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知らないままでいたかった 7
俺が鼻水と涙を出し切るのを待って、先生が言った。
「これは根拠があるわけじゃなく、ただの俺の勘なんだが、他にも何か悩んでないか?」
先生の前で隠し事はできないと悟る。観念して話しはじめる。
「実はもう一つあります。三月いっぱいで家庭教師を辞めるって言われて――あ、もともと三月までの予定だったので、ドタキャンじゃないですけど。A大に行きたいなら、ただの大学生の僕じゃだめだ、今後は受験のプロに頼むべきだ、って言われました」
「なるほど。一理あるな」
近藤先生が深く頷いた。
「それで、志望校のランクを下げて先生に習い続けるか、A大を目指すために他の先生に頼んでバリバリ勉強するのか、三月末までに決めなきゃいけないんです。いろいろ考えてるうちに、先生と一緒にいたいだけなのか、先生と同じ大学に行きたいのか、全然分かんなくなりました」
うーん、と先生が眉根を寄せて目を細めた。それから、俺に真っ直ぐな視線を向けてきた。
「田丸、今から俺は、起こりうる最悪の事態について話をする。想像したくないかもしれないが、しっかり聞けよ」
「……はい」
少しためらったが、頷いた。先生は俺から目を離さずに言う。
「田丸が仮にA大に合格したとする。入学すると、想い人がいる。田丸が彼に告白する。『ごめんなさい。君のことは弟みたいに思っていて、しかも同性は恋愛対象として見られないよ』ときっぱり断られる」
「振られる時のセリフが具体的すぎるのですが」
顔をしかめて、思わず耳に手を近づけてしまう。
「耳をふさぐな。しっかり聞くと約束しただろう!」
大声で怒鳴ってから、先生は声色 を和らげた。
「彼に振られても、田丸はA大に在学し続けるか?」
「……考えたくないです」
俺が俯くと、先生は深いため息をついた。
「気持ちは分かるが、大事なことだからちゃんと考えろ。彼に会うことを目標にすれば、受験は頑張れるかもしれない。だが、その後はどうする? 大学は勉強するところだぞ。恋人とイチャイチャする場所じゃない。彼と付き合いたいだけなら、今すぐ告白すりゃあいい。向こうにその気があれば、大学受験を経なくても恋人同士になれる」
目から鱗が落ちて、ぐらりと気持ちが揺らいだ。
「さっきの話に戻す。田丸がA大に合格してから彼に告白するとしよう。彼には恋人がいるかもしれない。彼にこっぴどく振られるかもしれない。運良く交際できたとしても、すぐに別れるというパターンも考えられる。そうなった場合、A大で勉強するモチベーションは保てるのか? どうだ。田丸はこれでもA大に行きたいか?」
顔を上げる。先生は俺を傷つけたくてこの話をしているわけじゃないってことが分かったから。先生と目が合うと、視線をそらされる。
「『彼と同じ大学に行きたい』という理由で志望校を決めるのは、リスクが大きすぎると思う。A大でなければいけない理由を自分の中にも見つけろ。この教授に習いたいとか、この学問について興味があるとか、そんなぼんやりしたものでいい。考えた結果、『やっぱり別の大学にする』でもいいと俺は思う。別の大学に通っていたって、お互い生きてる限りはどこかで会えるだろ。田丸の人生だ。大学は、自分自身のことを第一に考えて選べよ」
先生が急にコロッケパンにかぶりつきはじめたので、言いたいことは言い切ったのだと思う。唐突に終わったので驚いたが、先生なりの照れ隠しなのかもしれない。
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