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知らないままでいたかった 5

「おい、悠里。当たってるぞ」  左から佐々木の声が聞こえる。ゆさゆさ、と肩を揺すられるような感覚で目覚める。いつの間にか机の上に落ちてしまっていた頭を起こせば、教壇でにらみをきかせている近藤先生と目が合った。 「よりによって担任の授業で寝るなんて、いい度胸してるじゃねぇか」  今自分が置かれている状況を、瞬時に理解する。  月曜日の一時間目、英語の時間。ショッピングモールでのことがあったせいで、土日はろくに寝られなかった。教科書を読み上げる近藤先生の声を聞いていたはずだが、そのあとの記憶がない。黒板には、ノートを取った覚えのない英文がたくさん書かれていた。 「来月にはもう『受験生』なんだぞ、田丸。気を引き締めろ」 「はい。すみません……」  俺が謝ると、先生がにかっと笑った。 「ということで、昼休み、進路指導室に来い。弁当持参で、な!」 *  呼び出しをくらってしまった……。  びくびくしながら、進路指導室の扉をノックすると、「開いてるぞー」と間伸びした声が返ってきた。静かにドアを開け、身体を滑り込ませる。こってり絞られることを覚悟していたが、近藤先生の表情はとても穏やかだ。 「時間とってもらって悪かったな。最近、調子悪そうだから心配でよ。まあ、座れよ」  部屋の中心にある大きなテーブルに弁当を置き、先生と向き合うような形で椅子に腰かけた。先生の前には、購買のコロッケパンとサンドイッチが置いてある。 「怒ってないんですか?」  話しながら、「このセリフ、健人先生にも言ったよな。デジャヴだ」と思った。 「怒ってはいる」 「ええー!」  デジャヴじゃなかった。健人先生とは真逆の答えが返ってきた。 「当たり前だろ。自分の授業で寝られて喜ぶヤツがいるか!」  大きな声に肩をすくめると、先生がため息をついた。 「というのはまあ置いといて、田丸がここ二週間くらい、やけに辛気臭い顔してるから、担任として話を聞いてやろうじゃないかと思ったわけよ。まず食え」  先生が真面目な顔をしてコロッケパンの袋をむきはじめたので、俺も弁当包みを開く。中にはおにぎりが二個と、おかずが詰められた容器が入っていた。母さんが朝早くに起きて詰めてくれた弁当だ。おにぎりを手に取り、一口かじった。それを見ていた先生が、パンを頬張りながら言った。 「家庭教師に振られでもしたか?」  俺の口から米粒が吹き飛び、テーブルの上にまき散らされた。 「汚っ! そんなに動揺するってことは図星か」 「違いますよ! 俺たちそんな関係じゃありません」  ポケットから出したティッシュで、テーブルの上のご飯をかき集めながら否定する。 「じゃあ、なんでそんな反応になるんだよ!」 「それは……」  ティッシュをころころと手のひらで丸め、言葉を探した。何秒か黙っていると、先生がガシガシと頭をかいた。 「『田丸は家庭教師の女の後を追ってA大に入ろうとしている』っていう俺の読みが当たっているかどうかだけでも答えてもらえると、今後の話がしやすいんだが。教えてくれないか?」 「まあ、概ね合ってます」  余計な言葉をつけてしまった。 「おおむね、とは?」  案の定、勘の鋭い先生は聞き逃してくれない。どうせ言ってしまったのだ、先生には打ち明けてもいいかと思った。近藤先生は信用できる。口は悪いし正直すぎるが、人の秘密をべらべらと誰かに言いふらすような大人じゃないから。

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