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受験は団体戦 7
二回目の横井先生の授業があった金曜日。この前のようなことがあったらどうしよう、と少し身構えていたが、数日前とは別人のように、横井先生はほとんど雑談をしようとしなかった。拍子抜けしたが、初日のようなテンションにはついていける自信がなかったので、助かったと思った。
その日たまたま調子が悪かっただけかと思いきや、むしろ、日が経つにつれ、横井先生の口数は少なくなっていった。一ヵ月経った今では、無駄なことは一切喋らなくなり、口を開くのは、問題の解説や指示をする時だけだ。横井先生は、静かに淡々と授業を進めていく人だった。
俺は、初日の先生が「作られた」もので、現在の無口な先生が本来の姿なのかもしれないと思うようになっていった。母さんもはじめの頃こそ不思議そうにしていたが、一ヵ月も経てば「元気ではない」横井先生を受け入れていた。というかむしろ、こっちの方がいいと喜んでいた。
横井先生も先生なりに、悩んでいるのかもしれないと思った。例えば「元気」という名前と自分の性格のギャップとか、自分のキャラづくりの方向性とか。初日の言動は、横井先生なりの「人と仲良くなるための社交スキル」だったのではないか。それが俺と母さんには合わなくて、裏目に出てしまっただけなのだろう。俺のタメ口のように。
そう考えるようになったら、徐々に横井先生への苦手意識が薄れていった。
横井先生の教え方は分かりやすい。健人先生より授業のスピードが速いのに、全然苦にならなかった。解き方のコツを的確に教えてくれるから、効率的に復習をすることができた。俺の学力は、面白いくらいにめきめきと上がっていった。
これがプロの力か。なるほど、健人先生が「僕じゃだめです」と言う意味が分かった。
水曜日と金曜日以外の平日の夜は、横井先生から出される課題と学校の課題をこなし、週末は健人先生が作ってくれた復習プリントで、基礎固めをすることにした。
気づけば俺は、今までの人生で一番勉強をしていた。勉強は何のためにするのかと考えていた、一月までの自分が信じられなかった。分からなかったことが理解できるようになることがこんなに嬉しいなんて、知らなかった。
健人先生と会わなくなったら、もしかしたら先生のことを忘れてしまうんじゃないかって、少し心配していたけれど、杞憂だった。勉強するたびに先生のことを思い出す。だって、俺に勉強の楽しさを教えてくれたのは先生だから。復習プリントも、A大の過去問題集も、俺のことを思って、先生が俺に渡してくれたものだ。その期待にこたえたかった。「絶対にA大に行く」という、先生との約束を守らなければならない。
バスケ部の方は、五月の地区高校総体で優勝し、六月の県総体に向けて部活が本格化している。勉強と部活の両立は正直きつい。でも、どちらも手を抜きたくはなかった。負けた時点で引退が決まるバスケの大会も、自分で決めた一発勝負のA大受験も、同じくらい頑張りたかった。
俺が変わるきっかけを与えてくれた健人先生、そして受験のために俺と並走してくれている横井先生には、感謝してもしきれないと思った。
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