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ガキはガキらしく 3

『今日の午後、自主練なんですけど、悠里先輩、遊びに来ませんか?』  バスケ部の一学年下の後輩、橋本から、メッセージが届いていた。いつの間にか二度寝してしまっていたらしい。時刻は十時半を回ったところだった。ぼんやりとした気持ちで体を起こす。目をこすると、乾いた涙がぱりっとはがれた。  あのメッセージも夢だったのかもしれない、夢であってほしい。わずかな可能性に期待して、母さんとのトークルームを開くが、今朝受信したメッセージは残ったままだった。 「先生、ひどいよ……」  思わずこぼれてしまった独り言。すごく女々しい。自分でも嫌になる。返信が来ただけでも良かったではないか。一週間後の「頑張ってください」では満足できないなんて、期待しすぎではないか。そもそも俺は、先生に何て言ってほしかったんだろう。頭が痛み出した。  先生のことはひとまず意識の外に追い出して、橋本からのメッセージを読み直した。  部活を引退してから、一度もボールに触っていない。気分転換にちょうどいいかもしれない。そう思って、俺は橋本に返信する。 『ありがとう。行く』  ジャージに着替えて、とりあえず遅めの朝食をとることにした。 *  毎日通っていたはずの体育館は、少し顔を出さないうちによそよそしくなっていた。自分が間違った場所にいるような、居心地の悪さを感じる。  まだ誰も来ていない。それもそのはず、部活は午後二時からなのに、体育館のアナログ時計は一時五分を指している。体育館倉庫に鍵がかかっていたので職員室に行ったら、顧問の先生に「なんで引退したヤツが、誰よりも早いんだよ」と笑われてしまった。 「時間より早いけど、利用予定はないから使っていいぞ」  と倉庫の鍵を開けてくれたので、その言葉に甘えて、一人きりの体育館を満喫することにした。  後輩への差し入れとして買ってきた、個包装のクッキーが入ったビニール袋を壁際に置くと、倉庫のかごからバスケットボールを取り出し、手になじませるように、軽く宙に浮かせてキャッチする動きを何度か繰り返した。手にボールが吸いついてくるような感覚が、気持ちいい。  体育館に出て、その場でドリブルをする。人がいないぶん、音が反響して、かなり大きな音が返ってきた。  ドリブルしながら走り出してみる。俺のシューズと床が擦れる音とボールが跳ねる音が混じり合って、「そういえばこの音、好きだったな」と思い出す。久しぶりだったけれど、体に染みついているから、何も考えずに動くことができた。  調子づいてきた俺は、そのままゴールまで走っていき、リングに向けてジャンプした。途中で離したボールは、吸い込まれるようにリングにはまり、ネットを通り、床に落ちた。  ――ナイスシュート!  心の中で叫んだ。ワンバウンドしたボールをキャッチすると、再びボールをつきながら走りだす。同じ要領で、レイアップシュートを何本か打ち込んだ。  今度はゴールから離れたところに立って、胸の前でボールを持った。セットシュートの構えだ。  息を整え、頭上にボールを掲げながら、狙いを定める。  ――いける。  ボールをリリースする直前、脳内に健人先生の言葉がフラッシュバックした。 『将来役に立たないかもしれない勉強はしたくないのに、将来役に立たないかもしれないシュートは打ち続けられるんですか?』  あっ、と思った時にはもう遅かった。手に余計な力が入ってしまい、軌道がわずかに左にずれる。バックボードに当たったボールは、リングの上で跳ねて、床に落ちた。ボールのバウンド音が、体育館に響いた。  どむ、どむ、てん、てん、てん。やがて勢いを失ったボールは、転がるだけになり、壁に当たり、少し跳ね返った先で止まった。  何の脈絡もなく泣きたくなった。ボールのそばに行き、拾うためにかがんだら立てなくなった。気づいた時には、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちていた。

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