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苦しくて、切なくて、痛い。 5

「じゃあ、今日はこれで終わりにしましょうか」  A大のことをいつ言いだそうか考えているうちに、一時間が経ってしまった。帰り支度を始めた先生の横顔を見ながら口を開く。 「俺、A大の教育学部を目指すことにした」  そう宣言すると、先生は目元に一瞬寂しげな色をにじませたが、すぐにこちらを向いて笑顔を見せた。 「決めたんですね。理由を聞いてもいいですか?」 「小学校から高校までの付属校が揃ってるし、一年生のうちから実習があるから、俺が小学校の先生に向いてるか、早いうちに見極められるんじゃないかって思ったんだ。あとは、他の学部の授業も受けられるのがいいなと思った。いろんな授業をとって、俺が何に興味があるのか、考えてみたい。でも、お金のこともあるし、浪人はしないよ。共通テストがだめだったら、B大に切り替える」  俺の決意が伝わるように願いながら、先生の目をじっと見つめて、話した。 「そうですか。分かりました。頑張ってください。応援しています」  先生は淡々と言葉を並べたあと、少し黙った。それから、目を伏せて息を吐き出した。 「こんなに中途半端なところで放り出すわけですから、『見捨てた』と思われてもしかたないかもしれません。でも、これだけは覚えていてほしいです。僕が家庭教師をやめるのは、君を嫌いになったからではありません」  とても真剣な声だった。言われた内容を理解するまで、時間がかかった。二月末に、先生から「プロを頼むべきだ」と提案された時に、「俺を見捨てるのかよ」と叫んだことに対する弁明なのだろう。  ――「嫌いになったからではありません」。それって。  思考が停止して、先生を見つめることしかできなくなった俺を、先生は柔和な顔で見返してくれた。 「本当は来年度も君のそばにいたい。君に勉強を教えてあげたい。でも僕は、君を合格に導く自信がないんです。僕のせいで君が大学受験に失敗してしまうのは()えられないから。だから、約束してくれますか?」 「何を?」  先生が泣きそうになっていることに気づいて、声が震えた。  ――「君のそばにいたい」。もしかして、先生は。 「新しい先生の指導のもと、一年間しっかり勉強をして、必ずA大に来てください。待ってます」 「分かった。約束する」  頷くと、先生がふわっと笑った。 「ありがとうございます。これが一番のホワイトデーのプレゼントかもしれません」  胸が苦しくて、切なくて、痛い。自惚れてしまいそうになる。先生も俺と同じ気持ちなんじゃないかって。でも……。  浮かれそうになる心を押し込めた。期待が膨らめば膨らむほど、裏切られた時の傷は深い。それなら、片思いだと思っていた方が気楽だ。  先生が手を差し出してくる。反射的に握り返す。 「約束ですよ」と噛み締めるように言うから、俺まで泣きそうになった。

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