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知らないままでいたかった 6
「家庭教師を追いかけて、A大に行こうとしているのは正解です」
「ん? じゃあ、合っていないのは?」
「『女』ってところです」
「……そういうことか」
先生は何かを思案するように、コロッケパンの断面を見つめはじめた。俺の予想では、からかってくるか狼狽 するかどちらかだと思ったのに、先生は落ち着き払っていた。
「何才だ?」
先ほどまでと変わらないトーンで聞かれる。
「十九才、大学一年生です」
「なるほど。在学中なんだな。相手はストレートなのか?」
「えっ。どういうことですか? 現役合格ってことですか?」
自分で言いながら、年齢と学年から浪人していないことは導き出せるし、多分先生が聞きたいのはこれじゃないんだろうなと感じていた。
「いや。異性愛者なのか、と聞いている」
冷静な先生の声に、一瞬固まる。
「あ、はい。初めて会った日に『恋愛対象は女性だ』と言っていました」
「はぁ!? お前ら、初対面の時からどんな会話してんだよ」
呆れ顔を向けられた。
「いろいろありまして……」
「田丸は茨の道を進もうとしているな」
先生の眉間のしわが深くなった。
「俺だって、ストレート?なんですよ。同性にこんな感情を持ったのは初めてで、自分でも訳分かんなくて。多分恋愛感情だと思うんですけど、自信がないんです。気のせいなのかなとか、こんな感情を自分に向けられてるって分かったら、先生は気持ち悪いって思うだろうなとか、ずっとぐるぐる考えてて――」
「田丸。言い訳はいい」
口が勝手に動き続けるのを、先生に止められる。
「これから俺がする質問に答えろ」
恐る恐る頷いた。
「彼が田丸のことを『好きだ』って言ってきたら、どう思う?」
「はっ? えっ?」
予想外の質問にうろたえながら答える。
「えっと……その。う、嬉しい、です」
「じゃあ、そいつとキスしてるところ、想像できるか?」
健人先生のきれいな顔が近づいてきて、唇を重ねるところを思い描いた。
「……はい」
ムズムズする。
「どんな気持ち?」
「よく分かんない、けど嫌じゃない、かも」
先生が腕組みをして質問を続けてくる。
「彼が女の子と二人で歩いてるのを見たら?」
「すごく嫌でした」
「過去形。なるほど、経験済みだったか」
「い、いやっ、これは違くて――」
口を滑らせてしまったことが恥ずかしくて、慌てて否定するが、遮られる。
「もう言い訳したって無駄だぞ、田丸。お前の感情は恋愛感情だ。分かったか?」
いたって真面目な顔で言い切られた。俺は、しぶしぶ「はい」と頷いた。
「で、その涙のわけは?」
「なみだ?」
頬に触れる。濡れていた。そこで初めて自分が泣いていることに気づいた。
「えっと、そのっ……。寝不足、で。それで、情緒不安定っていうか――」
「いい。無理するな」
ぶっきらぼうな言い方の中に、近藤先生の優しさを見つけて、感情の抑えがきかなくなった。
悲しみがぽろぽろと両目からこぼれ落ちた。先生が黙って立ち上がり、テーブルの端にあったボックスティッシュを俺に差し出してきた。
「おととい、女の人と先生が一緒に買い物をしているところを見ちゃって」
喋っているうちに、口の中に涙が入り込んだ。唇をなめる。ショッピングモールからの帰り道と同じ味がする。
「二人は付き合ってるのかなって思ったら苦しくて。全然眠れなかったんです」
「きょうだいじゃないのか? よくあるだろう、そういうの」
「違います。その人は先生を名字で呼んでました」
先生に向けた彼女の笑顔を思い出して、胸がじくじくと痛み出した。近藤先生が唸った。
「二人の関係について、何か聞いてないのか?」
「聞いてません。というか、ろくに話もせずに逃げてしまいました。そこから会ってません」
「そういうのは本人に聞くしかないだろう。田丸が考えたって絶対に答えが出ない問題だからな」
「そう、ですよね。分かりました。傷つくかもしれないけど、ずっとモヤモヤするよりマシです。今度聞いてみます」
「ああ。そうしろ」
先生がずいっとティッシュの箱を押し出してくるので、思い切り鼻をかんだ。
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