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犬と猫 5
――俺が勉強できるようになるってここまで信じてくれた人はいなかった。母さんだって、家庭教師を頼んだものの、そんなに期待してなかったんじゃないだろうか。俺のことは「出来の悪い息子」と周囲に紹介しているし。みんなから、「悠里は馬鹿だねぇ」って笑われて、俺も「そうなんだよ、やべえよな」ってヘラヘラ笑いながら過ごして、それでいいって思ってた。そうやって生きるのが賢いやり方だと思ってた。でも本当は諦めてただけなんだ。楽な方に逃げてただけなんだ。先生は俺を信じてくれた。「君は馬鹿です」なんて言いながらも、バカな俺の中に眠る可能性が絶対あるって、信じていてくれた。
首を横にひねると、先生が机の上のプリントを、愛おしそうに見つめていた。先生の顔は喜びに満ちあふれていて、この部屋には鏡がないから正確には分からないけれど、俺よりも嬉しそうな顔をしているんじゃないかって思う。
――なんで、他人のことでそこまで喜べるんだよ。
「先生、ありがと」
ボソッと呟いた。先生がプリントに視線を落としたまま、口を開いた。
「この調子で、できることをどんどん増やしていきましょう。僕と一緒に頑張りまちょ――」
噛んだ。すごくいいところで噛んだ。ぶはっと吹き出すと、先生が勢いよく顔を上げた。笑いがとまらず、息ができない。
「『頑張りまちょーね』って! 赤ちゃん相手じゃないんだから。俺を赤ちゃん扱いするのは、勘弁してよ」
呼吸の合間に軽口を叩けば、先生ににらまれる。しかし、数秒後にはその表情が変わった。「いいことを思いついた」とでも言わんばかりの、悪い顔をしている。
「悠里ちゃん、ごきげんでちゅね。何かいいことでもあったんでちゅか? 僕に褒められて嬉しかったんでちゅか?」
先生が高い声を出した。浮かれた声で、いつもは言わないような浮かれたことを言ってくる。
ニヤニヤした先生の顔を見ていると、腹が立ってきた。
――頑張ったのは俺だし! 俺が問題を解けたことについて、俺より浮ついてんじゃねぇ!
バカなの? と叫ぼうとした瞬間、先生が顔を寄せてきて、俺は身を固くした。
「悠里ちゃん。怒った?」
低い声。先生が耳元で囁く。
心臓が、跳ねた。
「うるせえ……おっさん」
声に力が入らない。
「お兄さんはからかうものじゃありませんよ」
先生が喉を鳴らして笑った。
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