字幅は狭すぎず広すぎず、読みやすい。また、改行やインデントなどがずれている箇所もない。丁寧で、きっちりとしたプリントだ。先生の性格が少しだけ分かったような気がした。  ――でも、これって、紙とかインクとかどうしてるんだろう。中一の問題集は市販のものだったし。  疑問がわいてきて、先生に尋ねる。 「そういえば、問題集を買ったり、印刷したりするお金ってどうしてるの?」 「田丸さんからいただいた二万円でやりくりしてますよ」  先生は何でもないことのように言う。 「テキスト代込みでその値段なの?」 「はい。田丸さんから別途いただきそうになりましたが、断りました」 「それって、ほとんどボランティアじゃん!」 「いいんですよ。指導の勉強にもなりますし」  そうだとしても、対価がなくてやっていけるものだろうか。俺だったら絶対むりだ。労力に見合わない給料では、やる気になれない。 「先生はなんでこんなに、俺に親身になってくれるの?」 「実は、僕の実家で犬を飼っています」  突然何の話が始まったのだろうと思った。 「十二歳のメスのゴールデンレトリバーです。名前は『みやこ』というんですけど――」  先生はそこで言葉を止めて、俺をじっと見つめてくる。 「君はみやこに似ています。だからでしょうか、ちゃんと僕がお世話してあげないと、という気持ちになります」 「お世話って……。すごく複雑な気持ちなんですけど」  口を尖らせると、先生が笑った。  会話の予測ができないから、先生と話しているとペースが乱れる。でもなぜか、その乱れが心地よいと思ってしまう。もっと乱されてみたいと思ってしまう。  会話が途切れ、なんとなく壁掛け時計を見上げた。  ――もうこんな時間だ。早く問題を解かないと。  勉強机の上、ペン立てからシャープペンシルを抜き取ろうと思って手を伸ばすと、その先にいた先生が大きくのけぞった。突然動いたから驚かせてしまったのだろうか。目をまんまるにして俺の指先を見つめる先生は、やっぱりあの黒猫に似ていた。 「先生は猫っぽいよね」 「初めて言われました。どこがですか?」  恥ずかしそうに、前髪で自分の顔を隠しながら言う。 「仲良くなれたような気がして、そろそろ触らせてくれるかなと思って近づくと、あっという間に逃げられる感じ。通学路で見かける野良猫にそっくり」 「それも結構複雑な気持ちですよ!」  先生はいつもよりも声を張って、俺の方を見た。整っているはずの顔が少しゆがんでいて、不快な気持ちにさせてしまったのかもしれない、と反省した。 「俺、猫も好きだよ」 「……僕は犬派です」  ぷいっとそっぽを向いてしまった先生が、なんだか幼い子供のように見えて、ときめいてしまった。  ――ん? ときめき?  俺は、左手を髪の毛の中につっこみ、机に肘をついて頭を支えると、右手でシャープペンシルを回した。  ――なんで? 先生は男だぞ。……これは、アレだ、きっと。スーパーで目当てのお菓子を買ってもらえなくて、泣きそうなのに、必死でそれを我慢している幼稚園児を見た時と同じ気持ち! うん、そうに違いない。  親指の上できれいなターンを決めたように見えたシャープペンシルが、バランスを崩して机の上に落ちた。

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