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ガキはガキらしく 4
「あれ? 悠里先輩?」
人の声が聞こえて反射的に振り返ると、今朝俺にメッセージをくれた後輩、橋本が体育館の入り口に立ちつくしていた。
「絶対におれが一番乗りだと思ったのに。びっくりしましたよ」
言いながら近づいてくる。「まずい、顔を見られる」と思って背けたけれど、間に合わなかったみたいだ。
「……泣いてるんですか?」
気づかれた。橋本が俺の隣にしゃがみ込んだ。
「シュートが入らないのが、そんなに悔しかったんですか?」
「えっ、どこから見てたの……!?」
思わず橋本を見れば、頭をかきながら、へらっと笑う。
「実は、セットシュートのところから。すごく集中していたみたいだったので、声かけづらくて」
橋本が真面目な表情になって、続けた。
「バスケは、シュートが決まっても決まらなくてもボールは下に『落ちる』んですから、縁起が悪いとか思わなくても大丈夫ですよ」
「……え?」
励まそうとしてくれているのは分かるが、言われている内容が飲み込めず、真顔で見返してしまう。橋本は、まばたきを繰り返して、慌てたように目を泳がせた。
「あれっ。えっ? そのこと気にしてたんじゃないんですか?」
「ううん。どういうこと?」
「えっと、だから……。受験生って、縁起担ぐじゃないですか。悠里先輩も、シュートを外してボールが下に『落ちた』から、縁起が悪いってショック受けたのかと思って……」
橋本の声が尻すぼみになっていく。
「なるほど。言われてはじめて気づいた」
「うわー、そうなんですか。おれ、受験生に向かって『落ちる』を何回も言うとか、マジでひどいですよね。すみません」
その場に膝をついて、土下座まで始めてしまった。
「大丈夫だから! 顔上げて」
「本当ですか。ありがとうございます。悠里先輩、心が広いっ!」
橋本が手で目尻を拭う仕草をした。なぜか彼も泣いていた。
――とんちんかんすぎ。でも、素直でいい子なんだよなぁ。
橋本のおバカ具合が逆に心地良くて、固くなった体がゆるんでいく感じがした。自然と笑みがこぼれた。
「今日は息抜きに来たからさ。とことん練習に付き合うよ」
「いいんですか! ありがとうございます! よろしくお願いします」
二人で立ち上がって、俺はボールをドリブルしながら歩き出した。
橋本に目を向けると、歩幅を俺に合わせつつ、こちらを見ていた。パスを出す。彼はそれを頭上で受けとめると、ドリブルを始めた。俺に向かって、ニッと笑ってから走り出した。俺もそのあとを追いかける。
「クッキー持ってきたから、みんなで食べてよ」
「わー! 嬉しいです! みんな喜ぶと思います」
時計の短針はもう少しで「二」に到達する。いったい何人来るのだろうか。一、二年生に「悠里先輩!」と囲まれるところを想像して、嬉しくなった。
「先輩。行きますよー」
橋本が俺めがけてボールを投げてきた。少し高い。ジャンプして、右手でボールを捉える。押し込むように、真下に向かって力をかけた。俺は、床に落としたボールをドリブルにつなげる――つもりだったのに。
どん。今日一番大きな音がして、ボールが跳ね返って宙に浮いた。
「あれ?」
「力入りすぎじゃないですか?」
二人で顔を上げて、ボールを見守る。飛んで行ったボールは、体育館の真ん中くらいの高さまで上がると、重力に従って落ちてきた。俺は無意識のうちにボールの真下へと移動していた。両手を掲げる。ばすっという音がして、俺の手にボールがはまった。
「ナイスキャッチ!」
橋本がハイタッチを求めてきた。俺はボールを脇に抱え、右手でそれにこたえた。
「サンキュ!」
気持ちいい。こんなに自然に笑えたのは久しぶりだと思った。
「今日、誘ってくれてありがとね」
感謝を言葉にすると、橋本が人懐っこい笑みを浮かべて、俺の肩を小突いてきた。
「おれも、久しぶりに先輩とバスケできて楽しいです。来てくださってありがとうございます」
その時、向こうの方から俺たち以外の話し声が聞こえてきた。足音と共に近づいてくる。体育館の入り口に目を向ければ、男子バスケ部の一年生が一人、二年生が二人立っていた。手を振ってみると、驚いた顔で駆け寄ってくる。
「あれ、悠里先輩!?」
「わ、ほんとだ! どうして」
「おれが誘ったの! 先輩から差し入れもらったから、みんなで食べようぜ」
「なんで橋本が言うんだよ。悠里先輩に言わせろよ」
「ぷっ、くくっ……あはは!」
涙が出た。楽しくて。嬉しくて。
「あ、橋本先輩。田丸先輩のこと泣かせましたね!」
「えっ、おれ!? あ、そうかも。さっきも先輩、シュート外して――」
「それは言っちゃだめだから!」
橋本のことを羽交締めにする。
「痛い痛い! ギブギブ!」
手を離すと、橋本は肩をおさえ、大げさに痛がった。
「もー! 骨折れたかと思いましたよ」
「そんなに強くしてない!」
俺たちのやりとりを見て、他の子たちがどっと笑う。
笑ってくれた後輩たちを見て、俺も頬が緩んだ。
「じゃ、やりますか」
ボールを頭上に放り投げる。
俺の気持ちもボールと一緒に、ふわりと浮き上がった。
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