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苦しくて、切なくて、痛い。 6

 三月の四週目に入り、健人先生が来てくれるのも残り四回となった。 「今日もいつものようにやっていきましょう」  先生が新しい復習プリントを机に置いてくれた。相変わらず丁寧だが、丁寧すぎるゆえ、まだ一年生の復習が終わっていなかった。「今のペースじゃ、絶対に間に合わない」と近藤先生に言われたことを思い出して、切なくなる。健人先生はほとんどボランティアみたいな形で俺に尽くしてくれているのに、どうして切り捨てるみたいなことをしなくちゃいけないんだろう。  先生と別れるのは寂しいが、先生とのキャンパスライフを夢見て、ぐっとこらえる。それに、名残惜しい気持ちを募らせるよりも、残り四回を楽しむ方に切り替えた方がいいと思って、あえてその話題は出さなかった。  三十分が経過した頃、突然スマートフォンの着信音が鳴り響いた。俺も先生も飛び上がるほど驚いた。 「すみません。僕のです」  先生がスマートフォンをビジネスバッグの外ポケットから取り出すと、床に何かが落ちた。音からして、かなり軽いもののようだ。先生はそれに気づかない様子で、画面を眺めている。 「家からだ……。ちょっと失礼しますね」  先生はスマートフォンを耳に当て、「もしもし」と言いながら部屋を出て行った。  俺は落ちたものが気になって、椅子から立ち上がり、床に手を伸ばした。拾い上げたものを見て、首を傾げる。ジッパーつきのポリ袋に入った、ミントタブレットのプラスチックケースだった。  ――なんでこんなものを、わざわざ袋に入れて持ち歩いてるんだ?  上下に振る。音はしない。ケースの中身は空のようだ。じっくり眺めれば、ところどころ摩擦で印字が消えている。見覚えのあるもののような気がしてきた。  ――もしかして、俺があげたやつ?  考えがそこに至った瞬間、喜びなのか何なのか分からない、自分でも判別がつかない感情が湧き起こった。  心臓がばくばくする。手が震える。  袋を落としそうになって、慌てて先生の鞄のポケットに押し込んだ。  椅子に座り直すと、呼吸が浅くなっていることに気づいた。  ――袋に入れて取っておきたいと思うほど俺のプレゼントを喜んでくれたのなら嬉しいような、でも、ごみ同然のものをこんなに大事にされているのは怖いような……。いや、でも捨て忘れただけかも。袋に入れてるのは、他の大切なものに「ごみ」が触れないようにするためで……。え? 先生って俺のことどう思ってるの? 分かんない、分かんない。とりあえず見なかったことにしたい。  目を閉じて、深呼吸を繰り返す。先生が戻ってくるまでに、息だけでも整えておきたかった。

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