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自分を変える一歩目 5

 金曜日、いつものように健人先生が家にやってきた。  俺の部屋に二人で入って、横並びで座る。ふいに、近藤先生の「で、そいつかわいいのか?」という言葉を思い出して、健人先生の方を向けなくなった。黙って俯いている俺を不思議に思ったのか、先生が首を傾げる気配がした。 「どうしました? 顔が赤いですけど、熱でもありますか?」 「大丈夫、暑いだけ」  服の胸元をつかみ、ぱたぱたと中に空気を送るジェスチャーをすると、「今日は雪が降っていますけど」と訝しがられる。 「そういえば昨日、担任の先生に『A大に行きたい』って言ったよ」 「さっそく話してきたんですね。どうでしたか?」  強引な話題転換にもかかわらず、先生が素直に聞き入れてくれたのでほっとした。 「今のままだと厳しいし、本気で目指すなら勉強もペースアップしなきゃいけないけど、とりあえず六月の模試までは様子を見ましょうって言われた」 「その話、田丸さんにはしましたか?」 「うん。したよ」 「田丸さんは何て?」 「頑張れって」 「分かりました。僕もどうしたらいいか考えてみます」  先生が黙ったので、横目で様子をうかがうと、顎に拳を当てて、真剣な表情で宙を見つめていた。 『かわいい、というか、美しいです』  近藤先生に伝えてしまった言葉が脳裏をよぎる。俺はなんであんなことを言ってしまったのだろう。恋をしていると宣言したようなものじゃないか。  ――今、好きな人が隣にいるんだ。  急に意識してしまう。脈が速くなる。体が熱くなる。我慢しなければ、と思う。先生にこの恋心がバレてしまわないように。 「ごめん、トイレ!」 「僕が来る時間は分かっているんだから、先に行っておいてくださいよ!」  非難の声を背中に受けながら、俺はダッシュで部屋を飛び出した。 *  気持ちを落ち着けてから部屋に戻ると、先生が新しい復習プリントを机に並べているところだった。  俺のことを考えながら、先生が時間をかけて作ってくれた、苦手克服用プリント。そう思うと、ただの紙ですら愛おしく思えてくる。 「担任の近藤先生から『課題の正答率は上がってきている』って言われたんだ」  そう伝えると、先生がすごく嬉しそうに笑った。まるで自分自身が褒められたかのように。 「良かったですね」  俺は、先生のこの笑顔を見るために今まで頑張ってきたのかもしれない、と思う。 「先生のおかげだよ」 「いいえ。僕は何も。君が頑張ったからですよ。君は地頭がいいんです。同じ問題を繰り返し解くだけで、他の問題も解けるようになるなんて、驚きました」 「先生のプリントがすごいんだよ! 俺は今まで、自分でどこが分からないか分かってなかったけど、先生がテストを分析して、プリントにしてくれたおかげで、いろいろ整理された気がする。だから――」  俺は途中で言葉を切って、先生を見つめた。先生は、身構えるように俺から少し離れた。  ――先生が笑ってくれるから、俺は頑張れるんだよ。だから。 「できれば、四月以降も家庭教師に来てほしいな」  言ってしまった。先生に定期的に会える機会を失いたくない、という下心満載の言葉だ。先生が暗い顔で俯いた。 「僕は、教えるのが得意ではありません」 「そんなことない! 先生がいなかったら俺、勉強の楽しさに気づけなかった。先生は、教師に向いてるよ!」 「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」  先生が寂しそうに笑った。 「今後のことは考えておきます。とりあえず三月いっぱいは君のために全力を尽くしますので、よろしくお願いします」  先生の声に迷いは感じられなかった。俺に言わないだけで、既に何かを決めてしまっているのかもしれない。そんな気がした。

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