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それぞれの回顧 後編:角巻健人 4

 俺たちは四人掛けの席に向き合って座った。お互いのソファーの後ろ側、つまり、隣の席との間には壁があって、俺の左側も壁、右側が通路となっている。「半個室」とはこういうことか、と思う。お互いの家族や他のお客さんに気兼ねなく話をするために、先生は俺をここに連れてきたのだろう。  もう車のハンドルは握っていないのに、先生は緊張したように顔をこわばらせて、俺と目を合わせてくれない。  言葉少なに食事を済ませると、先生が突然、俺を真正面から見据えた。 「今日は、時間を作ってくださってありがとうございます。僕の話を聞いてくれますか」  先生の声に、覚悟がにじみ出ているような気がした。「食事を終えてから話そう」と最初から決めていたのだろうと直感した。俺は持っていたグラスをテーブルに置き、先生を見返した。 「『昨日は八つ当たりをしてしまった』と言ったのを覚えていますか?」 「うん」  頷きでこたえると、先生が微笑を浮かべた。 「それに関するお話です。お喋りは苦手なのでつまらないかもしれませんが、最後まで聞いてもらえたら嬉しいです」  先生が目を伏せて話し始める。 「昔付き合っていた、彼女の話です」  胸の奥がズキンと痛んだ。そんな反応を示した自分の体に戸惑う。先生は端正な顔立ちをしているのだ。彼女の一人や二人いるだろうし、むしろいない方がおかしいと頭では考えていたはずなのに、心は違うらしい。  ――いや、だめだ、今はそんなこと考えてる場合じゃない。せっかく先生が俺に打ち明け話をしようとしてくれてるんだから、ちゃんと聞かなきゃ。  俺はテーブルの下で拳を握りしめた。俯いている先生には、俺の表情の変化は見えていないだろう。先生は淡々と語った。 「中学一年生の冬でした。十一月に告白されて、恋人ができました。同級生の女の子でした。僕は当時、『付き合う』ということがどんなことか、よく分かっていませんでした。でも、その子のことは嫌いではありませんでしたし、軽い気持ちで受け入れてしまったんです。今思えば、あれが良くなかったのではないかと思います」  もう聞きたくなかった。最後の一言で、先生が傷つく話であることが想像できてしまったから。先生はグラスの水で唇を湿らせてから、話を再開した。 「僕たちはデートを重ねました。もちろん、中学生同士ですから慎ましいものです。映画館に行ったり、ショッピングセンターで買い物をしたり、図書館で勉強したり。徐々に彼女に惹かれていく自分に気がつきました。僕に見せてくれる笑顔に、つないだ手から伝わってくる体温に、僕の鼓動が高まるのを感じました。好きになっていったんです。そんなある日、彼女が僕のことを女友達に話しているのを、偶然聞いてしまいました」  先生は辛そうな表情なのに、ふふっと笑った。それがとても痛々しく見えて、思わず先生から目をそらした。 「僕たちは毎日、部活のあと、一緒に帰るために昇降口で待ち合わせをしていました。ちなみに僕は卓球部、彼女は吹奏楽部でした。その日は、顧問の先生に引きとめられて、いつもより遅くなってしまいました。昇降口で彼女を見つけて、声をかけようとしましたが、誰かと喋っている声が聞こえて、とっさに隠れてしまいました。会話を邪魔してはいけないと思ったのです」  苦しげに言葉を紡ぐ先生に、「もういいよ」と言ってあげたくなる。でも、先生は口を動かすのをやめない。 「最初に、彼女の友人の声が聞こえました。『健人くんって、めっちゃかっこよくない? あれが彼氏って勝ち組じゃん』」  俺は、先生の話を聞きながら、頭の中に中学生女子の顔を思い描こうとした。なぜか、先生の彼女の顔が、兼山(かねやま)さんで想像されてしまった。先生が教えてくれたセリフで、脳内の女子たちが会話し始める。 『あれが彼氏って勝ち組じゃん』 『うーん。いいのは顔だけなんだよね。喋ってても全然楽しくないの。……あっ、でもね、一個だけいいことがあって、健人を連れて歩くと、いろんな女の子の視線が集まってきて、優越感に浸れるよ! 残念でした、あたしのものよ、ってね』 『ひどーい!』 『あれは快感だよ! やみつきになる』 『あんたさ、健人くんのどこが好きで付き合ってんの?』 『顔だよ、顔。それ以外に何があんの?』 『言えてる』  吐き気がした。好きな子にそんなことを言われていたら、俺だったら一週間くらい寝込むかもしれない。先生はまたグラスから水を飲んだ。

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