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それぞれの回顧 後編:角巻健人 5
「彼女の友人が立ち去ったあと、僕は彼女に詰め寄りました。『君にとって、僕の魅力は顔だけなのか』と。彼女は、僕が盗み聞きしていたことに怒り、最終的には開き直りました。『本当のことじゃん。じゃあ、今から面白い話してみなよ。ねえ、早く』と言われ、僕はそこから逃げ出してしまいました」
グラスの外側についた水滴を、先生がおしぼりで拭きとった。まるで、泣いている子の涙を拭っているようだと思った。
「次の日話をして、彼女と別れました。彼女はあっさりと受け入れてくれました。正直に言って、少し拍子抜けしました。僕を使って優越感に浸るような彼女のことです。クリスマス前でしたし、『自慢の彼氏』をそばに置いておきたいのではないかと思ったんです。今思えば、僕はかなり自惚れていたんですね。彼女が別れを受け入れた理由は、すぐに明らかになりました。一週間後に、イケメンと名高い先輩と付き合い始めたのです。僕はただの交換可能なアクセサリーでした」
アクセサリー。先生はモノじゃない。こんな風に傷つく人間なのに。太ももの上で握っていた手が、怒りで震える。先生は、耳にかけていた髪の毛で、目元を隠した。
「彼女が語ってくれた愛は、全部嘘だったのか、と思いました。映画館で彼女がポップコーンを食べさせてくれたのも、色違いのシャープペンシルも、僕というアクセサリーを自慢するための行動だったのかと思うと、虚しくなりました」
先生が唇を引き上げた。俺を安心させるために、無理やり笑っているような印象を受けた。
「人に心の内を見せるのが怖くなりました。どうせ顔しか見られていないなら、内面をさらけ出す意味はないと思いました。敬語を使うことで武装しました。周りと一線を引くことに成功しました。もう恋なんてしない、友人も作らないと誓いました。そうすれば傷つかずに済みますから」
俺は口を開いた。何か言いたい。でも言えない。どんな言葉を選んでも、先生を傷つけてしまいそうで。音を発しないまま、再び口をつぐむしかなかった。
それを見た先生が、目を細めてテーブルの上で手を組んだ。
「健人少年はとても純朴でしょう? たった一度の失恋で、その後の人生に支障をきたすほど、傷ついてしまうのですから。僕の心の中には、あの時の健気で臆病な『僕』が、まだ住み着いているんです。だから、バレンタインデーにたくさんのプレゼントをもらってきた君を見て、強烈な嫉妬心が湧き上がってきました。常に人に囲まれて、愛されている君が羨ましかった。僕自身が諦めたものを――本当は欲しくてたまらないくせに、諦めたふりをしているものを、いとも簡単に他人に渡せる君が、とても妬ましかった。そんな君からの優しさを『情け』だと判断して、怒ってしまったのは、一種の防衛反応でした」
先生は、前髪を耳にかけ直して、笑顔を見せた。
――もう笑わなくていいよ。つらいときは泣いてほしい。
言葉が出ない代わりに、先生を抱きしめたいと思った。間にあるテーブルが邪魔して、それもできない。
「見た目が良くなければ、顔だけで判断されることもないかもしれないと思い、髪の毛を伸ばして顔を隠しました。第一印象で根暗だと思われておけば、その後は『加点法』になると考えたんです。でもそうはならなかった。人に良く思われるための努力をしてこなかったのだから当然です。第一印象が悪い上に、挽回もできていなかった。こんな人間に、人が寄ってくるわけがないですよね」
先生は微笑んでいる。涙も流れていない。でも、俺の目には、先生が泣いているように見えた。
思わず左手を前に伸ばしかけたが、途中で思いとどまる。
――俺は今、先生を「かわいそうだ」と思っていないか? また無意識のうちに、人を見下してしまっているのではないか?
行き場を失った手は、あてもなく漂う。先生はその動きを目で追った。俺の手がテーブルの上に着地したのを見届けて、先生が話を再開した。
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