17 / 135

赤いバラ砕けて 3

 部屋の中に入ってからも、先生はずっとピリピリしていて怖かった。 「怒ってる?」  貧乏ゆすりをして、どこにも焦点が合っていないような目をしている先生に問えば、 「怒ってません」  という突っぱねるような声が返ってくる。  会話が続く気配はなく、やけに緊張する。先生と初めて会った日に戻ってしまったみたいだと思った。  俺が黙ったまま問題を解き、先生が丸付けをしながら間違えた問題の解説をしてくれる。無駄な会話は一切ない。  静かに時間が流れた。 *  一時間経ち、帰り支度を始めた先生が息を吐くように言った。 「君はずいぶんとモテるのですね」  先生が首を後ろにひねっている。その視線は、ベッドの上に向いているようだった。学校の友達からもらったお菓子が入っている紙袋と、姉ちゃんにもらったポテトチップスが入っているビニール袋。  先生の声は冷ややかなままだったけど、世間話を先生から仕掛けてきてくれたことにほっとして、俺はようやく息がつけるようになった気がした。 「モテるっていうか、友だちが多いだけだよ。全部義理チョコ。先生は本命チョコいっぱいもらえそうだよね」  先生はかっこいいから。当たり前のことを言ったつもりだったのに、先生の顔がくもった。 「義理も本命も、もらえませんよ」 「どうして?」 「前にも言ったでしょう? 僕は減点法なんです。バレンタインは二月です。四月ならまだしも、約一年間一緒にいて、僕の点数は下がりきっている時期ですよ。もらえるわけないじゃないですか。誰も僕に期待していないんだから」  吐き捨てるように言う先生を見てるのが辛くて、俺は思わず呟いていた。 「あのさ。食べるの手伝ってくれない?」 「は?」  こちらを向いた先生の目は、つららのように鋭く、冷たかった。  ――間違えた。どうして、クッキーをあげると言えなかったんだろう。先生にバレンタインの贈り物をした唯一の人間になれたかもしれないのに。 「結構です。君がもらったお菓子です。みんなが君のことを思って用意してくれたものですよ。君が責任持って食べなければ、その人たちに失礼です」 「でも、一人じゃ食べきれないんだ。本命チョコじゃないなら……」  話せば話すほど、どつぼにはまっていくのが分かった。先生の眉間のしわが深くなる。でも、一度外に出た言葉は撤回できない。 「本命だろうが義理だろうが、『君に食べてもらいたい』という気持ちは同じに決まってるでしょう!」  語気が強くなった。怒っている。絶対に。  先生が眼鏡のフレームを親指と中指で押し上げて「君は」と続けた。 「人からもらったチョコで僕の機嫌をとれるとでも思ったんですか? 僕を見下すのもいい加減にしてください」  先生の顔が、忘れようとしても忘れられない、かつてのクラスメイトたちの顔に重なる。 「そんなことは――」  言いよどむと、さらに畳みかけられる。 「ない、と言うつもりですか。……まぁ、君は自覚していないでしょうね。お子ちゃまで、世間知らずで、鈍感ですから。努力しなくても人から愛されているから、その価値に気づいていない。自分が恵まれていることを分かった上で、それを『持たざる者』に分け与えてやっている優越感に浸っているのであれば、清々しくて好感すら覚えますが、君は無自覚です。そっちの方がよっぽどタチが悪い」  耳から入った音の意味を理解することを、脳が拒んでいた。立て板に水のように、先生の言葉は止まらない。 「君に情けをかけられなくても、バレンタインデーにチョコがもらえなくても、僕は勝手に生きるので、放っておいてください」  ぴしゃりと扉が閉まった音が聞こえた。母さんがトイレにでも行ったのだろうか。

ともだちにシェアしよう!