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それぞれの回顧 後編:角巻健人 7

「……また、君を泣かせてしまいました」  先生がぽつりと呟いた。再び謝罪されそうだったので、先手を打った。 「先生、ありがとう」  驚いたように目を丸くする先生に、微笑んでみせる。 「話を聞いてもらえて、すっきりした」 「それなら良かったですけど……」  先生が視線をさまよわせた。 「あの……。君はすごく優しいですよ。『人を見下さないように』と意識して過ごしている人間は、他人を(ないがし)ろにすることはないと思います。だから、大丈夫です」 「先生に会えたのは、本当に運命だったのかもね」  先生が俺を励まそうとしてくれているのが嬉しくて、つい口を滑らせてしまった。 「……え?」  先生の声が掠れていた。それはきっと、喋りすぎたせいではないと思う。驚きと困惑。俺は何を口走っているのだろうか。でも、口が滑ったついでに、全部打ち明けてしまおう。 「俺、大学に行きたい」  先生からしたら話がつながっていないように思えるだろうが、俺の中では関連性がある話だった。  実は去年までも、どこかに進学はしたいなとぼんやりと思ってはいた。でも、自分の学力で四年制大学に行くのは無理だと勝手に諦めていた。先生がうちに来てくれなければ、きちんと考えもしなかっただろう。  ――無気力な俺に目標を与えるために、神様が先生に出会わせてくれたんじゃないか、なんて。あまりにも自分本位な考えかもしれないけど。 「先生と同じところに、行きたい」 「A大、ということですか?」  先生の視線が定まった。俺の目を見つめてくる。 「うん。A大の教育学部」  先生が息を飲んだ。それから、首を傾げた。 「どうしてですか?」 「最近、先生のおかげで、勉強が楽しいかもって思えてきたんだ。俺も、そんなことを教えられる先生になりたいなって……今初めて思った」  俺は、照れ隠しのために俯いて、言葉をつけ足した。 「恥ずかしいな。無謀かもしれないけど」  即座に先生の言葉が返ってくる。 「そんなことありません。まだ一年ありますし、君ならきっとできますよ。君は努力し続けられる人間ですから」  正面を向けば、先生が俺を見ていた。慈愛に満ちたような笑顔を浮かべている。 「俺をそんな人間にしてくれたのは先生だよ。だから、先生は人と関わるのをサボってなんかいない。無気力で諦めがちだった俺を変えるほど、俺と深く関わってくれたんだよ。自信持ってよ」  先生が目を開いたまま固まった。数秒後、思い出したかのようにまばたきを繰り返す。 「僕を励ましてくれたんですか?」  先生がお腹に両手を当てて、体を折り曲げた。 「えっ、大丈夫!? 具合悪い!?」  向かいから「くくく」という音が聞こえてきた。よく見ると先生の肩が小刻みに揺れている。  ――笑っている、のか? 「やっぱり、君は優しいです。君のおかげで僕もすっきりしました。ありがとうございます」 「俺は真面目に言ってるのに、なんで笑うの!」  先生が顔を上げた。頬が濡れているのが見えて、胸がぎゅっと締めつけられた。 「いやあ、こんなに笑ったのは久しぶりですよ」  と言いながら、先生は人差し指の側面で涙を拭った。  笑いすぎて泣いたにしては涙の量が多い気がしたけれど、見逃してあげることにする。 「良かったね」 「はい。君と話して、頑張って人と積極的に関わってみよう、と思いました」  晴れやかな顔の先生を見て、俺まで満たされた気持ちになった。自分を偽らなくても、人を笑わせることができたのだ。今なら、ありのままの自分を少しだけ認めてあげられそうな気がした。

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