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赤いバラ砕けて 4

「帰ります」 「待って!」  立ち上がった先生を思わず呼び止めていた。コンビニで買って、机の引き出しにしまってある猫型のクッキーの存在が、そうさせていた。自分でも絶対にこのタイミングじゃないって分かってる。でも、もう全部間違えてしまった。いまさら間違いが一つ増えたところで、結末は変わらないだろう。先生に渡したいなら、今しかない。 「チョコ……」  クッキー、好き? と続けたかったのに、よりによってそんな半端なところで言葉が途切れてしまった。  先生と黙って見つめ合う。先生はここにいるのに、(さわ)れないほど遠くにいるような気がしてしまう。無意識のうちに、先生に向かって手が伸びていた。  深いため息が聞こえる。 「よくこの流れで催促できますね。馬鹿なんですか?」  先生の目には、軽蔑の色が宿っていた。紛れもなく、俺を傷つけるための「馬鹿」だった。そんなの、先生の口から聞きたくなかったのに。  俺がチョコレートをねだっている、と勘違いさせてしまった。そう理解するまで時間がかかった。  ――俺の、せい。だ。俺が最後まで言えないから。  鞄を開ける先生。何かを探しているようだ。大きく開けられた鞄の中に、リボンがかけられた長方形のきれいな箱が見えた。それの中には、高いわりに小さいチョコレートが横一列にお行儀良く並んでいそうだ。「お子ちゃま」な俺が買ったクッキーとは比べものにならないくらい、いかにも高級そうな箱。  ――先生だって、もらってるじゃん。しかも、本命っぽいやつ。なんでもらってないなんて嘘ついたの?  胸が締めつけられるように痛んだ。 「これしかありませんが、もらえるだけでも感謝してほしいものですね」  何かが放り投げられ、右手でキャッチする。フィルムに包まれ、あめのように両端がねじってある、一口サイズのチョコレートだった。 「さようなら」  俺の反応を見ずに、先生が部屋を出て行く。引き出しに手をかける暇さえなかった。  ――クッキーは、先生にあげられなかったけど、まあ、母さんにあげたっていいんだし。  苦しい。俺は、自分の胸元をつかんで、椅子にもたれかかった。乱暴に包みを開いたチョコレートを、口の中に押し込む。小さなチョコレートだ。二、三回噛んだだけで、すぐに溶けて消えてしまう。口の中に残ったのは、甘ったるさと、べたべたした不快感だけだった。

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