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それぞれの回顧 後編:角巻健人 6
「僕は、人間関係を構築することから逃げ続けていただけなんだと気づきました。『減点法だ』なんて言い訳して、人と関わるのをサボってきただけなんです。君と出会って、そのことを思い知らされましたよ。ということで、昨日のことは僕が悪かったです。申し訳ありませんでした」
先生は「この話は終わり」とでも言うように、グラスの水を一気にあおった。コン、と音を立ててテーブルにグラスを置く。
「聞いてもらえてすっきりしました。ありがとうございました」
そう言いつつ、浮かない顔つきの先生を見て、俺の手が動いた。身を乗り出して、テーブルの上に投げ出された先生の右手に、自分の左手を乗せる。先生の手は冷たくて、わずかに痙攣 していた。包み込むように、軽く力を入れる。
先生は目を見開いて、重なった二人の手を見つめ、同じ表情のまま、俺に視線を向けてきた。
――見下してるとかそうじゃないとか、もうどうでもいい。
今はただ、先生に触れて、少しでも先生の痛みを和らげてあげたかった。
俺の口がようやく動き始めた。
「ねえ。俺の話も聞いてくれる?」
先生の手が、ぴくりと動いた。
俺が話したって、先生の傷が癒えるわけではないし、自己満足にすぎないと分かっている。でも俺は、先生が言うような「努力しなくても自然とみんなから愛される人間」ではない。そのことを知ってほしい。誰にも言わずに隠し続けてきた俺の心の奥底を、先生に見てもらいたいと思った。
「おもしろくないし、つらい話だけど、先生に聞いてもらいたい」
先生がゆっくりまばたきをして、頷いた。俺は先生から手を離して、ソファーに体を預けた。左手には、先生に触れていた感覚がじんわりと残っている。俺はテーブルの下で手を組むと、息を吸った。
「俺、中二のとき調子に乗っててさ、『偽善者』って言われたことがあるんだ」
先生の目が泳いで、口が開いて、閉じた。きっと俺も、先生の話を聞きながらこんな顔をしていたのだろうと思う。自然と頬が緩んだ。
かいつまんで話した。学級委員長を任されたこと。担任の先生から頼りにされていたこと。高垣 くんに中途半端に手を差し伸べて、余計傷つけてしまったこと。兼山 さんのことも傷つけてしまっていたこと。バカを演じていれば、みんなが喜んでくれたこと。俺は本当は、無意識のうちに人を見下してしまうような人間で、人に手を差し伸べては優越感に浸るような偽善者だということ。
「だから俺は、俺さえ我慢すれば、世の中がうまく回るんだってずっと思ってた。人を見下さないように気をつけてたはずだった。でも、先生の前ではうまくできなかった。いっぱい失礼なことをしたし、傷つけるようなことも言ったと思う。本当にごめんなさい」
話し終わると、一瞬沈黙が流れた。
「そんなのって……」
先生が眉を寄せて、泣いているみたいに目を伏せた。
「ひどいです」
「だよね。本当にごめん」
嫌われるのは覚悟していたから、意外と冷静な声が出た。先生が勢いよく顔を上げた。驚いて見返すと、とても険しい表情をしていた。
「違います! ひどいのは担任の先生です。たった十四歳の君に全てを背負わせるなんて、しかもそれに気づいていないなんて、能天気にもほどがあります! 君だけが我慢しなければいけないなんて、おかしいです」
先生は肩を震わせて怒っていた。過去の俺のために、怒ってくれた。
それだけで充分だった。俺は胸の奥があたたかいもので満たされていくのを感じていた。いつの間にか、目から涙があふれて、顎を伝ってテーブルの上に落ちた。ぱたり、と音がする。
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