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それぞれの回顧 後編:角巻健人 3

 ひやりとした風を正面から受けながら、住宅街を二人で並んで歩く。積もった雪を踏みしめる、ザクザクという音が二人分、閑静な街に響く。行き先を聞いていないことに気づいて、先生に尋ねる。 「そういえば、今どこに向かってるの?」 「僕の家です」  俺は思わず立ち止まった。  ――家って、実家? 先生のご両親もいらっしゃるってこと? それとも、「うち、今日誰もいないの。どう、かな?(ちらっ)」ってやつ? いやいやいやいや。ご両親がいてもいなくても、どっちにしろ心の準備がっ……! ちょっと待った、同性の家に行くだけなのに、どうしてこんなことを考えてる!?  隣にいない俺を心配したのか、先生が振り返った。きょとんとした顔でこちらに近づいてきたが、やがて俺が何を考えているのか分かったかのように話し始めた。 「家といっても、車を取りに行くだけですよ。半個室のファミレスに行こうと思ったのですが、そこまで少し距離があるので」  瞬時に助手席にいる自分の姿を想像してしまい、心臓が早鐘を打ちはじめた。車を運転できるなんて、先生がすごく大人に見えてきた。先生への気持ちを自覚してからのドライブは、家に行くよりやばいかもしれない。  黙っていると、先生が不安そうな顔をする。 「ハンバーグ、お嫌いですか?」  大好物だ。口の端がピクリと動いてしまった。 「好きなんですね。良かったです」  先生が目を細めて、くすりと笑った。 「俺、まだ何も言ってないんだけど!」 「君は分かりやすいですから」  先生がちらりと俺の背後を見るので、思わずお尻をおさえた。いやいや。しっぽなんてないことは、俺が一番分かっているはずだ!  やっぱり調子が狂う。先生と肩を並べて歩くだけで、心臓が飛び出そうだった。 *  俺の家から歩くこと十分。先生の家に着いた。二階建ての一軒家で、玄関の前に青いコンパクトカーが一台停まっていた。  家から車の鍵を持ってきた先生に話しかける。 「こんなに近所だったなんて、知らなかった」 「学区が別だと交流も少ないですからね。ちなみに、この道路が学区の境目です」  先生が家の前の道を指さすので、俺もそちらに体を向けた。 「通りが一本違っていれば、中学時代に先輩後輩として出会っていたかもしれませんね」  中学生の先生を想像しようとするが、うまくいかない。もしその時に出会っていても、今と同じように先生のことを好きになっていただろうか。  先生の方に顔を向けると、先生もこちらを見ていて、目が合ってしまった。照れ隠しのために笑ってみる。 「昔、どこかですれ違ってるかもね」 「もしそうなら、今の状況は『運命の再会』ということになるのでしょうか」  運命、なんて言葉が先生の口から飛び出すとは思わなくて、一瞬思考が止まった。 「……お互い覚えてないんだから、そうは言わないんじゃないかな」 「ですよね」  こともなげに言う先生に、少しがっかりした。俺は自分勝手だ。でも、俺との出会いを「運命」だと口にしたのなら、もう少し寂しそうにしてくれてもいいじゃないか、と思ってしまった。  先生は、俺がこんなことを考えているなんて気がついていないようだ。初心者マークを車の前後に貼ると、鍵を開けて、運転席に乗り込んだ。 「どうぞ」  手の動きで助手席に乗るように促してきたので、反対側に回り込んで、ドアを開けた。うまく表現できないが、うちの車とは違う匂いがする。 「これ、先生の車?」 「いえ。父と母の車です。僕は普段運転はしません。実家に帰ってきたときにたまに乗るくらいのペーパードライバーです。ですから、車が動いている間は会話を控えようと思います。怒っているわけではなく、運転に集中しているだけなので、気にしないでください」 「分かった」  助手席のシートに体を預けて、シートベルトを締める。俺の動きを確認した先生が、ゆっくりと車を発進させた。  横顔を盗み見る。緊張したように結ばれた唇が、やたら(つや)やかに見えてしまった。横の距離は、家庭教師のときと同じくらいだが、いつもと違って、座面の高低差がない。二人の頭の高さがそろっていた。それだけのことで、息が苦しくなる。緊張で手が震えてくる。俺は両手を太ももの下に挟んで、先生に気づかれないように隠した。  先生は法定速度を守って走った。安全運転すぎて、後ろからクラクションを鳴らされていたが、本人は気にしていないようだった。 「緊張……いや、警戒してますか?」  赤信号で止まったとき、先生が声を発した。反射的に運転席に顔を向ければ、視線が絡まりそうになり、慌ててそらした。 「警戒って何? 先生相手に、警戒なんてしないよ」  思っていたより弱々しい声が出た。 「そうですよね。すみません」  何か気のきいた答えを返したかったけれど、考えているうちに信号が青に変わって、先生が黙った。手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、言葉を交わせないのがもどかしい。次の信号が赤になることをこんなに願った日はない。願いもむなしく、そのあとは一度も信号に引っ掛からずにファミレスに到着した。

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